視界不良
- 2019/04/30
- 21:57
なんじゃこりゃ? 現在の心境です。1月の尺八注文は39本。良くはないけど今の状況ならマアマアですわな。でも2月は6本。こんなに少ないのは記憶に有りません。30年くらい前の8月に4本という事が有りましたが、この時は月の半分、家族旅行に行っていましたから、やむを得ないでしょう。それに8月は注文の少ない時期ですしね。
それで3月になったら71本。嬉しいけどね、でも20年前だったら普通の数です。そして4月。ここで9本ですよ。4月は大型の受注が舞い込んでいますが、まだ決まらないですからカウントは出来ません。幸い5月からは企画しているビジネスが連続しますので、まあ何とかなるでしょうよ。でも事実は事実として、4か月で合計125本でした。これがこのままだと1年で375本ですわな、こんなのオレッチの所にしたら異常事態ですわ。何より先が見えません。それが痛い。
こういう「エレベーター現象」が起こるのは、その世界に大規模な変化が起きている証拠です。20年前の単純な構造の尺八界では、ほとんどの事に予想が可能でした。今は私の手に余る・・・。
翻って今、和楽器には追い風が吹いています。オリンピックを迎えて国が「伝統文化を押す」という方針ですし、和楽器の中にも日の当たる場所が出てきています。何度も言うように、今ほどテレビから尺八の音が聞こえる時代は有りませんでした。また、和楽器を扱ったコミックが数年前から複数出ていましたが、そのうちの一つ「この音とまれ」が、この春からテレビアニメ化されました。でも「これで箏がブームになる」とは断言出来ません。しかし大きな可能性が出てきた事は間違いないでしょう。
それに水を差す様なことを言いますが、それで瀕死の箏業界が復活するとは思えないのです。去年1年の新しい箏の販売数は3千から4千面だと言われています。でも、箏業界の人間に言わせると「かなりフカシタ数字」だそうです。たとえ、この数字が本当だとしても50年前の二十分の一でしかありません。日本全体では百万の単位になる死蔵された中古の箏がネットオークションで1万円前後で販売されている事実が有る以上、たとえアニメの影響で中学高校の筝曲部に新規の入部者が増えたところで、それで業界が潤うという事は考えずらいです。
「後で音が変わるから」という理屈で、糸も張ってない楽器に値段が着いている現状は、業界人がどう言おうと、今の人を納得させられるわけが無い。
「オレは素人だけどよ、で何かい。高い箏だと音も良い方に変わるんかいの?」。 どう答えんの?それもそうですが、「箏は何年かしないと本当の音にならない」と確かに言ってきたよな。それじゃあ「中古の箏の方が良い」となりゃあしませんかい。何せ百万円で買った箏も中古で売ると5万以下ですもんね・・・。
和楽器の世界も急激な構造改革が起こっています。今のテレビから流れて来る尺八に古典は有りません。現代邦楽は勿論在りません。箏だと少し有りますね。つまり簡略化して言うと、「邦楽は終わった」のです。終わった世界には新規参加者がいない以上、需要もまた有りません。だから尺八製作業界の人間のうち半分は、もう諦めています。残りの半分の人の、そのまた半分は客観的に見て将来に希望が持てていません。
もう日本人のうちの大部分の人にとって、邦楽は人生のどの時代においても「特殊な音楽」にすぎない時代になってしまいました。
「古典邦楽がもう一度脚光を浴びることなど有り得ない」という至極当然な事すら言えなかった頃と違い、現在では当たり前の認識となっています。
これは、私や貴方が「古典邦楽が好き」という事と何の関係も有りません。
音楽において楽器(ハード)と曲(ソフト)は厳密には「運命共同体」ではありません。尺八に限らず、真摯に新しいソフトや楽器それ自体の変化に挑戦した楽器だけが「邦楽にも使われる和楽器」として生き残る事が出来るのだと思います。
百年前に、尺八に「地入れ」という変化が起こらなかったとしたら、宮城曲はおろか三曲にも対応出来なかった事は云うまでも有りません。お家芸である古典本曲ですら、存続できたかどうか怪しいものでしょうよ。保守的な人が、どう認識しようとも、これまでも尺八は新しいソフトを採用しハードの変化を幾度も経て来たのです。
