夏越え
- 2019/09/13
- 14:49
ようやく夏が終わった。昨日から涼しくなり、感動のあまり思わず涙が出ちゃう。この何にも増してイヤな夏は、日本列島に住む人間への試練であり、また民族の性格をも形成しました。すなわち、どんな辛い事でも、じっと我慢していれば、やがて過ぎ去る。そうやって人類最悪の環境である「日本の夏」を、我が祖先達は乗り越え、その結果、運命もあまんじて受け入れ、じっと時を待つ辛抱強い民族姓を形作っていきました。
この日本に人間が住みついたのは、どのくらい昔なのでしょう?少なくとも1万数千年前には縄文人達が新石器文化を作り始めますから、その前の旧石器時代までを見ると、かなり昔からなのでしょう。縄文人はマレーやインドネシアからフィリッピン、台湾、沖縄と島伝いに来たことが、最近の研究で分かっています。でも、縄文人の直接の子孫と言われる沖縄人とアイヌでは、ⅮNAにかなりの違いが有り、出発の場所も時期も相当違うそうです。インドネシアは多民族ですし、広いですもんね。
太古の昔、何千年かの期間に少しずつ人がやって来て、それぞれの土地で縄文文化を形成していった。4千5百年前の縄文中期が人口的には最盛期で約30万人の人口が有ったと言われます。ここで重要な点は、その人口の実に95パーセント以上が東日本に居た事です。暑いインドネシアやマレーシアを逃れ、台湾、沖縄の暑さにも耐えられない人達が、やっと日本に辿り着き、ホッと一息入れたのも束の間、どこより酷い日本の夏に直面し、もっと涼しい土地を探した結果、大多数の人が北上したに違いありません。
何ですと、「西日本には堅果類が少なく、自然採集の生活が成り立たないから」ですと。アナタ、クーラーの効いた涼しい研究室から出た事も無い学者の言う事と、毎日汗水たらして尺八を作り、台湾にまで展示会に行って働いているコノ大橋鯛山の、どちらを信用するんですか?
「モチ、お前だよ」、当然の反応が返ってきたところで本題に入ります。
学者さん達の定説では「2千5百年くらい前の縄文晩期になると、縄文人の人口は10万を割っていた」との事。そうだとして、その95パーセント以上が東日本にいましたから、広い西日本には全体で数千人の人口しかなく、まさに「見渡す限りの無人の地」だったでしょう。そこへ朝鮮半島から何百年という歳月をかけて、少しずつ、農業技術を持った弥生人が入ってきて、少しずつ農地を開いていきました。ここは学問的に異論の無い所です。
こういう経緯が有った以上、弥生人達の持ち込んだ、多大な労働力の集中、そして効率化の為に強力なリーダーを必要とする、農業という「産業革命」も、始めの何百年間は、摩擦も争いも無かったでしょう。何故ならば、無人と言うに近い土地に、そもそも土地所有の観念の無い縄文人がいただけですから。
そして、段々と農地が広がり、人口が増え、余剰生産が蓄積された段階でリーダーが支配者に変わり、小さな国家が出来た時点で集団抗争が始まります。日本の弥生時代で言うとAⅮ2世紀に起こった「倭国の大乱」です。百以上有った小国家が30になってしまい、そこで、何とか協定が成立し、邪馬台国を盟主とした小国家連合体が成立した事は、私の小学校時代から教科書にも明記して有ります。
さて、今度、尺八展示会で台湾に行って、ですな。早くもセクトによる「群立の段階」に入ってしまった事を痛感しました。初めは台湾は「尺八無人の地」でしたから、そこで広まる過程での対立は有りませんでした。18年前に初めて台北と高雄で展示会を開いた時には、台湾全土で約90人だった尺八吹き達は、皆相互に知り合いで、全員が7孔尺八で日本の「懐メロ演歌」を吹いていました。
