悪口
- 2019/11/19
- 23:18
今はチョットした事でも、すぐ「傷ついた」とか言われてしまいます。あげくパワハラだとかモラハラですとよ。そうかな?気持ちは分からないわけじゃないけど、ほんとにそれで良いの?
私達の子供時代は、他人の悪口はオトナでも公然と言っていました。私の家族では、言わなかったのは父、それと早くに亡くなった祖母だけです。近所のオトナでも半分の確率で、近所の人を口汚く罵っていました。でも同じ人同士が、別の状況では、相槌を打ち合って仲良く会話もしていましたがの。それは共通の貶す相手を見つけた時です。実に懐かしい風景です。
私の子供の頃が良い時代だったと言うんじゃありませんぜ。昔の日本人は、私から見ても、全体に今よりズット幼稚だったと思います。国も貧しかったし、妬み、嫉みの感情をもろに出す人が多く、今となっては、あまり住みたい国ではありませんわ。でも、今の、すぐ「何とかハラ」だと騒ぐ状況も行き過ぎの様に思うのですよ。「すぐ傷つく人間」が、今や欧米に取って代わろうとしている近隣諸国やアジアの人達の逞しさ、タフネス、ズブトサに対抗出来るんでしょうか?。多分ですが、欧米人にだって負けますぜ。
私のいた頃の法政大学三曲会は、相手の人権を根底から無視する悪口が日常的に飛び交っていました。でも、それが原因で喧嘩になった事は、ただの一度も有りませんでした。言葉は言葉だけのもの。特に私の先輩達は、妬み、嫉みのマイナス感情を何処かに置き忘れてきた人達で、何を言われようと後に引きずらない人間性は、皆が深く信頼していましたので、遠慮なく互いに悪口を言いながらも、困ったことが起これば躊躇無く相談できる間柄でした。
これが理想と言うつもりも無いのですよ。所詮は、青春の一時期の閉鎖された空間におけるだけのもの、互いに社会に出て、護るものが多くなれば、事はそう単純には済みませんわ。
でも、悪口であっても言い合わないと、自分や相手の本当の姿は分からないのではないでしょうか?。たとえば、この邦楽界というヤツだけ見ても、「仲間誉めの世界」に安住してきた結果、他の世界の人達からは、いつの間にか相手にされなくなり、ますます殻に閉じこもる様になりました。ここ20年の糸方の大社中の批判に対する過剰反応ぶりは、「それでもオトナの集団か?」というくらいですし、自分の事でも、数年前に『邦楽ジャーナル』に載った私の記事が気に食わなかった尺八大社中(尺八の中では大という程度)の幹部の人達が、「裁判を考えている」と言ってきました。私の答え、「おお、おやりなさい。嗤われるだけだから」です。なに、大人の集団の尺八界です、一時の興奮が収まれば沈静化します。だって、ほとんどの人が会社勤めを立派にやり遂げた人なんですもの。
「悪口には貴重な忠言が含まれている事が有る」と考えないと組織はモタナイですよ。もっとも社中はもうモタナイ。でも寿命を延ばすことは出来るはずです。消滅までの時間が長くなれば、その間に、また別の状況が出てこないとも限りませんでしょう。
一つ言いましょう。去年、日本尺八連盟から秋田支部40名弱が纏まって抜け「竹遊会」を結成しました。全体の3パーセントが瞬間風速的に消えたのです。この兆候は、実は何年も前から出ていたのですよ。その問題提起を聞き流すから、こういう事になる・・・。
耳障りの良い事しか聞かないでいると、その結果として体質の弱体化を招く。だから今はもう、邦楽人でも邦楽界を相手にしなくなったのです。
仲間誉めだって良いですよ。でも悪口もチャンと聞きましょうや。邦楽に関しては、その方が実は真実が多いのですから・・・。
私達の子供時代は、他人の悪口はオトナでも公然と言っていました。私の家族では、言わなかったのは父、それと早くに亡くなった祖母だけです。近所のオトナでも半分の確率で、近所の人を口汚く罵っていました。でも同じ人同士が、別の状況では、相槌を打ち合って仲良く会話もしていましたがの。それは共通の貶す相手を見つけた時です。実に懐かしい風景です。
私の子供の頃が良い時代だったと言うんじゃありませんぜ。昔の日本人は、私から見ても、全体に今よりズット幼稚だったと思います。国も貧しかったし、妬み、嫉みの感情をもろに出す人が多く、今となっては、あまり住みたい国ではありませんわ。でも、今の、すぐ「何とかハラ」だと騒ぐ状況も行き過ぎの様に思うのですよ。「すぐ傷つく人間」が、今や欧米に取って代わろうとしている近隣諸国やアジアの人達の逞しさ、タフネス、ズブトサに対抗出来るんでしょうか?。多分ですが、欧米人にだって負けますぜ。
私のいた頃の法政大学三曲会は、相手の人権を根底から無視する悪口が日常的に飛び交っていました。でも、それが原因で喧嘩になった事は、ただの一度も有りませんでした。言葉は言葉だけのもの。特に私の先輩達は、妬み、嫉みのマイナス感情を何処かに置き忘れてきた人達で、何を言われようと後に引きずらない人間性は、皆が深く信頼していましたので、遠慮なく互いに悪口を言いながらも、困ったことが起これば躊躇無く相談できる間柄でした。
これが理想と言うつもりも無いのですよ。所詮は、青春の一時期の閉鎖された空間におけるだけのもの、互いに社会に出て、護るものが多くなれば、事はそう単純には済みませんわ。
でも、悪口であっても言い合わないと、自分や相手の本当の姿は分からないのではないでしょうか?。たとえば、この邦楽界というヤツだけ見ても、「仲間誉めの世界」に安住してきた結果、他の世界の人達からは、いつの間にか相手にされなくなり、ますます殻に閉じこもる様になりました。ここ20年の糸方の大社中の批判に対する過剰反応ぶりは、「それでもオトナの集団か?」というくらいですし、自分の事でも、数年前に『邦楽ジャーナル』に載った私の記事が気に食わなかった尺八大社中(尺八の中では大という程度)の幹部の人達が、「裁判を考えている」と言ってきました。私の答え、「おお、おやりなさい。嗤われるだけだから」です。なに、大人の集団の尺八界です、一時の興奮が収まれば沈静化します。だって、ほとんどの人が会社勤めを立派にやり遂げた人なんですもの。
「悪口には貴重な忠言が含まれている事が有る」と考えないと組織はモタナイですよ。もっとも社中はもうモタナイ。でも寿命を延ばすことは出来るはずです。消滅までの時間が長くなれば、その間に、また別の状況が出てこないとも限りませんでしょう。
一つ言いましょう。去年、日本尺八連盟から秋田支部40名弱が纏まって抜け「竹遊会」を結成しました。全体の3パーセントが瞬間風速的に消えたのです。この兆候は、実は何年も前から出ていたのですよ。その問題提起を聞き流すから、こういう事になる・・・。
耳障りの良い事しか聞かないでいると、その結果として体質の弱体化を招く。だから今はもう、邦楽人でも邦楽界を相手にしなくなったのです。
仲間誉めだって良いですよ。でも悪口もチャンと聞きましょうや。邦楽に関しては、その方が実は真実が多いのですから・・・。
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