犬料理
- 2020/04/07
- 10:26
私が大学4年の夏休み。ですから、もう48年も前です。梅毒庵こと林嵐山と初めての海外旅行で韓国に行きました。2週間の旅行で、私は何だかんだで総額7万5千円くらい使いました。当時の大学出の初任給が手取り月4万円程度だった事を考えると、張り込んだものです。その為に1月半休日無、1日10時間労働のバイトをしました。その頃は、別にブラックでもなく、そんな会社はいくらでも有ったものです。「収入が増えるんだから良いや」と、受け入れていた人が多かったですね。それに正規の就職口が幾らでも有った時代ですから、金や待遇が良くなくて仕事だけきつければ、そんな会社には人はいませんよ。
交通費を払って韓国に上陸した時、私の財布には、まだ6万5千円ほど残っていました。当時の韓国は貧しい国で、収入的にはエリートだったドカタでさえ日給7百ウオン(当時のレートで5百円)。街には失業者が溢れていました。ですから、この6万5千円というのは「天文学的数字」とまではいかなくとも、かなり使い勝手が有ったものです。
林と一緒でしたから、様々な異常体験をさせてもらいましたわ。ソウルに着いた日に泊まった宿屋は窓も無い部屋で、私が真夏の暑さで眠れないでいるのに、ヤツは横でタカイビキ、「全く・・・。育ちが分かるぜ」と呪ったものです。
翌朝明るくなって見渡すと、まわりはスラム。まあ、当時の韓国は夜12時以降は外出禁止でしたから、深夜に到着したので、勝手が分からず真っ暗な中でバスターミナル付近の宿をとったのですからヤツにも同情すべき点は有ります。そうでなきゃ、その時点で喧嘩別れしてましたぜ。それにしても、リッツカールトンや上海マンダリンの前で記念写真を撮った事も有る私と違って、ヤツは今でも、たいして変わらない所に宿泊してるんと違いますか?星霜50年、互いの境遇の開きに感慨ひとしお、です。
それ以外で特に印象に残ったのは、大邱で食べた犬肉料理です。「せっかく韓国に来たんだからボシンタンを喰おう」と言われて、それが何かも知らなかった私も付き合いました。ボシンタンというのは保身湯と書く犬肉の辛いスープです。良くヤツは知っていたもんだと感心しました。真夏の健康料理だとのことですが、私は半分も食べられませんでした。辛くて臭くて。
この料理は、上等の店で食べると臭くないそうです。元々は、そのものズバリのケジャンクㇰ(犬スープ)と呼んでいたのが、李承晩大統領のフランチェスカ夫人(オーストリア人)が嫌がったので、保身湯という隠語で表される様になったそうです。ソウルオリンピックの時も「外国人に野蛮だと思われる」と問題になって、見える場所からは保身湯の看板が消え、そのウチにサーチョルチプ(四節の家)という隠語にまた変わりました。最近の事は知りませんが、前はサーチョルチプの看板がソウルの表通りにも見られましたね。
朝鮮半島では昔から犬を食べる習慣が有り、在日コリアン作家の李恢成が書いている事ですが、子供の時、仲良くしていた犬が李さんが学校から帰ると父親とその友人達の為に鍋になっていたそうです。この犬を食べる習慣は今でもアジアだけでなく、かなり広く存在しているそうですし、意外に思うかもしれませんが、江戸時代までは日本でも珍しい事ではありませんでした。
「犬肉を食べるのは、日本人の鯨と同じで民族の食文化だ。習慣の違う外国人が口を出すことじゃない」と言う韓国人もいます。ただ、一般的な韓国人の感想は、私の会話した範囲ですが、「そんなのどっちでも良いじゃないか。好きな人は食べるし、文句言う人はいるだろうが、そんなの犬肉だけの事じゃないよ。オレ?出されれば食べるかもしれないが、別に無くても良いよ」というあたりだと思います。
