2週間くらい前ですが、岡山の新聞社から取材を受けました。、私に「尺八についての現況を訊きたい」との事でした。なんでも、尺八家の石川利光さんから「大橋に訊く様に」と勧められたそうです。
この手の取材、ここ1年間で4回目ですよ。NHK、新聞社、訊く媒体は違っても質問の内容は皆同じです。「尺八界の過去3、40年の盛衰を知りたい」。「今、尺八界は何人くらいいるのか?」。「世界に広まっていると聞くが、どの程度なのか?」。まあ相手は報道機関で、私達みたいに尺八と直接の利害関係を持つわけではないので仕方がありませんが、要するに尺八界が現在直面している、本質的な問題点への質問ではないです。
それにしても最近、尺八についての報道が多くなりました。また、世間一般の人が、意識しないレベルではあれ、尺八を含めた和楽器の音、演奏を聞く機会が今ほど多い時は、少なくとも今年69の私の記憶の範囲では無かったと思います。私は、尺八については、もうブームが始まっていると思います。それを私は強く実感しています。
尺八の生産が注文に間に合わない、この現象は40年前からですから、「ここにきて、さらに増えた」と云うのとも違います。数でだけ言えば20年前の方が多かった。でも、当時は、まだ元気だった既成の尺八界からの注文が多かったのです。新しい人、若い人からの注文は今の方が多いのです。
「そんなバカな」と思いますよね。そうですよ、尺八界にいる人が見ている景色の中では、尺八は若い人、新しい人が入ってこない世界です。新しい人、若い人は社中、流派、現代邦楽や古典邦楽をひっくるめた「邦楽の世界」にはいないのです。そういう世界は良いとか悪いとかでなく、すでに「終わった世界」ですもの。
私が尺八を始めた50年前には、すでに「古典邦楽(現代邦楽、新曲みな同じ)が好きだから尺八を始めた」と言う人はいませんでした。あくまで「尺八の音色に魅かれて」でした。それに付け加えれば、「日本精神」を感じさせる、尺八の持つ一種独特の雰囲気です。ですから、ソフトとハードとの乖離は、はるか遠い昔には、すでに起きていたのです。
現在は、ハードである尺八が「邦楽」というソフトから離脱しようとしている段階です。ここをマスコミの人に訊いて欲しかった。そうなるとどう変化するか?
尺八は流という枠組みが壊れた以上、ソフトの有る所を自由に動く。その結果、本当に魅力的な「チャンとやった古典邦楽」も、今よりズット多くのファンを獲得するようになる。ただし、忘れてはならない事が有ります。
「古典邦楽は優先ソフトではなく、その他たくさんのソフトとの選択で、同時に演奏される」という事です。そうなれば、これまでの様に枠組による強制で演奏するのではないので、演奏している本人が「つまらねえな」と思いながら、チンプンカンプンで尺八の音を出すという、尺八界にとっては「当たり前」だった現象ば無くなります。ですから、古典邦楽は本来の魅力的な姿を現すと思います。
ですから、「古典邦楽も良いものだね、ただし、そればっか聴きたくはないよね」に向かうと思いますがね・・・。
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