その真っ最中は何時だって視界不良です。
それで3月になったら71本。嬉しいけどね、でも20年前だったら普通の数です。そして4月。ここで9本ですよ。4月は大型の受注が舞い込んでいますが、まだ決まらないですからカウントは出来ません。幸い5月からは企画しているビジネスが連続しますので、まあ何とかなるでしょうよ。でも事実は事実として、4か月で合計125本でした。これがこのままだと1年で375本ですわな、こんなのオレッチの所にしたら異常事態ですわ。何より先が見えません。それが痛い。
こういう「エレベーター現象」が起こるのは、その世界に大規模な変化が起きている証拠です。20年前の単純な構造の尺八界では、ほとんどの事に予想が可能でした。今は私の手に余る・・・。
翻って今、和楽器には追い風が吹いています。オリンピックを迎えて国が「伝統文化を押す」という方針ですし、和楽器の中にも日の当たる場所が出てきています。何度も言うように、今ほどテレビから尺八の音が聞こえる時代は有りませんでした。また、和楽器を扱ったコミックが数年前から複数出ていましたが、そのうちの一つ「この音とまれ」が、この春からテレビアニメ化されました。でも「これで箏がブームになる」とは断言出来ません。しかし大きな可能性が出てきた事は間違いないでしょう。
それに水を差す様なことを言いますが、それで瀕死の箏業界が復活するとは思えないのです。去年1年の新しい箏の販売数は3千から4千面だと言われています。でも、箏業界の人間に言わせると「かなりフカシタ数字」だそうです。たとえ、この数字が本当だとしても50年前の二十分の一でしかありません。日本全体では百万の単位になる死蔵された中古の箏がネットオークションで1万円前後で販売されている事実が有る以上、たとえアニメの影響で中学高校の筝曲部に新規の入部者が増えたところで、それで業界が潤うという事は考えずらいです。
「後で音が変わるから」という理屈で、糸も張ってない楽器に値段が着いている現状は、業界人がどう言おうと、今の人を納得させられるわけが無い。
「オレは素人だけどよ、で何かい。高い箏だと音も良い方に変わるんかいの?」。 どう答えんの?それもそうですが、「箏は何年かしないと本当の音にならない」と確かに言ってきたよな。それじゃあ「中古の箏の方が良い」となりゃあしませんかい。何せ百万円で買った箏も中古で売ると5万以下ですもんね・・・。
和楽器の世界も急激な構造改革が起こっています。今のテレビから流れて来る尺八に古典は有りません。現代邦楽は勿論在りません。箏だと少し有りますね。つまり簡略化して言うと、「邦楽は終わった」のです。終わった世界には新規参加者がいない以上、需要もまた有りません。だから尺八製作業界の人間のうち半分は、もう諦めています。残りの半分の人の、そのまた半分は客観的に見て将来に希望が持てていません。
もう日本人のうちの大部分の人にとって、邦楽は人生のどの時代においても「特殊な音楽」にすぎない時代になってしまいました。
「古典邦楽がもう一度脚光を浴びることなど有り得ない」という至極当然な事すら言えなかった頃と違い、現在では当たり前の認識となっています。
これは、私や貴方が「古典邦楽が好き」という事と何の関係も有りません。
音楽において楽器(ハード)と曲(ソフト)は厳密には「運命共同体」ではありません。尺八に限らず、真摯に新しいソフトや楽器それ自体の変化に挑戦した楽器だけが「邦楽にも使われる和楽器」として生き残る事が出来るのだと思います。
百年前に、尺八に「地入れ」という変化が起こらなかったとしたら、宮城曲はおろか三曲にも対応出来なかった事は云うまでも有りません。お家芸である古典本曲ですら、存続できたかどうか怪しいものでしょうよ。保守的な人が、どう認識しようとも、これまでも尺八は新しいソフトを採用しハードの変化を幾度も経て来たのです。
その真っ最中は何時だって視界不良です。
スポンサーサイト