親睦団体である台湾尺八協会所属員すら全体の3割を切ってしまった今は、全台湾に何人の尺八吹きがいるのか誰も知りません。最大公約数で「4百から6百」と言う人が多いですが、でも今回邦楽ジャーナルの田中さんがインタビューした李さんは「自分の教えている人だけで2百人」と答えていました。これは、外国人は、日本人と違い「流派の拘束」を無視しますから、異なる教室に重複所属している人が多い為だと思います。この点が救いです。
中国でも台湾でも、外国の何処でも、こういう流動が尺八でも普通なのは幸いな事です。でも、段々と尺八が根付いていって、利益が期待できるようになると、もう日本では滅びた矮小な流派による「セクト主義」が、再び頭をもたげる時代にならないとも限りません。事実、すでに一部の会や流には、その動きが有ります。「セクト主義」では尺八が短期間に行き詰まる事は日本で、すでに実証済みです。「強制されたソフト」にヒトは我慢しない。まして今では・・・。
現段階での尺八の海外普及は、言ってみれば、新たに農地を開く様な感じです。でも今は無限に見える「中国尺八市場」も、やがて飽和に達するのは当然です。その時に「倭国の大乱」にならない方法は簡単です。
「無秩序な自由選択」、これに尽きます。農地は有限で独占所有ですよ、でも尺八の様な文化は違うのです。複数流派会派への所属の自由、これによって1人の人間を複数の会派が顧客化する事が出来るのです。また同じ人間が異なるソフトに興味を持つ以上は、「何でも有り」が一番良い。かつて琴古で古典しかやらなかった人達の多くが、歌謡曲を吹けなかったのは、「分からなかったから」だとは誰も思いませんでしょう。聞いた事の無い旋律を「譜面吹き」していた結果、正しい音程が採れなくなっていて、それで、誰でも旋律を知っている歌謡曲を吹くと嗤われただけです。
言葉を変えれば、自由な選択に耐えられる供給側の体質が有れば、尺八の未来は明るいのです。
私は、この先も中国、台湾にプロ演奏家を送り込みますが、目的の一つは、排他を目指す矮小なセクト主義を壊す為です。それで、11月の蘇州には、地無し尺八の野入虚彗(狂人グレート・アガール)を、そして来年3月には大人気の辻本好美を帯同します。
この日本に人間が住みついたのは、どのくらい昔なのでしょう?少なくとも1万数千年前には縄文人達が新石器文化を作り始めますから、その前の旧石器時代までを見ると、かなり昔からなのでしょう。縄文人はマレーやインドネシアからフィリッピン、台湾、沖縄と島伝いに来たことが、最近の研究で分かっています。でも、縄文人の直接の子孫と言われる沖縄人とアイヌでは、ⅮNAにかなりの違いが有り、出発の場所も時期も相当違うそうです。インドネシアは多民族ですし、広いですもんね。
太古の昔、何千年かの期間に少しずつ人がやって来て、それぞれの土地で縄文文化を形成していった。4千5百年前の縄文中期が人口的には最盛期で約30万人の人口が有ったと言われます。ここで重要な点は、その人口の実に95パーセント以上が東日本に居た事です。暑いインドネシアやマレーシアを逃れ、台湾、沖縄の暑さにも耐えられない人達が、やっと日本に辿り着き、ホッと一息入れたのも束の間、どこより酷い日本の夏に直面し、もっと涼しい土地を探した結果、大多数の人が北上したに違いありません。
何ですと、「西日本には堅果類が少なく、自然採集の生活が成り立たないから」ですと。アナタ、クーラーの効いた涼しい研究室から出た事も無い学者の言う事と、毎日汗水たらして尺八を作り、台湾にまで展示会に行って働いているコノ大橋鯛山の、どちらを信用するんですか?
