北京で満月に遭遇しました。北京の空は初日こそPⅯ2.5でクスんでいましたが、次の日からは何処までも清んだ青空が続き、夜になって冴え冴えとした月が現れました。
「美しい月ですね」と褒めると、曹さんの奥さんの謝さんが「今夜は旧暦の2月15日ですから」と言ったので、私はハッとしました。外見は似ていても中国人は、時として、アメリカ人より遠い異民族に感じますが、こういう所などは、日本人として、「感性の共有」をあらためて感じ、とても近くに感じます。
旧暦は月の満ち欠けが基準になっていますので、15日(15夜)は満月なのです。でも久しく生活の中では忘れていました。
考えてみたら、日本人の「美意識」の多くは中国人によって培われました。中でも、中唐期の白楽天の美意識や感性こそ、日本人の精神風土に最も重大な影響を与えたと思います。それまでの日本人が知らなかった「自然現象の精神面での解釈」を突き付けられた時、日本の平安王朝人達は驚愕もし、また認識を新たにした事は想像に難くありません。そして、その美意識は、まだ日本人の中に濃厚に残っています。そして、また当然ですが、中国人の心の中にも連綿として続いていたことを改めて知って、少し驚いたのです。
私の若い頃、日中、日韓ともに、しばしば「一衣帯水」と言っていました。「同じ一枚の着物が、帯によって上下に分れている様に見えるだけで、基本的に同じですよ」という意を込めて言ってたわけです。この3民族は、見ようによっては、かなり違うとも言えますが、根っこの所では、少なくとも世界のあまたの民族の中で、最も近いと思います。遠い時代からの美意識だって現代人の中に脈々として残っているんですから、似た所だけ挙げればマア「同じ」で一応の納得はします。
40年以上前ですが、法政大学三曲会に若松という仙台出身の後輩がいました。いわゆる「苦学生」というヤツで、その頃に有った「新聞配達学生」という制度で大学に入ってきました。2年間、早朝と夕方に新聞配達をする条件で4年分の学費を出して貰えるのです。新聞配達している2年間は、新聞屋の寮が提供されるので「喰う寝る無料」という有難い仕組みです。
法政の様に学費が安い大学には、この制度を使って来ている学生が大勢いました。今、安倍政権で官房長官をやっている菅義偉。あの人も法政大学で、私と同期で、やはり苦学生です。2年間の社会人生活の後、大学に入りましたが、「法政は私学の中で一番学費が安かったから」と入学の理由を述べています。私の在学中、大学出の初任給が手取り3~4万の時代に法政の学費は年6万でした。
若松は2年になった時、親が学費だけは出してくれる事になり、新聞配達を辞め、私の父が経営する工場で週の半分働き、半分は学校に通うという生活になりました。自分も苦学生であり、苦学生を応援する事の大好きだった父ですから、他では考えられない高給を与えていました。
その若松が、ある時に私に言いました。
「僕って実は邦楽が面白いと思った事が無いんですよ」。 別に良いじゃん。(その頃には、もう尺八を吹いている人の大半が実はそうだと分かっていました。)
「だから大橋さんみたいな邦楽を好きだと言う人が羨ましいのです」。 どうして?
「僕が好きな音楽ってクラシックなんです。あとロックとか。日本人なのに、それで良いのかって?」。 どの音楽が好きだって、べつに関係無いと思うけどね。クラブが好きで、尺八に少しでも興味が持てるんなら、それで良いじゃん。
「僕って日本人の根が無いのでしょうか?」。 同じ民族だって刻々として変わるよ。オレだって戦前の人から見たら日本人みたいじゃないと思うよ。でも、日本で生まれて日本で育った以上は、日本の伝統的思考や美意識が身に沁み込んでいないなんて有り得ないよ。
彼は、しばらくして「京都や奈良をしばらく独りで旅行してきます」と言って2週間ほど姿を消しました。ホレ見い、やっぱり日本人じゃないか。
でも、その後で「やっぱりヤツは異民族だ」と痛感する事が起こりました。若松の野郎、堺の玉村先輩のオゴリで意地汚くタラフク酒とメシを喰らい、玉村さんの家に行く途中、満員の南海電車の中で糞を漏らしたんですぜ。まったくもう・・・。漏らすなんて最低だぜ。法政の恥、ヤツは恥を知る日本人じゃねえ。
電車の中で我慢出来なくなったら、周囲の人に挨拶して、床に新聞でも敷いてズボンを下ろして、しゃがむのが常識有る人間だろうがよ。ヤツは、やっぱりオレの同類じゃネエ。
スポンサーサイト