本音を言うと大多数の日本人にとっての鯨も同じだと思いませんか?それが外国政府や団体から何か抗議を受けると、その時だけ「クジラ肉愛好者」になる御方がいますな。ヒトコト云いますけど「捕鯨反対」は日本人の中にも、かなりいますぜ。私は違うけどね。「鯨を食べることは文化だ」という理由で「捕鯨禁止」に反対する意見が多いのですが、それだと通らないですよ。相手だって「動物愛護という文化」で言ってんですから。
邦楽でも目に見える変化として三味線の皮がカンガルーになりましたな。日本で猫が普通には使えなくなったのは実は半世紀も前からです。そこで外国、初めは韓国、そして台湾。そこでもやれなくなりタイに移っていきました。今や、そこもダメになってカンガルー、ヤギですよ。「動物愛護」でタイが猫皮供給地でなくなるのは、実は時間の問題で分かっていた事です。ヨーロッパなんかで批判のキャンペーンが、かなり扇情的にやられていましたからね。
「何が言いたいのか?対抗キャンペーンでもやれば良かったとでも言うのか?」ですって、とんでもない。それに、そもそも邦楽界にそんなリキは有りませんよ。多くの日本人が韓国の犬食文化を「野蛮だ」と感じる以上は、世界の人、韓国も含めて「三味線なんて聞いた事も無い楽器の為なんぞに多数の猫が殺されるなんて間違っている。」と考えるのが世界の趨勢でしょうよ。文化に関する議論に「良い悪い」なんてないんですよ。だからですね、だからこそですね、世界の中にシンパをたくさん創るのが大切なんだと思いませんか?
幸い尺八は今のところ大きな問題になる様な事は起きていません。将来、漆カブレ、割れはクレームの対象に、おそらくなるでしょう。でも解決のノウハウは有ります。が、その前に、これまでも生じた漆カブレや割れが「傷害罪」とか「使えなくなった事による遺失利益」の訴訟対象にならなかったのは、「そういう事も有るだろう」という尺八シンパが目に見えない防壁になっていてくれたからです。ほとんどが外国人尺八教師による斡旋でしたからね。
ですから、楽器を売る事と並行して、このシンパを創る事が、とても重要だと思うのです。「文化」は言い合いでは平行線になりがちです。だって「正しい」とか「正しくない」とは本来違うのですから。「文化として伝えてシンパを増やす事が重要」、そう思えばこそ外国展示会には身銭をきってプロ奏者を帯同しています。「何の為だ?」と訊かれたので、こうしてブログで答えました。
交通費を払って韓国に上陸した時、私の財布には、まだ6万5千円ほど残っていました。当時の韓国は貧しい国で、収入的にはエリートだったドカタでさえ日給7百ウオン(当時のレートで5百円)。街には失業者が溢れていました。ですから、この6万5千円というのは「天文学的数字」とまではいかなくとも、かなり使い勝手が有ったものです。
林と一緒でしたから、様々な異常体験をさせてもらいましたわ。ソウルに着いた日に泊まった宿屋は窓も無い部屋で、私が真夏の暑さで眠れないでいるのに、ヤツは横でタカイビキ、「全く・・・。育ちが分かるぜ」と呪ったものです。
翌朝明るくなって見渡すと、まわりはスラム。まあ、当時の韓国は夜12時以降は外出禁止でしたから、深夜に到着したので、勝手が分からず真っ暗な中でバスターミナル付近の宿をとったのですからヤツにも同情すべき点は有ります。そうでなきゃ、その時点で喧嘩別れしてましたぜ。それにしても、リッツカールトンや上海マンダリンの前で記念写真を撮った事も有る私と違って、ヤツは今でも、たいして変わらない所に宿泊してるんと違いますか?星霜50年、互いの境遇の開きに感慨ひとしお、です。
それ以外で特に印象に残ったのは、大邱で食べた犬肉料理です。「せっかく韓国に来たんだからボシンタンを喰おう」と言われて、それが何かも知らなかった私も付き合いました。ボシンタンというのは保身湯と書く犬肉の辛いスープです。良くヤツは知っていたもんだと感心しました。真夏の健康料理だとのことですが、私は半分も食べられませんでした。辛くて臭くて。
