免許
- 2019/05/29
- 21:56
老人の運転する自動車による事故が頻発しており、「ある年齢から上は免許を返納させろ」とかの乱暴な意見すら出ています。そうでなくともテレビなんかでキャンペーンを盛んにやっているので、老人は、人によっては運転する事に後ろめたさを感じている様です。
難しい問題ですよね。少なくとも「年齢理由の強制一律返納」なんかを口にする連中は信用できません。そういう強制処置は、「正義」を振りかざすだけに、必ず他の事にも波及しますぞ。戦後74年も経つと、そういう「統制キチガイ」の記憶も薄らぐんでしょうかね。ダイイチ老人による事故が20代に比べて多いわけでも無いでしょう。
私はといえば、10年前に脳梗塞になり、右半身が不自由になったので返納しました。様々な補助グッズが有り、運転を継続する事も出来たんです。でも、「咄嗟の時の対応が心配なので、出来たら返納して欲しい」という医者のアドヴァイスが有り、幸い同居している長男がいるので、返納しました。
自動車には未練は有りませんでしたが、もう二度と大好きな50ccバイクで風を切る事が出来ないと思うと残念でした。ドンキーと名付けていた50ccの愛車で、若者たちに交じって、深夜の湘南の海岸道路をぶっ飛ばす夢も儚く消えたわけです。もしかしたら、族のリーダーになれたかも知れないのに・・・。
都会ならいざしらず、地方における老人は、車無しには生活出来ないのが実情です。私の住んでいる場所は、かろうじて車無しでも不便なく生活できますが、同じ町内でも半分くらい、自動車無しには困惑する地域も有り、よしんば同居家族がいても、彼らが仕事に行ってる昼は頼れませんです。買い物や医者通いは自分で車を動かすしかないでしょうよ。
「じゃあ、どうすんだよ?」と言われても、私なんかに分るわきゃないでしょう。でも、強制的に老人から免許を取り上げる事には断固反対します。家族や周り、とりわけ本人が状況を見て判断するしかないのでは・・・。
この免許ってヤツですがね、勿論必要なケースもありましょう。たとえば医者とか弁護士。教師だって学校で変な宗教や思想で年端もいかない生徒を洗脳されたらたまったものじゃないですね。今更「じゃあ日教組の偏向教育はどうなんだよ」とか言わないでよね。私の子供の頃は、戦前を引きずっていた教師だって、いなくはなかったんでしょうから。免許が無かったら、もっとヒドイ教育がまかり通ったという事ですよ。
尺八の場合は、所詮は趣味ですから、師範が技術未熟だって大した問題になったりしませんや。和気藹藹と楽しいって事もありますし、それに実演能力とコーチ能力はイコールではないです。むしろ卓越した才能で尺八をコントロールしている人って、他人がどうして出来ないのか理解出来ない面も有ると思います。私も少し気をつけなくては・・・。
でも、事実として有名プロは有名プロの下からしか出ていません。これは、最初の師匠についてから、しばらく経っての判断で転門した人が多いからでも有りますが、それより「プロとして身を立てるノウハウ」の習得も大きいと思います。
昔と違い、もうプロとして生活する上で、免許は有名無実になってしまいました。流派が、せめて邦楽界の中でだけでも強大な影響力を発揮出来た時なら、まだ免許も多少は問題になったかも知れませんが、教授産業としての尺八界が終焉期に入り、代わって実演産業に移行した今だと、そもそも免状を取得しようという人がいません。
それに、私が尺八界に入った50年前だって、他の音楽畑の仕事をするのに、「免状の有無を質問された」なんて話は聞いた事すら有りませんでした。まして、「準師範より大師範の方が上手いんだろう」なんて思う純情な人なんて、邦楽以外の音楽畑のプロには、ただの一人だっていたはずが無いですわ。
でも、尺八を習っている現在の人も「安ければ取っても良い」と多くの人は思っています。運転免許と違って、無くても演奏活動や教授に何の支障も無いんですから、どうです、思い切ってウンと安くしたら。免状はもう無理なんですから、せめて会費収入だけでも維持したらどうかと思うのですが・・・。
