新しい元号が令和に決まりましたな。今までの元号は全て中国の古典からですが、今回は万葉集からの出典ですと。このところの「日本の伝統文化尊重」の流れの一つですかね?
私が高校生になった1966年頃には、もう漢学はさっぱり流行らない学問となりはてていましたが、それでも大学受験の国語には20点だったか漢文が割り振られていましたので、全く無視というわけにはいかない状況が有りました。ですから私みたいに、「学校勉強」は全くしなかったし、中国に特別の関心が無い者でも、どこか頭の隅に残っていたらしく、このところの中国人との尺八ビジネスでも、筆談したり世間話に中国史を採り上げたりで、結構重宝しています。私の頃の「受験世界史」は3分の1が中国史でしたし、私は大学受験の社会は世界史選択でしたもの。当時は「大学受験の為にラチも無い事をしている」と思っていましたが、まさか50年後に役に立つなんて、高校時代には夢にも思わなかったですわ。
漢学の本家本元とは言え、40年以上前の中国ですと、文化大革命の影響で、高学歴者といえども自国の歴史や文化に関する知識レベルは、実にオサムイ状態にありました。当時、質問に対してガイドが出鱈目ばかり云うので、物陰に呼んで「知らない事は知らないと言った方が良い。このツアーは新聞社の主催で、多くの中国の専門家達も参加しています」と注意したくらいです。なんせ「読売中興のカリスマ」正力松太郎の大方針で、日中友好を社是としていた読売新聞が特別に企画した旅行でしたしね。
そして驚いたのは、私みたいに何らの専門知識の無い者に対して「中国の歴史に詳しいけど、大橋先生は大学教授ですか?」と買い被った事です。当時は、そのくらい自国の伝統をないがしろにしていました。
でも、ここのところ中国人達の自国に関する知識は凄いです。文化面でも茶道は盛んですし、あちこちで「中国風の音楽」を聴きます。また書道に割く時間も多いらしく、達筆な人が実に多くなりました。「大中華復興」の自信と覇気の表れだと思います。
漢学は飛鳥、奈良の昔から太平洋戦争まで我が国の学問の中枢に位置していた様です。戦後でも私の若い頃までは、漢学の素養の有る人は妙なプライドを持っていて、あまりオチカズキになりたくなかった。だってね、四角四面と言うか肩肘張っていて、万一にも「素人談義」が漢学に及ぶと、横から口を出さないでは済まさなかったものです。漢学の枢要部には儒教が有りますので、こういう態度になるのでしょうか? だから、「ただでさえ時代遅れの学問が、ますます他人から興味を持たれなくなった」、私は半ば本気で、そう思っています。
1972年に田中角栄が国交回復の為に北京に行きましたが、その時に詠んだ「七言絶句」を当時の自意識過剰な「漢学にゾウシの深い文化人達」は「前代未聞のヒドイ漢詩」と酷評したものです。私は学生でしたけど、思いましたよ。「良いじゃないの。シャレだもの」と・・・。
例えば外国の元首が初めての来日の時に、下手にしろ俳句を披露したら喝采物でしょう。いくら下手だってアレコレ言われますかいな。角栄の漢詩を「平仄が合ってない」と扱下ろしたって、そんなの中国語が分からない人の作った「和製漢詩」なら普通ですわ。脚韻も「七絶」の御約束の1,2,4ではなく1,2と3,4の並びでしたが、それを非難するなら、角栄さんの好きな上杉謙信の作という事にしてある「九月十三夜」だって1,2と3,4の並び脚韻でっせ。それで「古今の名作」と言う事になっているのでしょう。だから、良いじゃありませんか。
この漢詩も披露する前に同行した中国通の外務官僚に見せたんでしょうしね。それで、「結句の脚韻を深でなく爽にした方が無難ですよ」と、日本文学専攻の大学生だったオレでも分かる程度の指摘も無かったんですから、やはり外務官僚は学者・文化人よりオトナだったという事でしょう。
角栄さんが毛沢東に会った時に、『楚辞集注』を贈られて、「舐められているのが分らんか。物を知らないにも程が有る」と安岡正篤(一時は平成の発案者と言われた)が激怒したそうですが、そんなに硬く考えたら世の中は息苦しくなりゃしませんかね?もっとお気を楽に受け止めたら・・・。あれは出典を示したまで。問題になった、角栄の「迷惑をおかけしました」という発言に対する毛沢東の「とりなし」と受け止めれば丸くオサマリャしませんかい。
私の偏見ですかいの、どうも「無学な土建屋風情が崇高な漢学に手を出すんじゃない」という気持ちが透けて見える様な気がするんですよ。大学生だった若い頃の感想です。
時代が変わったんでしょうね、今は元号制定にも「漢学者が煩く口を出す」という時代ではない様です。テレビでコメントしていた学者さんも皆ソフトな感じでした。私が思うに、この「諸事ソフトに。角突き合わさない」という態度はあらゆる学問や芸術の分野に及んでいる、今の傾向ではないでしょうか?「容易く分からない物は高級な証拠」というヘンテコな理屈に自信が持てなくなったほどに、日本人全般の教養水準が上がったんじゃないですかね。
ですからね、この尺八界だって昔に比べて一般的常識が通る様になりましたぞ。今しか知らない若い人だと分からないでしょうが、平成の30年間は尺八界を変えるには十分の時間でした。
でも、それと別に、昭和のあの「生真面目でヘンテコな尺八界」を懐かしむ私もいるんですよ。
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