消える継承
- 2019/02/27
- 22:31
堀ちえみが口腔癌になって手術したという話です。彼女は「アイドル豊作の年」といわれる「82年デビュー組」ですが、別に私は好きではなかった。「俺達も半強制で一緒ににテレビのパリンコ学園を見させられたじゃないか」、そう言う後輩もいるでしょうが、それは小泉今日子のファンだったからです。勘違いしなさんな・・・。
堀ちえみと言えば、中井猛先生が、何かのパーティーのおり、周りに集まった女性のひとりに「先生のお好きなタレントは誰ですか?」とか訊かれて、ニコニコしながら「堀ちえみですねん」と答えて、周りが爆笑しました。1986年頃ですよ。彼女が20、先生が50前後ですかね。中井検校は女性に大人気の方でしたからね、いつもパーティーでは大勢の女性に囲まれていました。
それにしても嗤うなんて大先生に対して失礼でしょうが。50と20で何が悪い、ゲーテを見なされ、『マリー・ヱンバートの悲歌』。73歳で18の小娘に恋してるんですぜ。本物の変態とは、こういうのを言うんですぞ。
思い出した、やっぱりその頃、私がキョンキョンファンだと言う事に気に食わないコメントをしやがった後輩がいました。「マダそんな事を言ってんですか。大橋さん恥ずかしくないですか?」だと・・・。当然ですが一生夢でうなされるほどブックラワシました。あれで済んだと思うなよ伊藤徹。今度会ったらオレ様がどんなにサディスティツクでスネーキーか思い知らせてやる。
それにしても堀さんは歌手ですから、舌の癌は大変です。しかも4期だと言う事ですが、今は医学の進歩で、私の子供の時みたいな「絶望感」は無いですね。治癒と復帰を本心から願っています。ファンでなくとも、自分より若い人の癌は気の毒です。
去年亡くなった6代目西園の岩田先生も、死因はやはり口腔癌との事でした。身体頑健な方で、周りは「百まで生きる」とか言っていましたが、85歳で旅立たれました。
岩田先生には恭彦(やすひこ) そして柴田姓になった昭彦の2人の御子息がいらっしゃいますが、プロ尺八家の恭彦さんでなく、どうも昭彦さんが西園流を継承したようです。西園流は幕末の兼友西園から続く、日本最古の尺八流派のひとつですが、世襲制を採らず内田、加藤、小林、小原、そして岩田と代々引き継がれた襲名制でした。今度、昭彦さんが正式に西園を名乗れば初めての父子継承となります。継承の証は「松風」という1尺9寸管の所有引き継ぎの様ですが、後藤桃水から続いている民謡尺八の会で二葉園という1尺4寸管を伝承しているのと似ていますね。まあ天皇家の「三種の神器」みたいなものですよ。
この御兄弟、お二人とも私の御客様ですし、前は私の住む小田原地区にも西園流の人が何人かいて、いずれも私の尺八を使っていただきました。ですから西園流の動向は気になります。
西園流は昭和の終わりころで約百人。3,4年前でも50人程度の流勢を保っていました。それが、今度の代替わりを機会に、引退を申し出る人が続出し、流の存続に赤信号が灯ってしまいました。
異常な高齢化は何処の流派でも同様ですが、補充がつかないままだと、ある時点で切っ掛けさえ有れば雪崩現象が起きます。もう十幾つかの流、会の崩壊を目の当たりにしていますが、同じ尺八界にいる者として、やはり寂しいものですよ。私はかねがね「流とか会は存続しない」と言ってきましたので、流に対する反対派だと思う人もいるようですが、「流は今後は団体としては存続出来ない」という至極当たり前の事を言ってるんであって、尺八の個々の流は「個性の差」という出発の形に戻って、存続すると思っています。
浜松の普大寺由来の曲を幕末から今に伝える西園流ですから、今ならⅤ字回復の道は有ると思います。私が昭彦先生に提案したのは、古いモノに異常なまでのステータスを見出している中国人を相手に広める方法です。
「私の中国展示会で西園流本曲の講習会を開いてくれれば人が集まると思います。交通費滞在費は私持ちですから、騙されたと思って、如何ですか」と申し出ました。
「中国人は権威を求めるので流に所属する事を希望している」という観測が有りますが、彼らは複数の流に属して、「良いとこ採り」をします。彼ら相手には、西園流は間違いなく魅力的にうつると私は判断します。「いろんな流の良いとこ採り」は、これからの日本でもそうですが、ただ一つ違うのは、日本人は組織としての流には決して入りません。ですから日本では難しいのです。ナニ、西園だけの事ではなく、全部の流がそうですよ。
流の発行する免状は、今の日本では「紙」ですが、中国人は、自分で尺八教室を開く上での「投資」だと考えます。大正後期から昭和30年代までの古典系尺八、昭和40年代50年代の民謡尺八がそうでしたね。でも当時の日本人が所属する流や会に対していだいていた気持ちが、さて今の中国尺八吹きに有るんでしょうか?