この料理は、上等の店で食べると臭くないそうです。元々は、そのものズバリのケジャンクㇰ(犬スープ)と呼んでいたのが、李承晩大統領のフランチェスカ夫人(オーストリア人)が嫌がったので、保身湯という隠語で表される様になったそうです。ソウルオリンピックの時も「外国人に野蛮だと思われる」と問題になって、見える場所からは保身湯の看板が消え、そのウチにサーチョルチプ(四節の家)という隠語にまた変わりました。最近の事は知りませんが、前はサーチョルチプの看板がソウルの表通りにも見られましたね。
朝鮮半島では昔から犬を食べる習慣が有り、在日コリアン作家の李恢成が書いている事ですが、子供の時、仲良くしていた犬が李さんが学校から帰ると父親とその友人達の為に鍋になっていたそうです。この犬を食べる習慣は今でもアジアだけでなく、かなり広く存在しているそうですし、意外に思うかもしれませんが、江戸時代までは日本でも珍しい事ではありませんでした。
「犬肉を食べるのは、日本人の鯨と同じで民族の食文化だ。習慣の違う外国人が口を出すことじゃない」と言う韓国人もいます。ただ、一般的な韓国人の感想は、私の会話した範囲ですが、「そんなのどっちでも良いじゃないか。好きな人は食べるし、文句言う人はいるだろうが、そんなの犬肉だけの事じゃないよ。オレ?出されれば食べるかもしれないが、別に無くても良いよ」というあたりだと思います。
本音を言うと大多数の日本人にとっての鯨も同じだと思いませんか?それが外国政府や団体から何か抗議を受けると、その時だけ「クジラ肉愛好者」になる御方がいますな。ヒトコト云いますけど「捕鯨反対」は日本人の中にも、かなりいますぜ。私は違うけどね。「鯨を食べることは文化だ」という理由で「捕鯨禁止」に反対する意見が多いのですが、それだと通らないですよ。相手だって「動物愛護という文化」で言ってんですから。
邦楽でも目に見える変化として三味線の皮がカンガルーになりましたな。日本で猫が普通には使えなくなったのは実は半世紀も前からです。そこで外国、初めは韓国、そして台湾。そこでもやれなくなりタイに移っていきました。今や、そこもダメになってカンガルー、ヤギですよ。「動物愛護」でタイが猫皮供給地でなくなるのは、実は時間の問題で分かっていた事です。ヨーロッパなんかで批判のキャンペーンが、かなり扇情的にやられていましたからね。
「何が言いたいのか?対抗キャンペーンでもやれば良かったとでも言うのか?」ですって、とんでもない。それに、そもそも邦楽界にそんなリキは有りませんよ。多くの日本人が韓国の犬食文化を「野蛮だ」と感じる以上は、世界の人、韓国も含めて「三味線なんて聞いた事も無い楽器の為なんぞに多数の猫が殺されるなんて間違っている。」と考えるのが世界の趨勢でしょうよ。文化に関する議論に「良い悪い」なんてないんですよ。だからですね、だからこそですね、世界の中にシンパをたくさん創るのが大切なんだと思いませんか?
幸い尺八は今のところ大きな問題になる様な事は起きていません。将来、漆カブレ、割れはクレームの対象に、おそらくなるでしょう。でも解決のノウハウは有ります。が、その前に、これまでも生じた漆カブレや割れが「傷害罪」とか「使えなくなった事による遺失利益」の訴訟対象にならなかったのは、「そういう事も有るだろう」という尺八シンパが目に見えない防壁になっていてくれたからです。ほとんどが外国人尺八教師による斡旋でしたからね。
ですから、楽器を売る事と並行して、このシンパを創る事が、とても重要だと思うのです。「文化」は言い合いでは平行線になりがちです。だって「正しい」とか「正しくない」とは本来違うのですから。「文化として伝えてシンパを増やす事が重要」、そう思えばこそ外国展示会には身銭をきってプロ奏者を帯同しています。「何の為だ?」と訊かれたので、こうしてブログで答えました。
スポンサーサイト