難しい問題ですよね。少なくとも「年齢理由の強制一律返納」なんかを口にする連中は信用できません。そういう強制処置は、「正義」を振りかざすだけに、必ず他の事にも波及しますぞ。戦後74年も経つと、そういう「統制キチガイ」の記憶も薄らぐんでしょうかね。ダイイチ老人による事故が20代に比べて多いわけでも無いでしょう。
私はといえば、10年前に脳梗塞になり、右半身が不自由になったので返納しました。様々な補助グッズが有り、運転を継続する事も出来たんです。でも、「咄嗟の時の対応が心配なので、出来たら返納して欲しい」という医者のアドヴァイスが有り、幸い同居している長男がいるので、返納しました。
自動車には未練は有りませんでしたが、もう二度と大好きな50ccバイクで風を切る事が出来ないと思うと残念でした。ドンキーと名付けていた50ccの愛車で、若者たちに交じって、深夜の湘南の海岸道路をぶっ飛ばす夢も儚く消えたわけです。もしかしたら、族のリーダーになれたかも知れないのに・・・。
都会ならいざしらず、地方における老人は、車無しには生活出来ないのが実情です。私の住んでいる場所は、かろうじて車無しでも不便なく生活できますが、同じ町内でも半分くらい、自動車無しには困惑する地域も有り、よしんば同居家族がいても、彼らが仕事に行ってる昼は頼れませんです。買い物や医者通いは自分で車を動かすしかないでしょうよ。
「じゃあ、どうすんだよ?」と言われても、私なんかに分るわきゃないでしょう。でも、強制的に老人から免許を取り上げる事には断固反対します。家族や周り、とりわけ本人が状況を見て判断するしかないのでは・・・。
この免許ってヤツですがね、勿論必要なケースもありましょう。たとえば医者とか弁護士。教師だって学校で変な宗教や思想で年端もいかない生徒を洗脳されたらたまったものじゃないですね。今更「じゃあ日教組の偏向教育はどうなんだよ」とか言わないでよね。私の子供の頃は、戦前を引きずっていた教師だって、いなくはなかったんでしょうから。免許が無かったら、もっとヒドイ教育がまかり通ったという事ですよ。
尺八の場合は、所詮は趣味ですから、師範が技術未熟だって大した問題になったりしませんや。和気藹藹と楽しいって事もありますし、それに実演能力とコーチ能力はイコールではないです。むしろ卓越した才能で尺八をコントロールしている人って、他人がどうして出来ないのか理解出来ない面も有ると思います。私も少し気をつけなくては・・・。
でも、事実として有名プロは有名プロの下からしか出ていません。これは、最初の師匠についてから、しばらく経っての判断で転門した人が多いからでも有りますが、それより「プロとして身を立てるノウハウ」の習得も大きいと思います。
昔と違い、もうプロとして生活する上で、免許は有名無実になってしまいました。流派が、せめて邦楽界の中でだけでも強大な影響力を発揮出来た時なら、まだ免許も多少は問題になったかも知れませんが、教授産業としての尺八界が終焉期に入り、代わって実演産業に移行した今だと、そもそも免状を取得しようという人がいません。
それに、私が尺八界に入った50年前だって、他の音楽畑の仕事をするのに、「免状の有無を質問された」なんて話は聞いた事すら有りませんでした。まして、「準師範より大師範の方が上手いんだろう」なんて思う純情な人なんて、邦楽以外の音楽畑のプロには、ただの一人だっていたはずが無いですわ。
でも、尺八を習っている現在の人も「安ければ取っても良い」と多くの人は思っています。運転免許と違って、無くても演奏活動や教授に何の支障も無いんですから、どうです、思い切ってウンと安くしたら。免状はもう無理なんですから、せめて会費収入だけでも維持したらどうかと思うのですが・・・。
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