クサヤ
- 2015/11/30
- 23:17
地歌ってクサヤの干物みたいなものだと思います。好きな人には堪らないけど。こうおっしゃったのは横山勝也先生です。私は東京生まれの東京育ちですのでクサヤは子供の時から食べていましたし、まわりに嫌いと言う人もいませんでした。高校3年の冬は毎日、弁当にメシとクサヤを一枚持って行って、昼になると石炭ダルマストーブで温めて食べていました。クラスメートは「クセェ、クセェ」と言っていましたが、誰もヤメロと言わなか...
紙芝居
- 2015/11/29
- 21:47
子供の頃は町にやってくる紙芝居が楽しみでした。どこでも中年すぎたオッサンが自転車に紙芝居道具の一式を載せて来るのが定番ですね。尺八界の八割の人にはそのまま話が通じます。カチカチと拍子木の音が響くと、アチコチの家から小銭を握りしめた子供達が出てきました。最低5円だったか、ともかく駄菓子を買わないと見せてもらえないのですが、当時とあって5円でも持たない子もいまして、そういう時「ショウガナイナ、明日は持っ...
シャレとマジ
- 2015/11/28
- 21:03
どうやら火星には今も水が有るらしい。NASAが発表しました。ナニを今さら・・・。私の子供時代は、3十4を8だと答えるる低能児だって火星にはタコがいることを知っていましたぜ。タコがいる以上は海水が有るんでしょうが。こりゃバカのオイラにだって分かる理屈だぜ。1976年頃ですがね、アメリカから「人間か猿か、はたまた混血か?」と言うフレコミでオリバーというサルが来ました。アメリカのショーですから、イイカゲンを楽し...
幻のザ・邦楽
- 2015/11/27
- 23:04
邦楽ジャーナル誌が創刊されてから間もなく28年になります。正直に言って私は3号雑誌で終わると思っていました。創刊の話を聞いた時、どう考えても商業として邦楽雑誌が成立するとは思えませんでした。和楽器の組合とかが金を出し合って発行する「業界御用達雑誌」ですとマア当たり障りの無い事しか書けませんわな。邦楽ジャーナルが支持を得たのは業界の紐付きではなかったからです。社長の田中さんは、関西大学の出身で卒業と同...
ケセラセラ
- 2015/11/26
- 21:16
世の中はなるようになるものでしょうか。そう思って何にもしなかったら、それはどうなるか見当がつきますわな。余程の財産家の子弟でもないかぎり日本ではケセラセラで一生すごせるもんではないです。私みたいに大学を出てからズット自営でやっていると、人からは余程に変わった人生観を持ってるように思われることも有るようです。トンデモナイ。ただ勤め人になるつもりが無かっただけのことです。自分にとっての楽な道を選んだに...
中国地方展示会のご案内
- 2015/11/25
- 22:01
ホームページが明日くらいに回復しますが、中国地方の展示会をご案内します。2015年12月4日(金)松江テルサ(レンタルルーム3) 午前10時から午後17時まで松江市朝日町478-18 電話0852-31-5550 この会場は松江駅から歩いて1分です。分かり易いです。この前の和歌山展示会ですが、住所と実際の会場と違う場所だったんです。お金をとって会場を貸していて、こんなの初めてです。そうそう15年くらい前ですが...
ドカタのバイト
- 2015/11/24
- 18:04
大学3年の後半はドカタのバイトにあけくれました。法政大学三曲会の男は10人以上がやっていましたかね。どうして?そこそこ金になってキツクないからに決まってるじゃないですか。ただし汚い。でも法政大学三曲会の男って私以外は汚いの平気なんです。タオルでネジリ鉢巻き、ランニングシャツ、ニッカポッカ、地下足袋で、スコップ、ツルハシ、汗だくでモッコ担いで。こういうのが当時のドカタの一般的イメージでしたが、そういう...
意志の連続
- 2015/11/23
- 23:00
尺八家で横山勝也ほど多くの人に愛され、シンパが多かった人もそういないでしょう。尺八の大家といわれた人で威張ってオタカクとまっている人も知りませんが、横山先生はひときわ敷居が低かった。初体面の人に話かけられても常に笑顔で丁寧に応対し、誰でもがタチマチにしてファンになりました。人間ですから勿論欠点も有りますが、ともかく、人に嫌な思いをさせまい、傲慢な振る舞いをしなかろう、自分に出来る事であれば人の為に...
初めの1本
- 2015/11/22
- 23:57
1980年以来、尺八を作り売り、もう35年経ちました。これまで売った尺八は1万5千本くらいでしょうか、最初の何年かの記録が失われているのでハッキリしませんが、そのくらいだと思います。さて、初めの1本は誰に買っていただいたのか? 実は、生産前から「29800円で尺八を出す」と言ってましたので、友人知人から「出来たら買う」との予約が50本以上も入っていました。そういう以外、つまり全く見知らぬ人からの最初のお買い上げと...
オイルショック
- 2015/11/21
- 21:50
私が社会に出た1973年の秋にオイルショックが有り、多くの方が御記憶の通り、日本の長く続いた高度経済成長は終わり、一転して不況になりました。それ以前、私の学生時代は人手不足がはなはだしく就職には何の困難も無かった時代です。卒業後の4月になっても、学生課に行くと企業の求人募集票がまだ大量に残っていました。私の1年先輩で、学生時代に「一生気楽なアルバイトで暮らす」と広言していた人がいましたが、卒業後に急に弱...