猿マネ
- 2019/06/24
- 20:28
若い頃、と言っても中学の頃からですが、料理を作るのが好きでした。誰かの雑文、多くは作家達でしたが、それに美味そうなものの作り方が書いてあり、それをどうしても食べてみたくなったら、記事を頼りに復元しました。ですがね、料理本とは違い詳しくレシピーが書いてあるわけではないので、いきおい足らない所は想像力で補うしかありませんでした。ついでに云うと、母親が持っていた料理本なんか、興味をひくものが何も無く、始めっから問題外でしたね。
そして学校の友人達を家に誘って、作った物をふるまいました。それで・・・。
谷崎潤一郎の「柿の葉寿司」。当時の事ゆえ、東京人の大部分は実際には柿の葉寿司を食べた事が無かったはずです。でも、生理的嫌悪感に訴える激しい異臭。「こんなモノ食べたらアブナイ」と本能が告げてくれました。結局、誰もが怯えて箸を出さなかったので、そのまま捨てました。
幸田露伴の「クミス」。脱脂粉乳と砂糖とイースト菌で作るんですが・・・。バカ野郎、立派な傷害教唆だぞ、ええ、露伴さんよ。飲んだらな、見る間に蕁麻疹が湧いてきて、危うく病人が出るとこだった。
金子信雄。そら誰だって?俳優ですよ。「仁義なき戦い」で情けない親分をやった人です(当時まだ共政会の大親分・山村辰雄が生きていたのに、よく無事だったものだ)。この人の鮭の酢漬。どこをどう間違ったのか、食べようと蓋を開けたら気味の悪い虫がウヨウヨ。アニサキスなのか蛆か?
おそらく全てのケースで私が悪かったのでしょう。でも次に挙げるのが上手くいった例。
芥川龍之介の「芋粥」。サツマイモで作ったけど、たぶん「なにがしと云う五位」が供されたのより美味かったと思います。
誰が書いたか忘れたけどピザ。昭和39年当時は東京でもピザを知ってる人は少なかった。まして、学を衒う目的で横文字(和名だったら皆知ってましたよ)で書きゃがったハーブ類なんか、誰も知らないっての。だからトマト、ニンニク、玉ねぎ、唐辛子,チーズ、魚肉ソーセージで作り、バターで焼き、その後、直火で焼きました。まあ、お好み焼きの出来損ない。でも美味かった。皆が追加製作を希望しました。
その後も訓練を重ね、おかげで大学時代は私が三曲会専属コックでした。鍋は多かったですけどね、鯉こく、握り寿司、すっぽん料理、おでん、なかなかの芸域でしょうが。一度なんか、粟田の熊が、朝鮮人の解体屋から何の下処理もしていない牛モツを3キロも貰ってきて、内容物の処理から始めて2時間後には焼肉パーティーを開いたんですぜ。
10年前に病気して右手が不自由になる前は、家でもたまに料理の腕を振るいました。豚足煮込みは廃業する前の特記に次いで世界ナンバー2、牛筋煮込みは自分のより美味い物は食べた経験が有りません。
料理でも何でも専門の人について修行するのがプロとしての王道でしょう。私みたいな素人料理は、情報が足らない分、想像力と推理、そして「多分こんなものではないか」という個人の思考の範囲が決め手になる事と思います。一見似ても似つかないが、それが、おうおうにして猿真似よりも本質の部分で本物に近い、または別の意味での本物という場合が有ります。
地道な修行を否定するつもりなんかありません。でもね、日本そばとラーメンを比べてみてください。戦後のラーメン屋は大方が素人でした。だから、奇抜な発想も出てくる。個性豊かな店が出てきた。反面とてもヒドイ店も昔は有りました。でもね、修行だか徒弟奉公だかが必要だった日本そばだって、「老舗から暖簾分けされた店」で、マズイ所なんて、いくらも有りましたぜ。
「外食王国」の東南アジアでは、全くの素人が屋台から始めて大人気レストランにしたなんて例は、それこそ掃いて捨てる程有りまっせ・・・。
尺八の製作でも、竹仙系の人達、ここには広義の竹仙系、だから小林一城とか中村諏訪とかも入りますが、その人達の鍛え上げた技量は立派なものです。でも、長年下職をしてきて、肝心なところの基礎が出来ていない人もいます。その人達は下職の時間の長短と、基礎学習を混同しているんだと思います。
要は、今の尺八界をリードしている三塚泉州や木村筦山、三浦龍畝みたいな存在をどう思うかです。師匠について下職を続けてきた人も素晴らしい。でも師匠がいないからこそ、技術的呪縛を受けていない彼らも素晴らしい。
どっちも良いのか?って。その通り。だからこそ尺八界を大きくして、様々な生き様の人が生息している状態にしたいのですよ。はっきり言いますわ。「地道に誠実に研鑽して、王道を守る。正統派の道を希求する」。こういう口だけの人の多い「嘘の世界」が、これからの価値観の多様化する尺八界で通用するとは思えないんです。でも、真摯にそこを目指す人の存在も、また大切だとおもうんですよ。それもまた多様化し価値が乱立する素晴らしい世界の重要な「一つの部分」です。
10年後には、この製管業界にも売れない芸大卒や外国人達も多数参入していますから、きっと、もっと遥かに突拍子もない発想の尺八が出て来て、それがそれぞれファンを形成して、一つの小さい独立した世界を形成するんではないかと思うのです。これだけ様々なジャンルのソフトが尺八で奏でられる現在、すでに名器は「部分における名器」となりました。これが、「一つの価値観からの解放」です。期待が大分入っていますけどね。
そして学校の友人達を家に誘って、作った物をふるまいました。それで・・・。
谷崎潤一郎の「柿の葉寿司」。当時の事ゆえ、東京人の大部分は実際には柿の葉寿司を食べた事が無かったはずです。でも、生理的嫌悪感に訴える激しい異臭。「こんなモノ食べたらアブナイ」と本能が告げてくれました。結局、誰もが怯えて箸を出さなかったので、そのまま捨てました。
幸田露伴の「クミス」。脱脂粉乳と砂糖とイースト菌で作るんですが・・・。バカ野郎、立派な傷害教唆だぞ、ええ、露伴さんよ。飲んだらな、見る間に蕁麻疹が湧いてきて、危うく病人が出るとこだった。
金子信雄。そら誰だって?俳優ですよ。「仁義なき戦い」で情けない親分をやった人です(当時まだ共政会の大親分・山村辰雄が生きていたのに、よく無事だったものだ)。この人の鮭の酢漬。どこをどう間違ったのか、食べようと蓋を開けたら気味の悪い虫がウヨウヨ。アニサキスなのか蛆か?
