舞台度胸
- 2015/03/31
- 23:35
私は度胸が良いと言われます。「度胸だけ」 「無鉄砲」とか昔から言われてきました。人が「死ぬことを考えると怖くてしかたがない」とか言っているのを聞いても、あまり実感が有りません。横山勝也先生は若い時から死ぬことが怖かったそうですが、「アナタは怖くないですか?」と聞かれたので、いつものように答えたら、「素晴らしい」とエラク感心されました。次のような見解です。トルストイが人間にとって死は存在しないと言っ...
尺八の迷い道
- 2015/03/30
- 23:38
だいたい30年くらい前ですかね、義務教育の音楽授業で和楽器を使っても良いことになりました。そして、やがて「配慮すべき事情が無い限り」和楽器の教育が義務化されました。そのことで恩恵を受けたと言えば太鼓でしょう。今かなりの中学高校に和太鼓のクラブができました。尺八は授業で扱われる事すら、ほんのわずかです。笛は一人ひとりが所有しないと駄目だと言います。他人がクチをつけたモノは嫌だそうです。倉橋由美子の「ヴ...
サラ金
- 2015/03/29
- 22:40
私が初めてサラ金の戸をくぐったのは大学4年の時でした。私は別に必要なかったのですが、友人に頼まれたのです。そいつは何らかの事情が有って(見当はつきますがね)、要するにサラ金に断られたのです。それまで学生相手のサラ金が有るとは知りませんでした。金の無い学生に担保も無しに金を貸してくれるとは思いませんでした。初めて行ったサラ金は簡単に貸してくれました。金利は月9分ですけど、それは質屋と同じですから別に...
尺八の潮目
- 2015/03/28
- 22:11
私の人生は日本の一番良い時代と重なったと思います。これから更に良い時代になるのかも知れませんが、少なくとも、それまでで一番の状況が続いたことは間違いありません。閉塞感、時代の窮屈を言う人もいますが、これまでずっと自営で気儘に生きてきましたので、私はそう感じたことは有りません。これまでの人生で他人から給料を貰ったのは、若い時のほんの一時期にプロレスを仕事にしていた時だけです。後は自分の箸でメシを喰っ...
郡川直樹さんの風景
- 2015/03/27
- 23:27
郡川直樹さんは去年11月に亡くなりました。孤独死という状態で、お弟子さんが連絡がとれないことを心配して、マンションの管理人に部屋を開けてもらうと、亡くなっていました。私が最後に会ったのは去年5月で、仙台の駅前で一杯やりました。驚いたのは、その顔色の悪さ、痩せかたで、「どこか悪いのですか?」と聞くと、手術して胆嚢を取ったと言っていましたし、毎朝の日課である手裏剣の稽古も止めているとの事でした。日本酒を...
遠い日の夢
- 2015/03/26
- 22:09
私の学生時代は学園闘争の真っただ中で、大学の構内はいたる所にアジビラが貼ってあり、正門をくぐると、いつもヘルメットにゲバ棒のサヨク学生達がいて拡声器でアジ演説を大声でがなっていました。私も大学構内で人が死んだ現場に居合わせましたし、、内ゲバで半殺し、カタワにされた現場も見たことが有ります。部室が集まっていて、よく出入した通称「六角校舎」で私の在学中に確か二人、リンチで死人が出ています。「怖くなかっ...
シルバーパワー
- 2015/03/25
- 23:03
尺八でお客と接していると、つくずく日本にはシルバーパワーとも言うべき潜在的な力が眠っていると感じます。これまで私の会社に参加してくれた老人達、みんな60の停年過ぎ、言い換えれば会社や工場あるいは官庁で立派に務めあげた方達です。例外的に、どうしようもないワガママ者もいましたが、ほとんどの人が実に責任感の強い誠実な人間性の持ち主でした。みんな風貌も立派なので、尺八を買いにいらした人が、誰に挨拶したら良...
袖すりあうも 其七(高橋竹山さん)
- 2015/03/24
- 21:17
1976年の初夏のこと、私の企画した演奏会に津軽三味線の高橋竹山さんに出ていただきました。会場は当時としても邦楽演奏会では手にあまるキャパシティ千人の久保講堂です。私が会場に到着すると、その時66才の高橋さんは陽だまりの中に立っていらっしゃいました。田舎のお爺さんがノンビリ日向ぼっこしているという穏やかな風景を今も昨日のように思い出します。初対面の挨拶の後に、しばらく世間話をしましたが、そこも全く田舎の...
国立国楽院
- 2015/03/23
- 23:39
大学を出て一年くらいした頃、私が夢中になっていたのは、尺八でもなければ、大学まで熱心だったプロレスでもありません。ぼろ儲けです。それまで自由にならなかった金の魅力にハマりました。目についたのは韓国です。1974年当時の韓国は貧しい国でした。日本には及びもつかないので、身近な目標として「タイ、フィリピンに追いつけ追い越せ」と言っていた時代です。何しろ年収(日本円で)五百万円の人が前年1973年に二千人程度だ...
岐路をすぎた尺八
- 2015/03/22
- 22:49
もう20年になります。私はかつて「岐路に立つ尺八」という本を出しましたが、あれから尺八界は岐路を衰退方向に曲がってしまいました。もう岐路に戻ることはありません。今は分かる、きっと、どんなことをしても20年前に繁栄方向に舵をきることはできなっかったのだと思います。これから尺八界は、と言うより流や会派は消滅にむかい下り坂を急降下して行くのですが、楽器としての尺八が無くなるわけではありません。「それなら良い...