犬の記憶
- 2016/04/20
- 15:29
私が幼稚園に入る前、家には白い大きな犬がいました。その犬には淡い記憶しか有りませんが、私とツーショットしている昭和28年頃に写した白黒写真が残っておりまして、3歳の私より大きくて、社会的地位も上に見えます。その犬が死んだ時の記憶は有りません。家で死んだのは確かですが、いつの間にかいなくなったという感じです。それから小学校5年くらいまでは常に家には犬が複数いました。その頃は、放し飼いが普通でしたから...
残るはソフト
- 2016/04/19
- 22:19
今の尺八界って楽器や演奏家の質的向上ぶりは目を見張るものが有ります。あとはソフトです。多くのカルチャーでは60過ぎた人達が演歌、ポップスあるいは民謡等を吹いていますし、また少数ながら古典に特化していて、なお人数を確保できている処すら存在しています。ただ、現代邦楽に主体をおいたカルチャーというのは、私は聞いたことが有りません。つまり、良いとか悪いとかは別にして、尺八をこれからやろうと考えている人には、...
尺八の脱皮
- 2016/04/18
- 22:22
もう尺八の海外普及の流れは止まらない。今、柿堺さんが上海で講習会を行っています。神崎さんの亡くなったことはダメージでしたが、もう中国における尺八の拡大拡散は流れとして止まりません。この次は6月に私が行きます。そして何年か後には尺八にとって無くてはならない国になると、希望を込めて予測します。「期待の段階だろう」って言いますかい。そうですが、芽が出たら後は育てるのは育てる側の腕ですよ。何もしないで見て...
オセロ
- 2016/04/18
- 10:46
私の友人で一流企業に勤めていたにもかかわらず、ヘッドハンティングされて保険屋に鞍替えした者が二人いました。有名な家電メーカーの名が冠された保険会社ですが、両名とも今はそこに居ません。クラス会で聞くと、学校時代に親しかった者、それほどの付き合いのなかった者、トモカクほとんどの人間が連絡を受けていました。「それで大橋、お前はどうしたんだよ?」。「そりゃ入ったさ、何しろ俺に一番に連絡してきたんだからよ、...
見えざる手
- 2016/04/17
- 21:51
一昨日から3日間、展示会をやり今戻りました。酒田、長岡、大宮とまわりましたが、各地でお客と話込み情報収集しました。今にいたっても「何の為?何の役に立つ?」と言う人がいます。何の役に立つ?ったってアナタさん、他の、そう尺八以外のオトナの業界を見てごらんなさいな、情報収集もしないで、やっている所なんて有りますか?その世界、業界が短未来にどう変わるのか、そして長い目で見ると、おそらくこういう風に変わって...
闇鍋
- 2016/04/13
- 22:31
学生時代、よく他人の下宿へ行ってメシを作って食べました。うちのクラブの者はどういうわけか、もともと学食は昼飯にしか使わなかったので、夜は外食が普通でしたが、たまたま誰かが「今日は久しぶりに何か作らないか」と言い出すと、誰かの下宿で皆が集まり自炊します。鍋が多かったですね。鍋だと失敗はないですし、人数が後から増えても何とかなりますわな。築地でスッポンを買ってきてマル鍋を作ったのは特別の場合で、鶏、豚...
追い風
- 2016/04/12
- 23:03
風が吹いている。尺八に吹いてくる風は去年の後半から徐々に強まっています。でも、まだ何となく疑う気持ちも有ります。1982年にNHKが尺八講座を始めた時、1999年に全国展示会を開始した時、はっきり手ごたえを感じました。何しろ売り上げが、それぞれ年間ペースで4倍以上になったのです。それに較べて今のは、追い風が吹いていることは感じてもブレーク感は無いのです。売上の内容を分析すると、カルチャー講座、新しく...
尺八の主体性
- 2016/04/11
- 22:17
1970年度の青木静夫リサイタルでの「残月」。「モノスゴイ尺八」と良くも悪くも話題になりました。もうロなんか大音量で吹くんですよ。他の音でも思いっきり鳴らすという感じでした。それで反対派の声が挙がりました。「三曲合奏の尺八はあんな大きな音で吹くものではない。あれでは箏や三弦の余韻が消されてしまい、曲の持ち味もなにもあったものじゃない」。私達学生の感想はと言えば、難しく考えず、とにかくカッコ良かった...
けしの花
- 2016/04/10
- 21:33
菊岡検校作曲の「けしの花」、こんな可憐な曲はちょっと無いですね。尺八の練習では比較的初期にやる曲で、「黒髪」、「六段」、「千鳥」と進んで「新高砂」、「八千代獅子」を終えて次くらいの順で稽古します。私達のクラブでは、「夕顔」、「末の契」と並んで「中伝三曲」と呼んでいて、ダイタイ尺八を持って1年以内にはマスターする曲とされていました。この曲を嫌いと言う人はあまりいないと思います。「末の契」にくらべ手が...
名人がいる(四) 後山邦秋
- 2016/04/09
- 21:28
若い時に尺八を吹き、人から上手いと言われ、自分でもマンザラでなかった人にとって、五十は一つの峠です。ここを越えてしまうと、もうプロは望めない。六十で停年を迎えてしまってからでは、もう遅い。そう考える人が多いようです。私は六十で退職金を貰ってからでも遅くないように思いますが、まあ暮らしの心配が無くなれば、早いにこしたことはないでしょう。五十で脱サラして尺八のプロになった人は私の周囲で何人もいます。そ...