旧仮名
- 2019/08/25
- 22:16
私が覚えている最古の外食の記憶の一つが、5,6歳の時に入った、二子玉川園の正門の近くに在った日本蕎麦屋です。昭和30年か31年でしょう。私は、もうその頃には平仮名カタカナは全て読めましたが、その時に入った蕎麦屋の御品書きには、漢字ではないのに読めない字が有りました。その事を祖父に云うと、「ああ、これはヤマト仮名。平仮名とかカタカナとは違う」と教えてくれました。
「ヤマト仮名」と祖父が言っていた字は、今でも日本蕎麦屋とかウナギ屋では目にします。まあ簡単に言うと漢字が平仮名に変化する途中の字体ですかね。「そば」は漢字による借音表記で「楚者」ですが、それが「そば」になる途中の字体。者が平仮名の「む」みたいな字ですよ。「か」が「う」に見えたり、祖父の時代ならともかく今では、教育勅語とか歴代天皇紀とかと同じく、知ってる方がかえって恥ですよ.(そうでもないか、変なカナを読めたって右翼に間違われたりはしないか。オレが学生時代に右翼と言われたのは反共だったからで、べつにヤマト仮名が読めたからじゃねえもんな)。
私は小学校高学年まで、周囲の大人の誰より、当然教師も含めてですが、小学校しか出ていない祖父の教養を一番信頼していました。でも祖父はアルファベットは1字も読めませんでした。それどころか「ミスター」が「こんにちは」、「モンキー」が「ありがとう」だと教えられたことがあります。オレ、自慢じゃないが中学に入る前からローマ字は読み書き出来ました。これをバイリンガルというんだぜ、きっと。でも祖父の教養に対する信頼は全体としては今も揺らいでいません。
現在と祖父の時代とは当然教養の範囲が違います。祖父が旧仮名、ヤマト仮名を自在に読み書きできた一方で、祖母は、仮名はある程度は読み書き出来た様でしたが、同居していた祖父の姉、バアバアは何かの書類の署名を母に代筆してもらっていましたから、完全な文盲。俗に云う「目に一字も無い」というやつですわ。バアバアの時代でも、もう小学校(国民学校)は義務でしたが、「女には必要無い」で、通わせなかった親も多かったんだと思います。それで十代後半になって、自主的に学ぼうという気が起こらなかったのは、「本当に必要なかった」からです。困ったら傍にいる人に読んでもらい、書いてもらえば良い。それでもも誰かが「簡単だよ」と教えて、旧仮名の複雑な理屈さえ言わなかったら、バアバアの様な当時の文盲はズット減ったと思います。「ウルサイ事を言わない」、「必要以上に複雑にしない」は普及のキモだと思います。私は「書き順」とか「送り仮名」だってイイカゲンで良いと今でも思っています。キチンと使える人はそうすれば良い。
仮名と言えば、祖父の時代には普通でも、今は難易度が高いモノに「旧仮名使い」が有ります。また「開音節表記」も今では一般的ではないですね。蝶々を「てふてふ」と書くやつですよ。日本語は母音が並ばないので、「chоu」だとОとUが並んでしまうのでマズイらしいんですわ。だからって「t℮fu」で良いと思う?
こういった知識も昔は「不便だけど慣れる」で何とか生活できたんだと思います。その当時は「そういうもんだから仕方が無い」で通ったんでしょうし、その前は必然から生まれたんでしょう。これが時代と共に変化していった。これが「伝統」の、もう一つの顔です。だって、「伝統」として今も存在している以上は「何処かで変わった過去が有った」のですよ。
それ以上に、高度の訓練が無ければ使いこなせない様なものは何処かオカシイです。私の大学時代には現役の小説家である金達寿先生が教鞭を執っていましたが、戦前の新聞社の入社問題で「旧仮名が良く分からなかった」と言っていました。それでも校正係に採用されたそうです。こんなの通用している方が変だとアナタも思うでしょう?
今の地歌筝曲は旋律を構成する音程が平均律に近くなっているので、それが作曲された当時、江戸後期や明治前期のものとは「似てはいるけど違うモノ」でしょう..。「洋楽化した邦楽」と断ずる人さえいます。でも「古典邦楽の音程」で誰が演奏できるのでっか?
