生活の重み
- 2016/02/19
- 20:57
私が大学2年だった1970年の秋、大学にほど近い自衛隊の市ヶ谷駐屯所で三島由紀夫が割腹自殺をしました。三島は当時、たいへんに人気が有った作家で、『金閣寺』、『仮面の告白』はじめ代表作の幾つかは、文学部の学生なら誰でも読んでいたでしょう。川端康成がノーベル文学賞をとる前、三島も候補だと言われていました。志賀直哉、谷崎潤一郎なども以前の下馬評には上がっていたと噂されますが、三島の場合は、そろそろ日本人...
曲の軽重
- 2016/02/18
- 21:28
30年前、尺八を買っていただいている関係で、よく助っ人で尺八を吹いていた民謡の会で「折角だから大橋先生も何か一曲歌ってくださいよ」と言われ、それではと「御立酒」と言ったところ怪訝な顔をされました。「変ですか?」。そういう事より、「重い曲」なので気安く歌う曲では無く、まして私の様な全く民謡を知らない者が、聞きかじりで歌うようなモノではないらしいのです。ただ、前提として、民謡を正式に習っていない私にと...
権威
- 2016/02/17
- 21:46
私達の学生時代は「学園紛争」の盛んな時で、左翼運動をやっていた学生は一部でしかありませんが、やっていないノンポリ学生でも影響を受けていて、会話や言い合いの中に、しばしば「サヨク用語」が使われていました。「権威主義」というのもその一つで、しばしば言い合いの中で「それは権威主義の最たるものだ」とか相手を攻撃するのに使っていました。当時は「造反有理」がハヤリですから、若い者は権威に反抗するのが良いとされ...
喰い逃げ
- 2016/02/16
- 21:35
私のお客には飲食店の経営者がたくさんいます。中で親しくしている地元の食堂のダンナが、喰い逃げに嘆いていました。私の若い頃の「食い逃げ」は、店員の隙をついて走って逃げるというのがパターンでした。流行っている割りに店員が少なく目の届かない店、店員がカウンターの中、しかも盛り場で、逃げればすぐに人ごみに紛れてしまう店であれば、ほとんど食い逃げは日常茶飯でしたな。店主にしたら、その為に店員を一人雇う事も出...
木更津・千葉・上野の展示会
- 2016/02/15
- 21:59
3月も展示会をします。本当、展示会は昔ほどの利益は出ないけど、宣伝の為、プレゼンの為、やらないわけにはいきませんや。2016年3月11日(金)ホテルロイヤルガーデン木更津(会議室) 午前10時より午後6時まで木更津市大和1-8-14 電話0438-22-7211木更津の駅から徒歩3分ですよ。10年前と違い今日この頃は駅から近くないと駄目ですね。エッ、車で来るって、高齢でもう運転しない人が多くなり...
尺八価格の謎
- 2016/02/14
- 21:38
今までで一番高かった尺八っていくらでしたか?こういう質問を受けることも有ります。さあ、良く知りませんね。「本当に払った」と実際に聞いたのでは750万円ですよ。買った本人も半信半疑。でもニガワライで済ませていたのは、私の30倍くらいの収入の有る異常な高額所得者だからです。私だって聞かれもしないのに「あんた、ボラれたんですよ」なんて言いませんわ。このケースは話を聞くと、単に金持ちからボッタクッタという...
昔し東京
- 2016/02/13
- 22:35
私の大学時代は、まだ大学の郊外移転や学部別に場所が分かれるという事もなかったので他大学との交流は簡単でした。法政は山手線の円のほぼ真ん中、千代田区に有りましたので、何処へでも比較的簡単に行けました。私は街歩きが好きでしたし、ほとんどの大学が山手線の円の内側に有りましたから、ダイタイ歩いて行きましたよ。45,6年前ですから、東京は戦災を受けたとは言え、戦前の名残りがいたるところに残っていました。流石...
名刀物語
- 2016/02/12
- 23:29
時代劇を見ていると、鎧武者に日本刀で立ち向かいバッタバッタと切り倒すシーンに出くわしますな。でも冷静に考えて、これって有り得ないですよ。鎧兜に身を固めた人間に日本刀で致命傷を与えるのは、余程に上手く隙間に入りでもしなければマズ無理でしょう.。明治時代ですよ。直心影流の榊原鍵吉が明治天皇の前で真剣による兜割りをやったと伝わります。人によって語られる内容はマチマチですが、兜に5センチ以上食い込んだのは...
プロって?
- 2016/02/11
- 18:08
若い人から、尺八の演奏家ってプロの音楽家って言えないのではないか、そう質問された事があります。まだ藤原道山さんみたいな純然たるコンサートプロが出てくる前ですよ。その若者は、プロを狭く限定して考えていたんですね。、レコードやチケットを弟子をあてにせずガチで売る、収入のほとんどがギャラ、免状売りはしない、「手打ちコンサート」もしない。プロにこういうイメージを抱いていたんでしょうが、当時にあっては、そん...
怒りの方向
- 2016/02/10
- 21:53
ヒトコロ「進歩的何々」と言う言葉が流行りました。勿論、字ずら通りの意味ではなくて、タブンに冷やかしの意味で使っていました。おそらくホントウはこう言いたかったのだと思います。「アカ、ヒダリ、キョ―サントー」。私の場合、青春の多感な時代が「サヨク運動」の全盛の時でしたから、20代を通じて「ウヨク」と言われていました。もっとも、私は人に何と言われようと少しも気にならない性格ですから、それは今でも何とも思...