大学邦楽
- 2019/08/09
- 17:50
法政大学の三曲会は、私が入部する前年、すなはち1968年までは70人規模のクラブでした。私が1年の時の委員長は珍念こと池田さんで、この人は学生運動のノリをクラブにもちこみ、「和気藹藹の馴れ合い」をクラブから排除する建前で、練習に出てこない人を次々と除名処分にした為、部員は瞬く間に30人を切ってしまいました。
私も驚きましたよ、当時大学は土曜も午前中は講義が有りまして、その午後から三曲会のミーティングなのですが、その場で毎週「除名決議」が行われていたんですもの。大学のクラブって、こうなのか、そう誤解しました。
「それではクラブの雰囲気が、さぞギスギスしてただろう?」、そう思われるかも知れませんが、さにあらず。すごく親和感に満ちたものでした。珍念坊主は良くも悪くも観念的な人でしたが、人柄が抜群に良く、誰とでも気持ちよく付き合うタイプでした。だから除名処分になった先輩達と大学キャンパスで顔を合わせると、きまって「池田は元気か?」と、懐かしそうに訊かれる事が毎度でしたわ。
私の1年上の人達6人がまた、「こんな気持ちの良い人達がいたんだ」と今でも思うほど、奇跡的に好人物がそろいました。言っておきますが、口は極めて悪い。だけど底抜けの親切者で意地の悪い所が全く有りませんでした。だいたいからして罵詈雑言を気にするテアイはウチのクラブにはいられませんや。
そういった意味では、私達の代が一番ヤンチャでしたかね。言い合いは日常茶飯事。論争なんてものは大体決着なんて着きませんから、途中からは相手の欠点を挙げつらう事に終始しました。言ってみたらバカ犬同士の咬み合いですな。こんな関係を4年も続けましたからね、だから今でも仲が良いんですわ。男なら分かりますよね、喧嘩したヤツほど仲良くなるって・・・。
ともかく、これが私が3年までの法政大学三曲会です。でも、こんな雰囲気だと女子部員がいつきません。ですから、当時のリーダー粟田の「もっと上品にしよう。でないと、せっかく入った女がすぐ辞めてしまう」、その発案を皆が守って4年時からは上品で和やかなサークルになり、女子が数多く居つきました。それはそれで、「恋愛」と言う名の性欲が優先順位を高めたサークルになってしまいましたが、でも、この粟田の方針転換が無かったら、うちは早期に廃部になっていたと思います。
大学の邦楽クラブで当時最大だったのが近畿大学で、ここは都山、琴古と2つ有りましたが、大きい都山の方は百人以上いました。それが今は消滅。小さかった琴古は相変わらず小さいままですが、今も存続しています。
私の時代に、関東で最も勢いの有ったのが明治大学です。ここは、その後4人までに減り、存続が危ぶまれていましたが、見事に盛り返しました。今も昔も大きいのは岡山大です。同大ОBの話では「ここまで大勢だと誰か仲の良いヤツが出来るので辞めない」との事です。
今だと部員数、実力ともに全盛を迎えているのが東北大学ですね。部員百名、それでいて演奏の実力は、私達の時代の大学邦楽クラブとの比較を無意味なものにしています。
しかし、その一方で消滅したクラブも多いのです。この差は、いったいどこで決まるんでしょうかね?
大学の邦楽サークル出身者が、この40年以上、実質的に尺八界を動かしてきました。その証拠に、プロ尺八家を列挙してごらんなさいな、ほとんどが大学邦楽部の出身者でしょう。もっとも今は芸大出身者も多いのですが、平成の初めだと40代以下のプロ尺八家の8割が大学邦楽部出身者です。
大学邦楽は、この20年で大きく変わりました。まず驚くのが尺八は女性の方が多いという事です。私達の大学時代には、想像も出来なかった事態です。
さらに仰天するのは、すでに古典邦楽を全くやらないクラブが出て来ています。「六段とか千鳥もやりませんか?」、「はい、やった事有りません」。もう事態は、ここまで進んできています。大学邦楽サークルって、未来に起こる事の指針です。ですから、確実に、これから古典邦楽をソフトに持たない尺八家が増えていきます。尺八は間違いなく「邦楽に使われる場合も有る和楽器」の道を進んでいます。
新規プロ参入の、もう一方の供給源・芸大との比較では、大学クラブは職業化を前提としていませんし、指導者の影響力も限定的なものでしかありません。だから好きに行動できるし、また、そういうクラブしか存続出来ません。
芸大が「宮城芸大教室」、「芸大中之島出張所」と揶揄されていた様なケースは、市場規模が小さく、組織が生活の場を、ほとんど提供出来ない尺八では起きませんでした。尺八は個人の力量とアイデアで生きていくしかない世界です。でも、支える力も必要です。その点で、大学クラブは有利ですね。なんせ社会人になっている、かつての先輩、後輩、同僚、これらが全て頼りになる支援層ですもんね。
かく言う私の場合でも、尺八製造業に乗り出すに当たって、「出来たら持ってこい。お前がやるんなら買ってやるから」という申し出で、やる前から予約が50本近く入りました。もちろん全部が法政関係ではないですが、いや~有難かったな。いくら人徳とは言え・・・。で、その半数以上が未だ納品していないんです。デビュー間無しに超売れっ子になりましたもの。いや~、有難いな。いくら実力とは言え。
私は大学クラブには甘い。「尺八代金が払えなければ踏み倒せば良いじゃないか」と言う事が頻繫に有りますが、言葉通りに受け止めるアホがいないのが大学クラブです。また「頼む、もうそろそろ払って頂戴」と頼むと、無理しても払ってくれるのも大学クラブです。