古典本曲だって初代琴古以来は陰旋法です。六段が旋律的にも八橋の時代のままであるはずが有りません。このように言ってみたら、「伝統」と言ったって今は「ヒトコマずれた違う美」を継承しているわけです。
谷崎潤一郎に『陰影礼賛』という著書が有りますが、そこで「現代の明るい照明の中では能の美しさは分からない」と主張していますな。谷崎の意見も、それはそうでしょうが、そこまでコダワルと変化についていけず、かえって「衰退、滅亡」を招くと思うのです。私だって、尺八や糸方の日本最高の人達の演奏を六畳程度の閉鎖空間でサンザン聴いてきた人間です。ですから大会場で演奏される三曲合奏には常に疑いの念を持ってきました。だからって否定したら、それこそ三曲合奏は滅びますよ。ちょっと考えれば分る事です。
何かについても、トコトン拘る人はそうすれば良いだけの事。趣味ですから誰も非難しませんし、場合によっては誉められるでしょう。
でも、「時代に合わせて変化する」という姿勢は邦楽の様なものは、特に大切だと思います。大衆性、商業主義といった「相対的にインチキの少ない評価基準」に欠けるのですから。でも無くしたくもないでしょう。だって私達、たとえヒトコマずれていようと、その凄艶なまでの美しさも知っちゃたもの・・・。
「ヤマト仮名」と祖父が言っていた字は、今でも日本蕎麦屋とかウナギ屋では目にします。まあ簡単に言うと漢字が平仮名に変化する途中の字体ですかね。「そば」は漢字による借音表記で「楚者」ですが、それが「そば」になる途中の字体。者が平仮名の「む」みたいな字ですよ。「か」が「う」に見えたり、祖父の時代ならともかく今では、教育勅語とか歴代天皇紀とかと同じく、知ってる方がかえって恥ですよ.(そうでもないか、変なカナを読めたって右翼に間違われたりはしないか。オレが学生時代に右翼と言われたのは反共だったからで、べつにヤマト仮名が読めたからじゃねえもんな)。
私は小学校高学年まで、周囲の大人の誰より、当然教師も含めてですが、小学校しか出ていない祖父の教養を一番信頼していました。でも祖父はアルファベットは1字も読めませんでした。それどころか「ミスター」が「こんにちは」、「モンキー」が「ありがとう」だと教えられたことがあります。オレ、自慢じゃないが中学に入る前からローマ字は読み書き出来ました。これをバイリンガルというんだぜ、きっと。でも祖父の教養に対する信頼は全体としては今も揺らいでいません。
現在と祖父の時代とは当然教養の範囲が違います。祖父が旧仮名、ヤマト仮名を自在に読み書きできた一方で、祖母は、仮名はある程度は読み書き出来た様でしたが、同居していた祖父の姉、バアバアは何かの書類の署名を母に代筆してもらっていましたから、完全な文盲。俗に云う「目に一字も無い」というやつですわ。バアバアの時代でも、もう小学校(国民学校)は義務でしたが、「女には必要無い」で、通わせなかった親も多かったんだと思います。それで十代後半になって、自主的に学ぼうという気が起こらなかったのは、「本当に必要なかった」からです。困ったら傍にいる人に読んでもらい、書いてもらえば良い。それでもも誰かが「簡単だよ」と教えて、旧仮名の複雑な理屈さえ言わなかったら、バアバアの様な当時の文盲はズット減ったと思います。「ウルサイ事を言わない」、「必要以上に複雑にしない」は普及のキモだと思います。私は「書き順」とか「送り仮名」だってイイカゲンで良いと今でも思っています。キチンと使える人はそうすれば良い。
仮名と言えば、祖父の時代には普通でも、今は難易度が高いモノに「旧仮名使い」が有ります。また「開音節表記」も今では一般的ではないですね。蝶々を「てふてふ」と書くやつですよ。日本語は母音が並ばないので、「chоu」だとОとUが並んでしまうのでマズイらしいんですわ。だからって「t℮fu」で良いと思う?
こういった知識も昔は「不便だけど慣れる」で何とか生活できたんだと思います。その当時は「そういうもんだから仕方が無い」で通ったんでしょうし、その前は必然から生まれたんでしょう。これが時代と共に変化していった。これが「伝統」の、もう一つの顔です。だって、「伝統」として今も存在している以上は「何処かで変わった過去が有った」のですよ。
それ以上に、高度の訓練が無ければ使いこなせない様なものは何処かオカシイです。私の大学時代には現役の小説家である金達寿先生が教鞭を執っていましたが、戦前の新聞社の入社問題で「旧仮名が良く分からなかった」と言っていました。それでも校正係に採用されたそうです。こんなの通用している方が変だとアナタも思うでしょう?
今の地歌筝曲は旋律を構成する音程が平均律に近くなっているので、それが作曲された当時、江戸後期や明治前期のものとは「似てはいるけど違うモノ」でしょう..。「洋楽化した邦楽」と断ずる人さえいます。でも「古典邦楽の音程」で誰が演奏できるのでっか?
古典本曲だって初代琴古以来は陰旋法です。六段が旋律的にも八橋の時代のままであるはずが有りません。このように言ってみたら、「伝統」と言ったって今は「ヒトコマずれた違う美」を継承しているわけです。
谷崎潤一郎に『陰影礼賛』という著書が有りますが、そこで「現代の明るい照明の中では能の美しさは分からない」と主張していますな。谷崎の意見も、それはそうでしょうが、そこまでコダワルと変化についていけず、かえって「衰退、滅亡」を招くと思うのです。私だって、尺八や糸方の日本最高の人達の演奏を六畳程度の閉鎖空間でサンザン聴いてきた人間です。ですから大会場で演奏される三曲合奏には常に疑いの念を持ってきました。だからって否定したら、それこそ三曲合奏は滅びますよ。ちょっと考えれば分る事です。
何かについても、トコトン拘る人はそうすれば良いだけの事。趣味ですから誰も非難しませんし、場合によっては誉められるでしょう。
でも、「時代に合わせて変化する」という姿勢は邦楽の様なものは、特に大切だと思います。大衆性、商業主義といった「相対的にインチキの少ない評価基準」に欠けるのですから。でも無くしたくもないでしょう。だって私達、たとえヒトコマずれていようと、その凄艶なまでの美しさも知っちゃたもの・・・。
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