マナー
- 2019/08/21
- 22:38
ここのところ連日、あおり運転をしたⅯと愛人Kの事がテレビで採り上げられています。そりゃケシカランには違い有りませんよ。でもテレビの全国報道で大きく採り上げられて、実名と写真付きで性格非難までされて、連日さらし者になる様な事でしゃろか?
犯罪としたら、大体が示談になる程度のもので、立件されたとしても、マア執行猶予が順当なところでしょう。前の「老人から運転免許をとりあげろ」と同じく、反対意見を出しにくい事をキャンペーン材料にして、その実はドライブレコーダーを大量販売するための企業戦略ではないのかと勘繰りたくなりませすぜ。もし義務化が成功すれば年間千億円単位の「産業利権」ですもんね。
まあ、それはともかく、「あおり運転」の定義って何ですか?広い意味での「あおり」は、「された経験」はほとんどの人が有ると思います。「した経験」も男の少なく見積もって半分くらいは有るのではないでしょうか。
私の免許取り立ての頃、そう50年前は、日本人の運転マナーたるや、それは酷いものでした。当時は「一姫、二トラ、三ダンプ」という言葉が有りましたが、その輝かしい1位にランクされた様に、女性ドライバーの未熟運転は「怖いモノ」でした。車の流れを無視した法定速度厳密順守の「ガン子さん」がいたかと思えば、信号が青に変わっても発車しない「オトロちゃん」、そうかと思えばタイミングを測りかねての出会いがしらの急発進。ヒャッとした事は何度も有りました。
トラは今では減りましたが、当時は夜など10台に1台くらいはそうだったんではないですかね?私が大学4年の時に、瀬田の馬事公苑の前の道路で初めて「ネズミ捕り」に引っかかった時の事ですよ。深夜、警察バスの中に連れ込まれると先客がいました。俳優の宍戸錠で、「砧撮影所で水割りを4杯飲んだ」との事で、すっかり出来上がっていて、私がバスの中に入ると上機嫌で片手を挙げて「ヨウ同志」と挨拶してきました。私は単なるスピード違反ですが、エースの錠さん、アンタは水割り4杯、まず免停ですな.だから「同志のわけがネエだろう」。それが、翌日テレビでは、たしかトヨタカローラだったと思うけど、コマーシャルに出てましたぜ。まあ良いですけどね、彼の乗っていたのは外車でカローラのはずはありませんや。大物俳優ですもんね。そう言えば私の乗っていた車こそカローラでしたよ。大物になる前の学生時代ですもんね・・・。
恐怖の3位にランクされていたダンプですが、今は本当にマナーが良くなりました。当時は「ドカタ気質」そのままに乱暴な自分勝手運転が普通でした。深夜なんか信号なんて眼中に有りませんでしたぜ。私も何度も「あおり」に合ってますが、相手は常にダンプでした。決まって「追い抜きに腹を立てて」。だいたい走行車線で「亀」をやるから追い抜いたんだ。「あおり」が出来るんなら最初から速く走れ・・・。
大体の人間、それも男は「多少のあおりが無くて、それでノタチンやオトロチャンをどうすんだよ」と思うでしょう。流れを無視したオトロもノタ公は、それはそれで実に危険です。
昭和40年頃から日本政府は「ゆるい党人支配の脱却。精緻な官僚支配」を一貫して目指してきました。その結果、戦前の反省から日本人に強いアレルギーの有った「警察の民事介入」を今では一部にしろ容認する意見さえ有ります。そのうちに一部行使では済まなくなる可能性が有るからこそ、これまでの日本人は断固反対の姿勢をとってきたんですがね。
昭和3、40年代みたいなサヨクの力が強かった時でも、世間知らずの学者や文化人が何を言おうと、大半のオトナは信用しなかった。だって共産主義国って現実には統制社会、命令経済の体勢でしたもの。
人は誰もが束縛は嫌なんですよ。必要最低限のルールだって、出来れば人間の内面、つまり道徳,、マナーの範囲で各人が守れば良いと言うのが理想でしょう。
尺八みたいな社会的な拘束を持たない世界で、これまでともかくも「ソフトの強制、義務化」が存在しえたのは文明国ながら、特殊な社会構造をもっていた日本社会の「世界的奇態」に他なりません。今に至っては「次の世代にも継続する」と本気で思っている社中経営者は、もういないとは思いますが、「自分一代は大丈夫だろう」で日々を送っているんだろうと思います。かく言う私だって、分かり難く巧妙な、じわじわと来ている、様々な社会の強制の強まりを「自分が生きている間は無事だろう」で、もう済ます年になってしまいました。