中には本当に踏み倒した人もいましたが、それは、言わば「税金」だと思っています。大学邦楽クラブが無くて、尺八が大きく育つわけが無いと思っていますからね。
私も驚きましたよ、当時大学は土曜も午前中は講義が有りまして、その午後から三曲会のミーティングなのですが、その場で毎週「除名決議」が行われていたんですもの。大学のクラブって、こうなのか、そう誤解しました。
「それではクラブの雰囲気が、さぞギスギスしてただろう?」、そう思われるかも知れませんが、さにあらず。すごく親和感に満ちたものでした。珍念坊主は良くも悪くも観念的な人でしたが、人柄が抜群に良く、誰とでも気持ちよく付き合うタイプでした。だから除名処分になった先輩達と大学キャンパスで顔を合わせると、きまって「池田は元気か?」と、懐かしそうに訊かれる事が毎度でしたわ。
私の1年上の人達6人がまた、「こんな気持ちの良い人達がいたんだ」と今でも思うほど、奇跡的に好人物がそろいました。言っておきますが、口は極めて悪い。だけど底抜けの親切者で意地の悪い所が全く有りませんでした。だいたいからして罵詈雑言を気にするテアイはウチのクラブにはいられませんや。
そういった意味では、私達の代が一番ヤンチャでしたかね。言い合いは日常茶飯事。論争なんてものは大体決着なんて着きませんから、途中からは相手の欠点を挙げつらう事に終始しました。言ってみたらバカ犬同士の咬み合いですな。こんな関係を4年も続けましたからね、だから今でも仲が良いんですわ。男なら分かりますよね、喧嘩したヤツほど仲良くなるって・・・。
ともかく、これが私が3年までの法政大学三曲会です。でも、こんな雰囲気だと女子部員がいつきません。ですから、当時のリーダー粟田の「もっと上品にしよう。でないと、せっかく入った女がすぐ辞めてしまう」、その発案を皆が守って4年時からは上品で和やかなサークルになり、女子が数多く居つきました。それはそれで、「恋愛」と言う名の性欲が優先順位を高めたサークルになってしまいましたが、でも、この粟田の方針転換が無かったら、うちは早期に廃部になっていたと思います。
大学の邦楽クラブで当時最大だったのが近畿大学で、ここは都山、琴古と2つ有りましたが、大きい都山の方は百人以上いました。それが今は消滅。小さかった琴古は相変わらず小さいままですが、今も存続しています。
私の時代に、関東で最も勢いの有ったのが明治大学です。ここは、その後4人までに減り、存続が危ぶまれていましたが、見事に盛り返しました。今も昔も大きいのは岡山大です。同大ОBの話では「ここまで大勢だと誰か仲の良いヤツが出来るので辞めない」との事です。
今だと部員数、実力ともに全盛を迎えているのが東北大学ですね。部員百名、それでいて演奏の実力は、私達の時代の大学邦楽クラブとの比較を無意味なものにしています。
しかし、その一方で消滅したクラブも多いのです。この差は、いったいどこで決まるんでしょうかね?
大学の邦楽サークル出身者が、この40年以上、実質的に尺八界を動かしてきました。その証拠に、プロ尺八家を列挙してごらんなさいな、ほとんどが大学邦楽部の出身者でしょう。もっとも今は芸大出身者も多いのですが、平成の初めだと40代以下のプロ尺八家の8割が大学邦楽部出身者です。
大学邦楽は、この20年で大きく変わりました。まず驚くのが尺八は女性の方が多いという事です。私達の大学時代には、想像も出来なかった事態です。
さらに仰天するのは、すでに古典邦楽を全くやらないクラブが出て来ています。「六段とか千鳥もやりませんか?」、「はい、やった事有りません」。もう事態は、ここまで進んできています。大学邦楽サークルって、未来に起こる事の指針です。ですから、確実に、これから古典邦楽をソフトに持たない尺八家が増えていきます。尺八は間違いなく「邦楽に使われる場合も有る和楽器」の道を進んでいます。
新規プロ参入の、もう一方の供給源・芸大との比較では、大学クラブは職業化を前提としていませんし、指導者の影響力も限定的なものでしかありません。だから好きに行動できるし、また、そういうクラブしか存続出来ません。
芸大が「宮城芸大教室」、「芸大中之島出張所」と揶揄されていた様なケースは、市場規模が小さく、組織が生活の場を、ほとんど提供出来ない尺八では起きませんでした。尺八は個人の力量とアイデアで生きていくしかない世界です。でも、支える力も必要です。その点で、大学クラブは有利ですね。なんせ社会人になっている、かつての先輩、後輩、同僚、これらが全て頼りになる支援層ですもんね。
かく言う私の場合でも、尺八製造業に乗り出すに当たって、「出来たら持ってこい。お前がやるんなら買ってやるから」という申し出で、やる前から予約が50本近く入りました。もちろん全部が法政関係ではないですが、いや~有難かったな。いくら人徳とは言え・・・。で、その半数以上が未だ納品していないんです。デビュー間無しに超売れっ子になりましたもの。いや~、有難いな。いくら実力とは言え。
私は大学クラブには甘い。「尺八代金が払えなければ踏み倒せば良いじゃないか」と言う事が頻繫に有りますが、言葉通りに受け止めるアホがいないのが大学クラブです。また「頼む、もうそろそろ払って頂戴」と頼むと、無理しても払ってくれるのも大学クラブです。
中には本当に踏み倒した人もいましたが、それは、言わば「税金」だと思っています。大学邦楽クラブが無くて、尺八が大きく育つわけが無いと思っていますからね。
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