出稼ぎ
- 2016/05/05
- 21:56
台湾展示会が1週間後に迫ってきました。4月には柿堺香さんが行って、今月に私が展示会、同行なさる古屋輝夫さんが講習会、そして来月には三橋貴風さんが講習会。単に時期が重なっただけですが、それにしても台湾の尺八界が活発だからこそです。
台湾での講習会は、個人レッスンで50分間、一人1500元(5千円)。誰もがその位です。この程度の支出は台湾人にとって負担ではありません。何故なら、尺八を吹いている人のほとんどが、まだ現役なのです。
尺八吹きの年齢が、さらに若い上海も先月の柿堺さんの訪中、講習会に続いて、来月は私が行きますから、もう台湾、中国は尺八にとって無くてはならぬ重要な地域となりました。
私も去年は台湾では展示会をやらず出張販売のみでしたが、このところ台湾は毎年、そしてこの先もしばらくは中国とともに毎年行くつもりです。
「世界を市場に営業する大橋鯛山」。カッコイイ~、~(おまけ)、~(サービス)。
なら良いんですけどね。ハッキリ言って「出稼ぎ」ですわ。でもね、今は日本国内でも営業活動をしている所って私くらいなものではないですか。ほとんどの者が顧客がくれる注文を待って販売するだけになっています。昔はダイレクトメールが飛び交い、展示会も活発におこなう所が何軒も有って・・・。
日本で尺八が売れないのは景気循環なんかじゃない。構造的な変化が原因ですから自然回復は有りません。待っていたら確実にジリ貧になります。もう半数が実質活動を停止していますが、さらに広がります。
アキラメテンジャネエよ。すぐ近所に黄金マーケットが有んだろうが・・・。
台湾人は対岸の福建から渡ってきた人達を祖先に持つケースが多いですね。福建省は山が多く耕地が少ないので、慢性的に食料難で、その為、福建の外に出る人が多くいて、大量の華僑を出しています。
同じ福建でも、北部と南部での言葉の違いは方言の範囲ではなく外国語だそうです。今は北京語が通じますが、私が初めて行った40年前ではバラバラ。一番使われていた共通語としての北京語、後は福建南部の閩南語、客家語、福建語、その次位に日本語が通じました。その次が広東語でしょうかね。そして次か、またその次くらいに英語。ですからテレビにも字幕が入りました。さぞ不便だったと思いますよ。
中国人の華僑を称して「天秤棒一つ担いで東南アジアに出て行って、30年経ったら、その国一番の金持ちになっていた」とか言いますが、故郷で生きていくスベが無いから出て行くので有って、そうでなければ誰が好き好んで「流れ者」になりますかいな。
尺八を吹いて生活したいと考えているオカタ、日本で何とかなるとアテが有るのなら良いです。もし、そうでないなら英語か中国語を身に付けて、どうです、根無しの流れ者になれとは言わない、月に10日でも中国に振り向けてみませんかな。30年経ったら尺八界で一番の売れっ子になっていますぜ。
難しい事ではない、現在、上海だけ見ても5万人もの日本人が住んでいるのです。ここを橋頭保にするんですよ。
30年後には、私は元気でしょうが、三橋さんも古屋さんも、おそらく柿堺さんももういませんよ。出稼ぎは今からが勝負です。
台湾での講習会は、個人レッスンで50分間、一人1500元(5千円)。誰もがその位です。この程度の支出は台湾人にとって負担ではありません。何故なら、尺八を吹いている人のほとんどが、まだ現役なのです。
尺八吹きの年齢が、さらに若い上海も先月の柿堺さんの訪中、講習会に続いて、来月は私が行きますから、もう台湾、中国は尺八にとって無くてはならぬ重要な地域となりました。
私も去年は台湾では展示会をやらず出張販売のみでしたが、このところ台湾は毎年、そしてこの先もしばらくは中国とともに毎年行くつもりです。
「世界を市場に営業する大橋鯛山」。カッコイイ~、~(おまけ)、~(サービス)。
なら良いんですけどね。ハッキリ言って「出稼ぎ」ですわ。でもね、今は日本国内でも営業活動をしている所って私くらいなものではないですか。ほとんどの者が顧客がくれる注文を待って販売するだけになっています。昔はダイレクトメールが飛び交い、展示会も活発におこなう所が何軒も有って・・・。
日本で尺八が売れないのは景気循環なんかじゃない。構造的な変化が原因ですから自然回復は有りません。待っていたら確実にジリ貧になります。もう半数が実質活動を停止していますが、さらに広がります。
アキラメテンジャネエよ。すぐ近所に黄金マーケットが有んだろうが・・・。
台湾人は対岸の福建から渡ってきた人達を祖先に持つケースが多いですね。福建省は山が多く耕地が少ないので、慢性的に食料難で、その為、福建の外に出る人が多くいて、大量の華僑を出しています。
同じ福建でも、北部と南部での言葉の違いは方言の範囲ではなく外国語だそうです。今は北京語が通じますが、私が初めて行った40年前ではバラバラ。一番使われていた共通語としての北京語、後は福建南部の閩南語、客家語、福建語、その次位に日本語が通じました。その次が広東語でしょうかね。そして次か、またその次くらいに英語。ですからテレビにも字幕が入りました。さぞ不便だったと思いますよ。
中国人の華僑を称して「天秤棒一つ担いで東南アジアに出て行って、30年経ったら、その国一番の金持ちになっていた」とか言いますが、故郷で生きていくスベが無いから出て行くので有って、そうでなければ誰が好き好んで「流れ者」になりますかいな。
尺八を吹いて生活したいと考えているオカタ、日本で何とかなるとアテが有るのなら良いです。もし、そうでないなら英語か中国語を身に付けて、どうです、根無しの流れ者になれとは言わない、月に10日でも中国に振り向けてみませんかな。30年経ったら尺八界で一番の売れっ子になっていますぜ。
難しい事ではない、現在、上海だけ見ても5万人もの日本人が住んでいるのです。ここを橋頭保にするんですよ。
30年後には、私は元気でしょうが、三橋さんも古屋さんも、おそらく柿堺さんももういませんよ。出稼ぎは今からが勝負です。
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