堀ちえみと言えば、中井猛先生が、何かのパーティーのおり、周りに集まった女性のひとりに「先生のお好きなタレントは誰ですか?」とか訊かれて、ニコニコしながら「堀ちえみですねん」と答えて、周りが爆笑しました。1986年頃ですよ。彼女が20、先生が50前後ですかね。中井検校は女性に大人気の方でしたからね、いつもパーティーでは大勢の女性に囲まれていました。
それにしても嗤うなんて大先生に対して失礼でしょうが。50と20で何が悪い、ゲーテを見なされ、『マリー・ヱンバートの悲歌』。73歳で18の小娘に恋してるんですぜ。本物の変態とは、こういうのを言うんですぞ。
思い出した、やっぱりその頃、私がキョンキョンファンだと言う事に気に食わないコメントをしやがった後輩がいました。「マダそんな事を言ってんですか。大橋さん恥ずかしくないですか?」だと・・・。当然ですが一生夢でうなされるほどブックラワシました。あれで済んだと思うなよ伊藤徹。今度会ったらオレ様がどんなにサディスティツクでスネーキーか思い知らせてやる。
それにしても堀さんは歌手ですから、舌の癌は大変です。しかも4期だと言う事ですが、今は医学の進歩で、私の子供の時みたいな「絶望感」は無いですね。治癒と復帰を本心から願っています。ファンでなくとも、自分より若い人の癌は気の毒です。
去年亡くなった6代目西園の岩田先生も、死因はやはり口腔癌との事でした。身体頑健な方で、周りは「百まで生きる」とか言っていましたが、85歳で旅立たれました。
岩田先生には恭彦(やすひこ) そして柴田姓になった昭彦の2人の御子息がいらっしゃいますが、プロ尺八家の恭彦さんでなく、どうも昭彦さんが西園流を継承したようです。西園流は幕末の兼友西園から続く、日本最古の尺八流派のひとつですが、世襲制を採らず内田、加藤、小林、小原、そして岩田と代々引き継がれた襲名制でした。今度、昭彦さんが正式に西園を名乗れば初めての父子継承となります。継承の証は「松風」という1尺9寸管の所有引き継ぎの様ですが、後藤桃水から続いている民謡尺八の会で二葉園という1尺4寸管を伝承しているのと似ていますね。まあ天皇家の「三種の神器」みたいなものですよ。
この御兄弟、お二人とも私の御客様ですし、前は私の住む小田原地区にも西園流の人が何人かいて、いずれも私の尺八を使っていただきました。ですから西園流の動向は気になります。
西園流は昭和の終わりころで約百人。3,4年前でも50人程度の流勢を保っていました。それが、今度の代替わりを機会に、引退を申し出る人が続出し、流の存続に赤信号が灯ってしまいました。
異常な高齢化は何処の流派でも同様ですが、補充がつかないままだと、ある時点で切っ掛けさえ有れば雪崩現象が起きます。もう十幾つかの流、会の崩壊を目の当たりにしていますが、同じ尺八界にいる者として、やはり寂しいものですよ。私はかねがね「流とか会は存続しない」と言ってきましたので、流に対する反対派だと思う人もいるようですが、「流は今後は団体としては存続出来ない」という至極当たり前の事を言ってるんであって、尺八の個々の流は「個性の差」という出発の形に戻って、存続すると思っています。
浜松の普大寺由来の曲を幕末から今に伝える西園流ですから、今ならⅤ字回復の道は有ると思います。私が昭彦先生に提案したのは、古いモノに異常なまでのステータスを見出している中国人を相手に広める方法です。
「私の中国展示会で西園流本曲の講習会を開いてくれれば人が集まると思います。交通費滞在費は私持ちですから、騙されたと思って、如何ですか」と申し出ました。
「中国人は権威を求めるので流に所属する事を希望している」という観測が有りますが、彼らは複数の流に属して、「良いとこ採り」をします。彼ら相手には、西園流は間違いなく魅力的にうつると私は判断します。「いろんな流の良いとこ採り」は、これからの日本でもそうですが、ただ一つ違うのは、日本人は組織としての流には決して入りません。ですから日本では難しいのです。ナニ、西園だけの事ではなく、全部の流がそうですよ。
流の発行する免状は、今の日本では「紙」ですが、中国人は、自分で尺八教室を開く上での「投資」だと考えます。大正後期から昭和30年代までの古典系尺八、昭和40年代50年代の民謡尺八がそうでしたね。でも当時の日本人が所属する流や会に対していだいていた気持ちが、さて今の中国尺八吹きに有るんでしょうか?
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