袖すりあうも 其十三(小室哲哉さん)
- 2019/02/13
- 21:28
東京に住んでいたころは、時に有名人と遭遇した事は珍しくありませんでした。子供時代に住んでいたのは二子玉川でしたから、高倉健が新婚生活を送った家は直線距離で2百メートル。ただ彼の家は山の上でしたから、歩くと5分くらいかかりました。でも、実物を見た事が有りません。もう5分歩くと五島慶太の城の様な館が有りましたが、実物は1回しか見た事がありません。いくらノンビリしていた昭和30年代でも、そんなものですて・・・。
中学から大学までは都心に通いましたから,3か月に1回くらいは有名人とすれ違いました。大学卒業から結婚するまで住んでいた町田市玉川学園の家からは、すぐアナウンサーの森本毅郎やボンカレーでおなじみの女優・松山容子の家が有ったんですが、本人には遂にめぐり逢いませんでした。女優の八千草薫とは電話番号が非常に似ていて、よく間違い電話が有りました。と言う事は先方にも同じくらいは行ってるはずですが、こちらからも、当然先方からも一言の挨拶も有りませんでした。そして、結婚後は念願の田舎暮らしですから、まず有名人には会いません。
小田原の在に住んでいる今の私にとっては、有名人と遭遇する機会が最も多いのは空港でしょう。毎回と言って良いくらい有名人と出くわしますな。若い時にアメリカの空港でデニス・ウィーバー(警部マクロード)と危うく鉢合わせしそうになりましたし、ホノルルの空港でキャンデーを貰った女の子、ありゃ絶対に若き日のコンドリーザ・ライスだぜ。あの顔だもん2人といるもんか。会う機会がもしあれば訊いてみますよ。彼女はIQ200だって。だからきっと憶えていますな、なんせIQが彼女の半分しかないオイラだって憶えているくらいだもん・・・。
1986年頃でしたかね、成田空港の銀行で前に並んでいたのが小室哲哉さんでした。当時、私の妹はテレビタレントをしていて、小室さんには仕事を戴くなど、大変お世話になっていましたので、知らぬ顔も出来ないので挨拶して御礼を述べました。
思っていたよりズット小柄な人で、その頃は後年ほど有名ではなかったので、別に周りで騒いでいる人達もいませんでした。でも空港だとどうでしょう?有名になってからでも同じようなモノだったんではないですかしら・・・。妹から「非常に真面目な人」だと聞いていましたが、なるほどチャラい感じはしなかったですね。「地道に努力する人」とも聞いていましたが、後年の大ヒット連発は地道な市場調査の賜物でも有るのです。「伝統の世界に生きている」オカタ達には市場調査なんて無縁でしょう。
小室さんがメガヒットを連発して、時代の寵児になったのは1990年代の後半です。ダンスミュージックで日本の音楽界を席巻しました。その音楽を構造分析すると専門家の目からは「大した事は無い」んだそうです。それで「論より証拠、やってみせる」とか言ってチャレンジした人も多かった。有名なところで坂本龍一とか松山千春とかがいましたね。でも、そう言うものではないのですね。
いくら「構造分析」したって、要は「コロンブスの卵」ですよ、パイオニア特権です。梶原一騎の劇画やシドニー・シェルダンの小説なんか構造が分かれば誰でも書ける。でも、そうならないですよね。始めた人がファンの大半を引きずって行きますすから、当然「2匹目の泥鰌」はズーと小さくなりますな。
でも今はサイクルが短い、ほんの数年で「小室哲哉時代」は過ぎてしまいました。
尺八の古典は、一見すると流行りもなければ、すたれも無いかに見えますが、今では人気がはっきりしました。尺八の魅力、機能の大半が含まれていて、しかも他の楽器では演奏できない古典本曲だけは「一定の世界性、普遍性をもっている」と、尺八奏者に外国人が多くなった30年前には、もうすでに分っていました。それも此処にきて海童道曲の他の本曲に対する優位性は動かないようです。でもテレビに出てない尺八には古典本曲と言えども、歌舞伎や狂言みたいな固定が有りうると思ったら大間違いでしょう。あれは、やってる本人にしたらどうか分かりませんが、一般人は「伝統芸」の部分は興味無いですもんね。
それで問いたい、今日の海童道曲は本当は「横山勝也曲」ではないのか?あれは「邦楽ジャンル」に分類されるのが適当なのだろうか?
