共食い、人間で言うと人肉食ですが、縄文期の日本はもとより、古い時代には世界的に見られるそうですね。でも歴史時代になると、余程の飢餓状態が生じないと無いみたいです。日本では確かな記録に残るものとしては、秀吉が鳥取城を囲んで「兵糧攻め」にした時とか、天明の飢饉のおり等に起きたようですが、飢えではなく病気治療だと、かなり聞きます。「あ~あ世は夢か、幻か~」の野口男三郎が作った人肉スープとか有名ですが、これはライ病の治療の為だったそうです。私の子供の頃でも、当時はまだ有った土葬の墓を堀りおこし、死体を黒焼きにして強壮薬として売って、逮捕されたヤツがいました。江戸時代にも、首切り役人として、その名も高い山田浅右衛門、その屋敷で「密かに人間の肝臓が難病の薬として売られている」と噂になったそうです。そうそう、そう言えば、もう10年になりますか、韓国で大騒ぎになった中国製の健康カプセル、あれの材料が人肉でしたな。こっちは浅右衛門の話と違って半信半疑ではなく事実でしたぜ。
中国では、その前にも、通りがかりの客をバラし、人肉饅頭にして売って死刑になったドライブインの夫婦がいました。伝統的に中国では「人肉食タブー」は緩い様です。『三国志』とか『水滸伝』ばかりでなく、他の資料や小説にも、人肉食は出てきます。それも異常なケースとしてではありません。ちょっと特別な食材、または、そうですらない普通の食文化としてです。中国の市場では、近代まで人肉が売られていたそうですが、それも「ゲテモノ扱い」としてではなかった様です。
ポリネシアとかでは「人食い」は、かなり普及していたらしく、ロックフェラーの御曹司が食われたというのは、かなり信憑性が有るようですが、高度な文明圏で、近代まで、普通の食材として人肉を使用したのは中国を置いて無いですわ。
まあ現在では中国、台湾や香港などの中国圏では人肉食は重大な犯罪ですし、あえて中国を貶めるつもりも有りませんから、これは単なる「話のマクラ」ですわ。言いたいことは、どうして「人間が人間を食べてはいけないのか」です。
文化人類学や病理学(たとえばタンパク質異常を引き起こす)とかの複雑で高度な話をしているのではありません。また「人間の尊厳の尊重」とかの大前提に基づく哲学的な話でもないのです。
結局は「種の発展」という事で、「共食い」を禁ずる何らかの装置が遺伝子の中に組み込まれているのではないですかね?肉食獣は余程に飢えても、仲間を殺して食べる行為はしないみたいですよ。ネズミは仲間を殺して食べますが、飢えが原因かストレスに起因するかは知りません。でも旺盛な繁殖力が有りますから、それでブレーキが弱いのかも知れません。
竹田泰淳に『ひかりごけ』という小説が有りますな。北海道で戦中に実際に起こった事を下書きにしていますが、「飢餓状態における殺人を伴わない人肉食を道義的に裁けるか?」という事はもとより、それより「誰もが広義の人肉食をしている」というテーマを投げかけています。でも「弱肉強食」と言われる資本主義の世界でも、「分け与え」による弱者救済の仕組みが機能しているからこそ体制崩壊が起きないのです。
ここから尺八、主に製管の話ですが、ここ30年は他人の市場の食い潰しです。「共食い」ですわ。だから「大橋の為に立ちいかなくなった」と陰で言ってる製管師は何人もいるようです。でもね、「市場が崩壊した」との理由で、これまで通算3人の製管師から援助を求められ、その都度、イクバクカの助力をさせてもらった事も有りましたよ。私に多少の余裕が有りましたし、それより業界人として、その人達を尊敬していたからです。
共喰い」が起こったのは尺八と云うマーケットが毎年縮じまっているからです。業界全体が慢性的な飢餓状態に陥ったからに他なりません。昔のように拡大、せめて均衡の状態だったら、これほどアカラサマな「共食い」はしなくて済んだ・・・。「下手なのに価格が高い製管師が多数いる」という40年前の状態は大いに問題が有りましたが、それでも多少の生き残れる余地くらいは有ったと思います。だって、どんなに注文が多くても大増産なんて出来ない業界ですからね。誰にしろ独占、寡占なんて有り得ないのです。
古典的経済学では不況からの脱出方法は基本的に3つです。生産制限、新規市場の獲得、海外市場の拡大です。原理的には今だって同じなのです。だから、「尺八不況」がまだ顕在化しなかった40年前から、あれほど「価格を下げる為の努力が必要」と言ってきたのです。購買力の増大を図れない所に未来なんか有るもんか・・・。
近頃の明るい兆しとして、中国を筆頭に海外市場の拡大はもう後戻りは考え辛い、国内新規市場も芽が出てきた。喜んでいました。ところが、そこへ降ってわいた今回の「コロナ騒動」です。これで尺八家の皆さんも分かったでしょう。持続化補助金を受け取る前提として、キチンとした納税が必要だし、相互扶助の機能も無い、近代的な産業形態をもたない業界が如何に脆いか。今年は、もう演奏会は無いでしょう。プロ演奏家は大変ですが、おさらい会や会の集まりが無ければ、尺八の需要も激減します。
済んだ事を言っても仕方が有りません。コロナも峠を越しました。これから再生に向かって頑張りましょう。明るい兆しは、コロナが終われば復活します。
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