44年目の真実
- 2017/02/16
- 23:10
この時期でしたね、亡くなった藤田都志先生の門下生発表会、「紅梅の会」が毎年有りました。私が最初にゲスト出演(いや賛助出演だったかも知れない)して舞台をつとめたのは1973年、大学卒業の間際でした。その時に吹いたのは「秋の言葉」。箏の本手が田巻さんと尾崎さん、そして替手が羽賀幹子先生です。私って羽賀先生との下合わせをすっぽかしたんです。「駅までは来てたのにどうしてなの?来れなかったのはアナタだけです...
全方向の尺八
- 2017/02/15
- 22:06
1週間くらい前に4人で来た御客、全員70過ぎの人でしたが、しばらくぶりに見たクラシックタイプの尺八愛好家達で、ふと懐かしい気持ちになりました。その日は、ちょうど同時刻に別の2人組の御客が来店して、その一人が現役の大学生でしたので、その価値観のズレたるや、まるでスレチガイです。曲の好みでは無いですよ。どちらも目指す所は古典本曲でした。同じ志向なのに、取り組み方が違うと相互に如何に理解し合えないか良く...
そりゃ違うだろう
- 2017/02/14
- 23:13
私の三男が10日ほど入院していました。病院では1日中ベッドで寝ていたので、朝はかなり早く目が覚めてしまったらしく、早朝4時からテレビを見ていたそうです。今は松平健主演の「暴れん坊将軍」の再放送をやっているらしく、病院で見ていたらクセになって、仕事に復帰してからも録画して見ています。今日の放送では、田舎のオバア役で浅香光代が出ていました。私は60年前に、この人に頭を撫でてもらった事が有ります。祖父が...
家紋
- 2017/02/12
- 23:52
今日久しぶりに今川焼を買いました。冬になると今川焼が出てきますな。小さい時に、その名の言われを物知り博士の祖父に訊きました。祖父はタイガイの事は知っていましたね、「今川の家紋がそういう形をしているんだ」。今川は今川義元の家の事です。正式な家紋は「赤鳥」、いわば馬用の櫛なのですが、足利家の分家なので「丸に二つ引き両」つまり今川焼の紋も使っていました。どういう分けか、この方が知られています。私の家紋は...
上の経験
- 2017/02/12
- 09:19
昨日、土曜日の夜ですよ、テレビを見ていたら中尾彬という俳優が出て、お気に入りの店と料理のウンチクを語っていました。台本が有るので共演者は「そうなんだ、知らなかったなあ」と合い鎚を打っていましたが、食べ物に関心の有る者なら、誰でも知っている初歩の知識ばかりです。だから聞いていて感心しました。初歩の基本的ウンチクを人に興味を抱かせて語れる人こそ凄い。私は本物だと思いました。あまり売れていないタレントだ...
リンチ
- 2017/02/10
- 23:03
今、話題になってますな。万引きをした人の顔を出してインターネットや店内張り出しで私的制裁をする事の是非が。これって難しい問題ですよ。前も本屋さんが万引きの常習中学高校生を防犯カメラで撮って、そのテープを公開して物議をかもしましたが、「やりすぎだ」と言う意見が有る一方で激励する人もかなりいました。これが「私的制裁の禁止」という法律に抵触する事は分かりますが、「なら、どうすれば良いんだ」という業者の言...
ピーク
- 2017/02/09
- 22:46
人間のピークって幾つですかね。体力的には20代前半でしょう。性欲もその頃。反射神経だと10代の後半、記憶力は10~18歳くらいでしょうか。でも知力となると経験とか洞察力、分析力等の総合ですから50歳前後なのではないでしょうか。スポーツでもボクシングとか相撲、サッカー、野球なんかは選手寿命が短いですね。スポーツと演劇の狭間にあるプロレスとなると40位が最も良い年齢だと言われています。尺八で島原帆山先...
縦線の乱れ
- 2017/02/08
- 22:08
私だって大学に入って前期試験までの半年、正味4か月は少しは授業に出たのですよ。ただ1年2年は専門課程が少なく、一般教養課程つまり言ってみたら高校の時のオサライ、それもかなり程度の低いレベルですから、後期になっても真面目に出席している学生は皆から内心でコケにされていました。その頃は「授業なんか出ているとマトモなオトナになれないぞ」と本当に言われていた時代です。世は「大学生は造反有理」の時代で、別にサ...
表キャラ
- 2017/02/07
- 22:24
私は大学からの友人やお客からは饒舌、つまりよくシャベル人と思われています。ただ、これを家族や工房スタッフが聞くと笑います。私の家や工房は、近所の人や作業中の訪問客には話し声がしないとよく言われるほどに、ひっそりと静かです。高校までの友人も私の事は、口数が少ないと思っています。そりゃそうだ、それが私の本性だもの。このギャップを説明する前にお話しすることが有ります。私の若い頃には女性は一般にオトナシク...
柔軟性
- 2017/02/06
- 18:17
1970年代の前半は韓国に行くのに常に関釜フェリーを使いました。下関から釜山まで片道5千円の雑魚寝部屋で行くのです。飛行機と違って大量の荷物を運べましたし、乗り合わせている在日韓国人達と話が出来るのも魅力でした。在日のオバちゃん達は、いわゆる「運び屋」をやっている人がたくさんいました。大きな行李を幾つも運んで船に乗って来るのです。非常に良く税関法を知っていて、どんなに多くとも必ず免税の範囲でした。...