犯罪としたら、大体が示談になる程度のもので、立件されたとしても、マア執行猶予が順当なところでしょう。前の「老人から運転免許をとりあげろ」と同じく、反対意見を出しにくい事をキャンペーン材料にして、その実はドライブレコーダーを大量販売するための企業戦略ではないのかと勘繰りたくなりませすぜ。もし義務化が成功すれば年間千億円単位の「産業利権」ですもんね。
まあ、それはともかく、「あおり運転」の定義って何ですか?広い意味での「あおり」は、「された経験」はほとんどの人が有ると思います。「した経験」も男の少なく見積もって半分くらいは有るのではないでしょうか。
私の免許取り立ての頃、そう50年前は、日本人の運転マナーたるや、それは酷いものでした。当時は「一姫、二トラ、三ダンプ」という言葉が有りましたが、その輝かしい1位にランクされた様に、女性ドライバーの未熟運転は「怖いモノ」でした。車の流れを無視した法定速度厳密順守の「ガン子さん」がいたかと思えば、信号が青に変わっても発車しない「オトロちゃん」、そうかと思えばタイミングを測りかねての出会いがしらの急発進。ヒャッとした事は何度も有りました。
トラは今では減りましたが、当時は夜など10台に1台くらいはそうだったんではないですかね?私が大学4年の時に、瀬田の馬事公苑の前の道路で初めて「ネズミ捕り」に引っかかった時の事ですよ。深夜、警察バスの中に連れ込まれると先客がいました。俳優の宍戸錠で、「砧撮影所で水割りを4杯飲んだ」との事で、すっかり出来上がっていて、私がバスの中に入ると上機嫌で片手を挙げて「ヨウ同志」と挨拶してきました。私は単なるスピード違反ですが、エースの錠さん、アンタは水割り4杯、まず免停ですな.だから「同志のわけがネエだろう」。それが、翌日テレビでは、たしかトヨタカローラだったと思うけど、コマーシャルに出てましたぜ。まあ良いですけどね、彼の乗っていたのは外車でカローラのはずはありませんや。大物俳優ですもんね。そう言えば私の乗っていた車こそカローラでしたよ。大物になる前の学生時代ですもんね・・・。
恐怖の3位にランクされていたダンプですが、今は本当にマナーが良くなりました。当時は「ドカタ気質」そのままに乱暴な自分勝手運転が普通でした。深夜なんか信号なんて眼中に有りませんでしたぜ。私も何度も「あおり」に合ってますが、相手は常にダンプでした。決まって「追い抜きに腹を立てて」。だいたい走行車線で「亀」をやるから追い抜いたんだ。「あおり」が出来るんなら最初から速く走れ・・・。
大体の人間、それも男は「多少のあおりが無くて、それでノタチンやオトロチャンをどうすんだよ」と思うでしょう。流れを無視したオトロもノタ公は、それはそれで実に危険です。
昭和40年頃から日本政府は「ゆるい党人支配の脱却。精緻な官僚支配」を一貫して目指してきました。その結果、戦前の反省から日本人に強いアレルギーの有った「警察の民事介入」を今では一部にしろ容認する意見さえ有ります。そのうちに一部行使では済まなくなる可能性が有るからこそ、これまでの日本人は断固反対の姿勢をとってきたんですがね。
昭和3、40年代みたいなサヨクの力が強かった時でも、世間知らずの学者や文化人が何を言おうと、大半のオトナは信用しなかった。だって共産主義国って現実には統制社会、命令経済の体勢でしたもの。
人は誰もが束縛は嫌なんですよ。必要最低限のルールだって、出来れば人間の内面、つまり道徳,、マナーの範囲で各人が守れば良いと言うのが理想でしょう。
尺八みたいな社会的な拘束を持たない世界で、これまでともかくも「ソフトの強制、義務化」が存在しえたのは文明国ながら、特殊な社会構造をもっていた日本社会の「世界的奇態」に他なりません。今に至っては「次の世代にも継続する」と本気で思っている社中経営者は、もういないとは思いますが、「自分一代は大丈夫だろう」で日々を送っているんだろうと思います。かく言う私だって、分かり難く巧妙な、じわじわと来ている、様々な社会の強制の強まりを「自分が生きている間は無事だろう」で、もう済ます年になってしまいました。
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