「モチ、お前だよ」、当然の反応が返ってきたところで本題に入ります。
学者さん達の定説では「2千5百年くらい前の縄文晩期になると、縄文人の人口は10万を割っていた」との事。そうだとして、その95パーセント以上が東日本にいましたから、広い西日本には全体で数千人の人口しかなく、まさに「見渡す限りの無人の地」だったでしょう。そこへ朝鮮半島から何百年という歳月をかけて、少しずつ、農業技術を持った弥生人が入ってきて、少しずつ農地を開いていきました。ここは学問的に異論の無い所です。
こういう経緯が有った以上、弥生人達の持ち込んだ、多大な労働力の集中、そして効率化の為に強力なリーダーを必要とする、農業という「産業革命」も、始めの何百年間は、摩擦も争いも無かったでしょう。何故ならば、無人と言うに近い土地に、そもそも土地所有の観念の無い縄文人がいただけですから。
そして、段々と農地が広がり、人口が増え、余剰生産が蓄積された段階でリーダーが支配者に変わり、小さな国家が出来た時点で集団抗争が始まります。日本の弥生時代で言うとAⅮ2世紀に起こった「倭国の大乱」です。百以上有った小国家が30になってしまい、そこで、何とか協定が成立し、邪馬台国を盟主とした小国家連合体が成立した事は、私の小学校時代から教科書にも明記して有ります。
さて、今度、尺八展示会で台湾に行って、ですな。早くもセクトによる「群立の段階」に入ってしまった事を痛感しました。初めは台湾は「尺八無人の地」でしたから、そこで広まる過程での対立は有りませんでした。18年前に初めて台北と高雄で展示会を開いた時には、台湾全土で約90人だった尺八吹き達は、皆相互に知り合いで、全員が7孔尺八で日本の「懐メロ演歌」を吹いていました。
親睦団体である台湾尺八協会所属員すら全体の3割を切ってしまった今は、全台湾に何人の尺八吹きがいるのか誰も知りません。最大公約数で「4百から6百」と言う人が多いですが、でも今回邦楽ジャーナルの田中さんがインタビューした李さんは「自分の教えている人だけで2百人」と答えていました。これは、外国人は、日本人と違い「流派の拘束」を無視しますから、異なる教室に重複所属している人が多い為だと思います。この点が救いです。
中国でも台湾でも、外国の何処でも、こういう流動が尺八でも普通なのは幸いな事です。でも、段々と尺八が根付いていって、利益が期待できるようになると、もう日本では滅びた矮小な流派による「セクト主義」が、再び頭をもたげる時代にならないとも限りません。事実、すでに一部の会や流には、その動きが有ります。「セクト主義」では尺八が短期間に行き詰まる事は日本で、すでに実証済みです。「強制されたソフト」にヒトは我慢しない。まして今では・・・。
現段階での尺八の海外普及は、言ってみれば、新たに農地を開く様な感じです。でも今は無限に見える「中国尺八市場」も、やがて飽和に達するのは当然です。その時に「倭国の大乱」にならない方法は簡単です。
「無秩序な自由選択」、これに尽きます。農地は有限で独占所有ですよ、でも尺八の様な文化は違うのです。複数流派会派への所属の自由、これによって1人の人間を複数の会派が顧客化する事が出来るのです。また同じ人間が異なるソフトに興味を持つ以上は、「何でも有り」が一番良い。かつて琴古で古典しかやらなかった人達の多くが、歌謡曲を吹けなかったのは、「分からなかったから」だとは誰も思いませんでしょう。聞いた事の無い旋律を「譜面吹き」していた結果、正しい音程が採れなくなっていて、それで、誰でも旋律を知っている歌謡曲を吹くと嗤われただけです。
言葉を変えれば、自由な選択に耐えられる供給側の体質が有れば、尺八の未来は明るいのです。
私は、この先も中国、台湾にプロ演奏家を送り込みますが、目的の一つは、排他を目指す矮小なセクト主義を壊す為です。それで、11月の蘇州には、地無し尺八の野入虚彗(狂人グレート・アガール)を、そして来年3月には大人気の辻本好美を帯同します。
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