一休
- 2014/12/31
- 17:11
新年おめでとうございます。とは言っても私には大学以来、1月1日は12月31日の翌日と言う以外の意味は有りません。尺八屋になってからは1年という区切りも無くなりました。ただ日にちが連続して続いているだけです。サラリーマン経験が無いとこうなります。ずっと月給では無く日銭稼ぎですからね。門松は 冥途の道の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし これは一休の作と言われています。本当なんですかね?尺八界には牧原一...
竹堀り人
- 2014/12/30
- 18:30
尺八用の竹材がピンチですな。もう行き止まり。良い竹が手に入らないと言うより先にプロの堀り師がいなくなりました。もう竹が売れないので仕方ありません。堀り師の高齢による引退は当然として、後継者がいないのです。当たり前です、将来性の無い仕事に若い者が就きますかいな。竹堀り人のほうが製管師より良いと言われていたのは、もう三十年も前になってしまいました。素人の掘る竹は、使い物にならないと言うより使う意味が無...
大井如水
- 2014/12/29
- 18:26
尺八とは、もともとは竹の節を抜いただけの笛でした。この状態でも竹の太さが合えば何本かに一本は良く鳴るという物が有ります。ただし一尺八寸管で直径30ミリくらい、極く細い物です。今の尺八は32ミリから37ミリくらいが商品範囲ですから、ほとんどの物が、それより細いという事になります。商品範囲の竹だと、ほとんどの物が内径が広すぎて、楽器として「鳴らない」のです。ただ直径34ミリの竹でも10本か20本に1つくらい鳴る物...
毒婦
- 2014/12/28
- 23:06
このところ婚約者や旦那を毒や練炭で殺害したのではないかと言うトンデモナイ疑いをかけられている女の人が相次いで出てきました。ブルブル、私も女性には縁の有るクチですから気をつけよう。でもマア私は借金も無いかわりに大した財産も無いし、まずまず大丈夫でしょう。それでも何ですな、昔も「妲己のお百」とか「夜嵐お絹」とかのコワイオカタがいましたが、今は疑いをかけられても海坊主のせいには出来ませんや。やったんなら...
長管尺八の限界
- 2014/12/28
- 08:18
長管とは普通二尺管以上を言うようです。主として民謡尺八と古典本曲そして現代曲に使います。前は圧倒的に民謡からの注文でしたが、その後の民謡の急激な萎みにより今は古典本曲の需要が多いですね。ところで長管の一番長いものはどの位ですか? 私も良くは知りませんが、これまで「楽器」として見た、聞いたという範囲なら、三尺五寸管です。A管(二尺三寸)のオクターブ下で実際の長さは1メートル13センチ有ります。どういう使...
サギ
- 2014/12/26
- 19:06
昔、友人と香港に行ったときの事。香港旅行で金儲けが容易く出来る方法を目の当りにしました。50万円くらいする高額カメラに保険をかけて香港で売却。その男はカメラ屋でしたから、もともと仕入れ値ですから、いくらタックスフリーの香港でも50万に1~2万円上乗せで簡単に売れます。その後、警察に行き、途方にくれた表情で、カメラを盗まれたと訴えるわけです。この種のことは香港では日常茶飯事ですから極く簡単な現場検証で盗...
尺八の価格の差
- 2014/12/25
- 23:07
尺八の価格は何処で決まるのか?ですって。 何を今さら・・・、「見た目」に決まってるじゃないですか。「見た目」すなわち竹材と言い直しても良いでしょう。竹材で10万円すると聞くと皆ビックリしますが、キョウビ竹ごときで20万する物も有りまっせ。1万円の竹で作った尺八が10万円だから、10引く1で9万、故に10万の竹なら19万の尺八、こうはなりませんですわ。まず50万ですかね。ボッタクリが通れば100万、200万ですわ。「...
ドタキャン
- 2014/12/25
- 18:33
演奏の仕事でドタキャンほど頭にくるものはありません。 特に、自分でなくて人につないだ仕事でドタキャンが有れば面目丸つぶれです。これまでの最悪のケースを言いましょう。1984年、オンデコ座の田耕さんからヨーロッパ演奏公演の話しが来ました。半年間拘束でアゴとアシが付くのは当たり前として、ギャラが1月あたり10万円だと言うのです。 これでは相当に探すのは難しいですが、「なんとか頼みますよ」と言われ、何人かの...
袖すりあうも 其六(井上ひさしさん)
- 2014/12/23
- 22:10
1982年。まだ千葉県の船橋の住んでいた作家の井上ひさしさんに原稿を戴きに行きました。朝の8時に渡すということだったので、早起きしてご自宅に行ったのですが・・・ご老人が出てきて「すみませんねえ、昨夜は徹夜だったので、まだ寝てるんですよ。起きたらすぐ書きますから」 そういう事です。それから一人で延々と・・・10時になると秘書の女性が二人仕事しに来ました。「ごめんなさい、もう起きて原稿にかかってると思います...
虹の時代
- 2014/12/22
- 20:02
昭和50年代に1年に1度の邦楽の祭典として現代日本音楽祭が有りました。1回目、2回目は私のプロデュースでしたが、3回目は法政大学三曲会の学生達がやり、4回目からは関東学生三曲連盟に主催が移り、結局10回まで続きました。1回、2回は規模、メンバー、内容ともに、その年の邦楽演奏会で最高だったと思います。1350席の九段会館を「義理売り」無しで満席にしました。今、私がこれまでに聴いた邦楽家達でもう一度演奏会を企画...