そして究極の疑問。機能性をふくめて「尺八のアイデンティティ」を発揮して、尚且つ海童道曲を越えるソフトは何時頃に発明されるのか?言っときますけど「海童道曲の構造解析」なんかじゃありませんぜ。
確かな所で、日本でもロックやアニソンを好む人がこれから圧倒的に多数派になります。また大量の外国人を抱える今の尺八界で、文字通り「伝統」と無縁の尺八ソフトが出現し始めました。ソフトが無制限に広がる今からの時代。尺八はチャレンジに耐えられるのでしょうか?まだオレは「場」から下りてねえぜ。
中学から大学までは都心に通いましたから,3か月に1回くらいは有名人とすれ違いました。大学卒業から結婚するまで住んでいた町田市玉川学園の家からは、すぐアナウンサーの森本毅郎やボンカレーでおなじみの女優・松山容子の家が有ったんですが、本人には遂にめぐり逢いませんでした。女優の八千草薫とは電話番号が非常に似ていて、よく間違い電話が有りました。と言う事は先方にも同じくらいは行ってるはずですが、こちらからも、当然先方からも一言の挨拶も有りませんでした。そして、結婚後は念願の田舎暮らしですから、まず有名人には会いません。
小田原の在に住んでいる今の私にとっては、有名人と遭遇する機会が最も多いのは空港でしょう。毎回と言って良いくらい有名人と出くわしますな。若い時にアメリカの空港でデニス・ウィーバー(警部マクロード)と危うく鉢合わせしそうになりましたし、ホノルルの空港でキャンデーを貰った女の子、ありゃ絶対に若き日のコンドリーザ・ライスだぜ。あの顔だもん2人といるもんか。会う機会がもしあれば訊いてみますよ。彼女はIQ200だって。だからきっと憶えていますな、なんせIQが彼女の半分しかないオイラだって憶えているくらいだもん・・・。
1986年頃でしたかね、成田空港の銀行で前に並んでいたのが小室哲哉さんでした。当時、私の妹はテレビタレントをしていて、小室さんには仕事を戴くなど、大変お世話になっていましたので、知らぬ顔も出来ないので挨拶して御礼を述べました。
思っていたよりズット小柄な人で、その頃は後年ほど有名ではなかったので、別に周りで騒いでいる人達もいませんでした。でも空港だとどうでしょう?有名になってからでも同じようなモノだったんではないですかしら・・・。妹から「非常に真面目な人」だと聞いていましたが、なるほどチャラい感じはしなかったですね。「地道に努力する人」とも聞いていましたが、後年の大ヒット連発は地道な市場調査の賜物でも有るのです。「伝統の世界に生きている」オカタ達には市場調査なんて無縁でしょう。
小室さんがメガヒットを連発して、時代の寵児になったのは1990年代の後半です。ダンスミュージックで日本の音楽界を席巻しました。その音楽を構造分析すると専門家の目からは「大した事は無い」んだそうです。それで「論より証拠、やってみせる」とか言ってチャレンジした人も多かった。有名なところで坂本龍一とか松山千春とかがいましたね。でも、そう言うものではないのですね。
いくら「構造分析」したって、要は「コロンブスの卵」ですよ、パイオニア特権です。梶原一騎の劇画やシドニー・シェルダンの小説なんか構造が分かれば誰でも書ける。でも、そうならないですよね。始めた人がファンの大半を引きずって行きますすから、当然「2匹目の泥鰌」はズーと小さくなりますな。
でも今はサイクルが短い、ほんの数年で「小室哲哉時代」は過ぎてしまいました。
尺八の古典は、一見すると流行りもなければ、すたれも無いかに見えますが、今では人気がはっきりしました。尺八の魅力、機能の大半が含まれていて、しかも他の楽器では演奏できない古典本曲だけは「一定の世界性、普遍性をもっている」と、尺八奏者に外国人が多くなった30年前には、もうすでに分っていました。それも此処にきて海童道曲の他の本曲に対する優位性は動かないようです。でもテレビに出てない尺八には古典本曲と言えども、歌舞伎や狂言みたいな固定が有りうると思ったら大間違いでしょう。あれは、やってる本人にしたらどうか分かりませんが、一般人は「伝統芸」の部分は興味無いですもんね。
それで問いたい、今日の海童道曲は本当は「横山勝也曲」ではないのか?あれは「邦楽ジャンル」に分類されるのが適当なのだろうか?
そして究極の疑問。機能性をふくめて「尺八のアイデンティティ」を発揮して、尚且つ海童道曲を越えるソフトは何時頃に発明されるのか?言っときますけど「海童道曲の構造解析」なんかじゃありませんぜ。
確かな所で、日本でもロックやアニソンを好む人がこれから圧倒的に多数派になります。また大量の外国人を抱える今の尺八界で、文字通り「伝統」と無縁の尺八ソフトが出現し始めました。ソフトが無制限に広がる今からの時代。尺八はチャレンジに耐えられるのでしょうか?まだオレは「場」から下りてねえぜ。
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