オリンピック
- 2019/02/08
- 10:57
ああ待遠しいなあオリンピックが。今度のオリンピックこそ、尺八にとって空前のチャンス到来だと私は思っています。その開会式、閉会式、そこで展開される光景は全世界数十億の人が見ます。また日本人1億3千万人のうち1億5千万人が見るでしょう。
その演出の総合責任者が野村萬斎。そして邦楽は藤原道山が担当しますから、それがどの様なものになるかは想像がつくでしょう。「そりゃあ良い。素晴らしい古典邦楽の世界が展開する」、本気でこう思うのなら、今すぐ精神科を受診する事をお奨めします。
1964年のオリンピックは良く憶えています。私は中学2年生でした。その日は開会式のテレビ中継を生徒に見せるために、どこの学校も休校か半ドンになっていたのです。私は、どうせ夜にも放送されるからと、友達と遊びに行きました。自衛隊のスカイチーム「ブルーインパルス」が描いた大空の五輪を見たのは戸田のボート場の有る川べりでした。そりゃもう、それなりに感激しましたよ。今も不思議なのは、あんな大きい輪だったのが、その後どこを探しても見えねえ。さては誰か盗んだな。
あの頃は、なんて言うか、日本中が一つの気持ちになって盛り上がっていたように思います。まだまだ戦争の後遺症も残っており、また東西冷戦がたけなわだった時代です。
夜には開会式がテレビで再放送されて私も見ましたが、分裂国家だったドイツが東西統一チームを作りベートーヴェンの「第九」で入場してきた光景は今も鮮やかです。でも、同じく「統一チームか?」とも言われていた北朝鮮は遂に参加しませんでしたし、中国は大陸が参加せず、代表が台湾の中華民国でした。でも、特別の疑問は無く「そういうもの」という感じで受け止めていました。
その時代は、ベトナムではアメリカと中ソの代理戦争の真っただ中だったんですよね。そういう時に「とりあえずオリンピック期間中は・・・」でしたから、「平和の祭典」も重みが有りましたな。
今度のオリンピックでは、尺八に関して、多くの日本人が、いまだ目にした事のない光景が出現します。現在でも多くの人は尺八に関して「イジケタ老人が背を丸めてシケタ音を出している」という30年前までの光景がイメージを支配しています。それが一瞬で変わります。
テレビを見ている世界の人は、99パーセントの人が尺八を初めて見ます。そして演奏を聞いて、尺八に関心をいだく人が、仮に1万人に1人だとしてすら、途方も無い集計数になります。日本では、常識的に考えて、それ以上でしょう。
知られていなかった楽器がオリンピックを境にブレークする、これは絵空事ではなく、例えば古琴です。中国でも忘れられていた楽器だったのですが、北京オリンピックの開会式で演奏されて、今に続く爆発的ブーム(たぶん琴系楽器では現在世界で最も演奏者が多いと思います)になりました。サッカーワールドカップの南ア大会、そこで大人気になったブブゼラなんか、貴方知ってた? オレ、今も知らないぜ・・・。
日本における尺八というモノの、潜在人気は、これまでだって大したものでした。でもソフトが詰まらなすぎた。古典邦楽は、尺八をやっている人にすら人気が無いものです。これまで何百人という尺八家に訊きましたが、積極的に「好き。面白い」と答えた人は2割いません。貴方や私が好きだって、大勢に影響は有りません。「伝統邦楽は終わった」、こんな事、とっくに皆が知っています。「そうだよ。だから新しい曲もやっている」とか言う地方サークルの人がいますがね、新しい曲たって現代邦楽でしょう。私が知る限り、それが盛んに演奏されていた時ですら、古典邦楽より人気が有りませんでしたわ。
先だって、お箏屋さんと話しましたが、業界の観測では、次の世代には地方部では箏人口が壊滅状態になるそうです。「かろうじて仙台の規模の都市でないと存続しない」と言う事でした。これは前から、「尺八ではそうなる」と私は思っていました。私は全国各地を展示会で回り、たくさんの人と話して、地方部では何処も若い人がいない、入ってこない、そういう現実を知っていました。それは何故か?若い人がやりたい曲をやれる場が地方には無いからです。教える先生も当然のこと存在しません。
それが一変するのがオリンピックです。若い人が、本当は今の老人も、欲しているのは、尺八の魅力を出して、しかも「聞いて楽しい曲」です。それが具体的にどういうものなのかは、テレビを見れば分かります。現在、頻繁に尺八曲の断片が流れています。これって、かつて無かった現象なんですよ。そこに古典や現代邦楽は有りません。「聞いて楽しい」からテレビは使うんです。
今はまだ、私が指摘すると、「そういえばそうだな」の段階ですが、オリンピックを境に、「尺八は古典も演奏できる和楽器」に変わり、そして、かつてのギターの様に「まずは自分でやってみる楽器」となるでしょう。