おそらく全てのケースで私が悪かったのでしょう。でも次に挙げるのが上手くいった例。
芥川龍之介の「芋粥」。サツマイモで作ったけど、たぶん「なにがしと云う五位」が供されたのより美味かったと思います。
誰が書いたか忘れたけどピザ。昭和39年当時は東京でもピザを知ってる人は少なかった。まして、学を衒う目的で横文字(和名だったら皆知ってましたよ)で書きゃがったハーブ類なんか、誰も知らないっての。だからトマト、ニンニク、玉ねぎ、唐辛子,チーズ、魚肉ソーセージで作り、バターで焼き、その後、直火で焼きました。まあ、お好み焼きの出来損ない。でも美味かった。皆が追加製作を希望しました。
その後も訓練を重ね、おかげで大学時代は私が三曲会専属コックでした。鍋は多かったですけどね、鯉こく、握り寿司、すっぽん料理、おでん、なかなかの芸域でしょうが。一度なんか、粟田の熊が、朝鮮人の解体屋から何の下処理もしていない牛モツを3キロも貰ってきて、内容物の処理から始めて2時間後には焼肉パーティーを開いたんですぜ。
10年前に病気して右手が不自由になる前は、家でもたまに料理の腕を振るいました。豚足煮込みは廃業する前の特記に次いで世界ナンバー2、牛筋煮込みは自分のより美味い物は食べた経験が有りません。
料理でも何でも専門の人について修行するのがプロとしての王道でしょう。私みたいな素人料理は、情報が足らない分、想像力と推理、そして「多分こんなものではないか」という個人の思考の範囲が決め手になる事と思います。一見似ても似つかないが、それが、おうおうにして猿真似よりも本質の部分で本物に近い、または別の意味での本物という場合が有ります。
地道な修行を否定するつもりなんかありません。でもね、日本そばとラーメンを比べてみてください。戦後のラーメン屋は大方が素人でした。だから、奇抜な発想も出てくる。個性豊かな店が出てきた。反面とてもヒドイ店も昔は有りました。でもね、修行だか徒弟奉公だかが必要だった日本そばだって、「老舗から暖簾分けされた店」で、マズイ所なんて、いくらも有りましたぜ。
「外食王国」の東南アジアでは、全くの素人が屋台から始めて大人気レストランにしたなんて例は、それこそ掃いて捨てる程有りまっせ・・・。
尺八の製作でも、竹仙系の人達、ここには広義の竹仙系、だから小林一城とか中村諏訪とかも入りますが、その人達の鍛え上げた技量は立派なものです。でも、長年下職をしてきて、肝心なところの基礎が出来ていない人もいます。その人達は下職の時間の長短と、基礎学習を混同しているんだと思います。
要は、今の尺八界をリードしている三塚泉州や木村筦山、三浦龍畝みたいな存在をどう思うかです。師匠について下職を続けてきた人も素晴らしい。でも師匠がいないからこそ、技術的呪縛を受けていない彼らも素晴らしい。
どっちも良いのか?って。その通り。だからこそ尺八界を大きくして、様々な生き様の人が生息している状態にしたいのですよ。はっきり言いますわ。「地道に誠実に研鑽して、王道を守る。正統派の道を希求する」。こういう口だけの人の多い「嘘の世界」が、これからの価値観の多様化する尺八界で通用するとは思えないんです。でも、真摯にそこを目指す人の存在も、また大切だとおもうんですよ。それもまた多様化し価値が乱立する素晴らしい世界の重要な「一つの部分」です。
10年後には、この製管業界にも売れない芸大卒や外国人達も多数参入していますから、きっと、もっと遥かに突拍子もない発想の尺八が出て来て、それがそれぞれファンを形成して、一つの小さい独立した世界を形成するんではないかと思うのです。これだけ様々なジャンルのソフトが尺八で奏でられる現在、すでに名器は「部分における名器」となりました。これが、「一つの価値観からの解放」です。期待が大分入っていますけどね。
スポンサーサイト