もう1年半。それまで死ねねえや。
その演出の総合責任者が野村萬斎。そして邦楽は藤原道山が担当しますから、それがどの様なものになるかは想像がつくでしょう。「そりゃあ良い。素晴らしい古典邦楽の世界が展開する」、本気でこう思うのなら、今すぐ精神科を受診する事をお奨めします。
1964年のオリンピックは良く憶えています。私は中学2年生でした。その日は開会式のテレビ中継を生徒に見せるために、どこの学校も休校か半ドンになっていたのです。私は、どうせ夜にも放送されるからと、友達と遊びに行きました。自衛隊のスカイチーム「ブルーインパルス」が描いた大空の五輪を見たのは戸田のボート場の有る川べりでした。そりゃもう、それなりに感激しましたよ。今も不思議なのは、あんな大きい輪だったのが、その後どこを探しても見えねえ。さては誰か盗んだな。
あの頃は、なんて言うか、日本中が一つの気持ちになって盛り上がっていたように思います。まだまだ戦争の後遺症も残っており、また東西冷戦がたけなわだった時代です。
夜には開会式がテレビで再放送されて私も見ましたが、分裂国家だったドイツが東西統一チームを作りベートーヴェンの「第九」で入場してきた光景は今も鮮やかです。でも、同じく「統一チームか?」とも言われていた北朝鮮は遂に参加しませんでしたし、中国は大陸が参加せず、代表が台湾の中華民国でした。でも、特別の疑問は無く「そういうもの」という感じで受け止めていました。
その時代は、ベトナムではアメリカと中ソの代理戦争の真っただ中だったんですよね。そういう時に「とりあえずオリンピック期間中は・・・」でしたから、「平和の祭典」も重みが有りましたな。
今度のオリンピックでは、尺八に関して、多くの日本人が、いまだ目にした事のない光景が出現します。現在でも多くの人は尺八に関して「イジケタ老人が背を丸めてシケタ音を出している」という30年前までの光景がイメージを支配しています。それが一瞬で変わります。
テレビを見ている世界の人は、99パーセントの人が尺八を初めて見ます。そして演奏を聞いて、尺八に関心をいだく人が、仮に1万人に1人だとしてすら、途方も無い集計数になります。日本では、常識的に考えて、それ以上でしょう。
知られていなかった楽器がオリンピックを境にブレークする、これは絵空事ではなく、例えば古琴です。中国でも忘れられていた楽器だったのですが、北京オリンピックの開会式で演奏されて、今に続く爆発的ブーム(たぶん琴系楽器では現在世界で最も演奏者が多いと思います)になりました。サッカーワールドカップの南ア大会、そこで大人気になったブブゼラなんか、貴方知ってた? オレ、今も知らないぜ・・・。
日本における尺八というモノの、潜在人気は、これまでだって大したものでした。でもソフトが詰まらなすぎた。古典邦楽は、尺八をやっている人にすら人気が無いものです。これまで何百人という尺八家に訊きましたが、積極的に「好き。面白い」と答えた人は2割いません。貴方や私が好きだって、大勢に影響は有りません。「伝統邦楽は終わった」、こんな事、とっくに皆が知っています。「そうだよ。だから新しい曲もやっている」とか言う地方サークルの人がいますがね、新しい曲たって現代邦楽でしょう。私が知る限り、それが盛んに演奏されていた時ですら、古典邦楽より人気が有りませんでしたわ。
先だって、お箏屋さんと話しましたが、業界の観測では、次の世代には地方部では箏人口が壊滅状態になるそうです。「かろうじて仙台の規模の都市でないと存続しない」と言う事でした。これは前から、「尺八ではそうなる」と私は思っていました。私は全国各地を展示会で回り、たくさんの人と話して、地方部では何処も若い人がいない、入ってこない、そういう現実を知っていました。それは何故か?若い人がやりたい曲をやれる場が地方には無いからです。教える先生も当然のこと存在しません。
それが一変するのがオリンピックです。若い人が、本当は今の老人も、欲しているのは、尺八の魅力を出して、しかも「聞いて楽しい曲」です。それが具体的にどういうものなのかは、テレビを見れば分かります。現在、頻繁に尺八曲の断片が流れています。これって、かつて無かった現象なんですよ。そこに古典や現代邦楽は有りません。「聞いて楽しい」からテレビは使うんです。
今はまだ、私が指摘すると、「そういえばそうだな」の段階ですが、オリンピックを境に、「尺八は古典も演奏できる和楽器」に変わり、そして、かつてのギターの様に「まずは自分でやってみる楽器」となるでしょう。
もう1年半。それまで死ねねえや。
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