過去形、未来形
- 2020/04/18
- 13:28
1969年に大学に入って、それなりに尺八が面白くなりクラブ活動が楽しくなった1年生の終わりまでは、頻繁に旅行していました。当時、「乞食旅行」と呼ばれていた低予算の「プチ放浪」ですわ。1週間程度の旅でしたが、当時のアルバムを見ても1回の旅で撮った写真は、せいぜい7,8枚、少ないですよね。でも、当時はカラー写真の現像は1枚40~50円。つまり30枚の写真で1日分のバイト代がパーになるのです。写真て撮る機会も少なく、また高いものでした。私の親の代なんか、一生分の写真がアルバム1冊でっせ。
まあ、それは置いといて、諸事にわたってケチケチ旅行ですから、旅館にも民宿にも泊まれません。「ビジネスホテルのはしり」みたいなんは出て来ていましたが、3千円くらい。民宿が1泊2食で千円出せば泊まれた時代だっせ。士農工商の下に位置する大学生ですもの、ホテルなんてアナタ、身分が違いすぎます。では何処に?駅の待合室ですよ。
駅の待合室は深夜になると夜行列車を待つ客とルンペンの溜まり場でした。「ルンペン」はすでに死語ですが、語感は今の「ホームレス」に最も近いですかね。でも、私の経験から言うと、まだ少し違う様な気がします。ホームレスって、「出来れば今の境遇を脱したい、労働するのが嫌なわけではない」という人が多数なのだと思います。ですから、当時だと幾らでも何時でも仕事が有りました。代表的なところでドカタ、零細町工場、パチンコ屋です。それに対して、ルンペンって「労働拒否」の意識を持つ人が多かったように感じました。
ドカタ、ルンペンに限らず、当時は人と人との距離が近かったですね。見知らぬ人同士でも、5分も隣合わせれば、大体が会話の関係になりました。
ドカタ飲屋では大言壮語を嫌というほど聞きました。「敗戦前には満州で何十人も使用人をアゴで使っていた」、「戦後、成金になって札びらを切っていた時期も有った」とか、要するに「昔は自分は大した者だった」という話で、当り前ですが、現在形ではありません。
でも、何十人かに1人くらいは「もしかして本当かも?」と疑わせる知的レベルの人がいました。
「戦後に九州に独立国を造ろうと活動した」。 今では、たとえ玄洋社あたりの同人だったとしても、その現実感の無い計画からして、極く下っ端か、極右翼にさえ持て余される誇大妄想狂と分かります。でも、当時は、その、学校やマトモナ大人が教えてくれない「知識」に圧倒されました。
「友人に誰々(閣僚を歴任)がいる。その汚職の責任を身代わりに被った」。 今では政治家の身代わりになった人は、それなりに良い思い、少なくともドカタには成らない境遇が用意される、そう思います。でも、繋ぎ役の「使い走り」くらいはしていたんでしょう、ですから政治家やヤクザの名前がポンポン出て来るんですよ。私は大学生、まだプロレスラーの「カバン持ち」をする前ですから、そんな人達の名前は知りませんや。だからイッペンに尊敬してしまいましたわ。
それに較べて、ですな。駅の待合室で話したルンペン達って違うんですよ。穏やかでオトナシイ人が多かったですね。真面目に仕事していて、何かの切っ掛けで、ある日突然仕事が嫌になった、そういうタイプがほとんどでした。それもゴーギャンみたいな(本当の事情は知りませんよ。あくまで『月と六ペンス』で云う所の)芸術的欲求に突き動かされてではなく、言わば心が折れて「だってイヤになったんだもん」で家族も小市生活も捨てたという感じです。ですから、ドカタみたいな、「好きでやってんじゃねえ」、「仕方がねえもんな」ではなく、そのドロップアウトの決断を後悔している人も多かったのではないかと思います。
さて、この尺八界ですよ。若い頃、私の訊いた範囲で1人だけ「尺八を職に選んで後悔している」と言った人がいました。この古い友人Fは今では専業尺八家として立派に生活出来ていますし、独力で戸建て住宅を購入出来るまでになった人ですが、確かに若い頃の金銭的苦労は凄かった。でも、それを言うなら、多くの自称プロ尺八家はそうでしたよ。でも、「後悔している」という言葉はF以外からは聞いた事がありません。
どうしてか?ドカタ飲屋や駅の待合室にいる連中と違って、心が未来形だったからですよ。しかしながら、はっきり言って、30年、40年前までは「未来形」はマボロシでした。この尺八界で生きてきた人なら皆分かりますよね。青二才のうちは、その構図が十分飲み込めていないだけで(まあ、だからこそプロを目指したんでしょうが)、本人の技術なんて正当に評価される時代ではなかった。バックの無い人にとって邦楽界本来の生き方では「明日が無い」、仮に有ったとしても「大家の下請けでの将来待ち」でした。ですから、坂田誠山や三橋貴風、あるいはネプチューン、三塚という才能力量抜群で先の見通せる人は「邦楽を主な仕事にはしない」という道を選んだのです。
これからは、もう誰でも分かるまでになったのですが、尺八は大勢として邦楽界から離脱しました。もう、ほとんどの仕事は邦楽界では無くなってしまいましたもの。
勝負するのは尺八家本人の技術を含めた総合力の質量の合計です。ですから、たとえ今の状態はどうであれ、未来形を本音で語れるのです。この世界、もう過去形で話す人には未来なんて有りません。良い時代の到来です。
まあ、それは置いといて、諸事にわたってケチケチ旅行ですから、旅館にも民宿にも泊まれません。「ビジネスホテルのはしり」みたいなんは出て来ていましたが、3千円くらい。民宿が1泊2食で千円出せば泊まれた時代だっせ。士農工商の下に位置する大学生ですもの、ホテルなんてアナタ、身分が違いすぎます。では何処に?駅の待合室ですよ。
駅の待合室は深夜になると夜行列車を待つ客とルンペンの溜まり場でした。「ルンペン」はすでに死語ですが、語感は今の「ホームレス」に最も近いですかね。でも、私の経験から言うと、まだ少し違う様な気がします。ホームレスって、「出来れば今の境遇を脱したい、労働するのが嫌なわけではない」という人が多数なのだと思います。ですから、当時だと幾らでも何時でも仕事が有りました。代表的なところでドカタ、零細町工場、パチンコ屋です。それに対して、ルンペンって「労働拒否」の意識を持つ人が多かったように感じました。
ドカタ、ルンペンに限らず、当時は人と人との距離が近かったですね。見知らぬ人同士でも、5分も隣合わせれば、大体が会話の関係になりました。
ドカタ飲屋では大言壮語を嫌というほど聞きました。「敗戦前には満州で何十人も使用人をアゴで使っていた」、「戦後、成金になって札びらを切っていた時期も有った」とか、要するに「昔は自分は大した者だった」という話で、当り前ですが、現在形ではありません。
でも、何十人かに1人くらいは「もしかして本当かも?」と疑わせる知的レベルの人がいました。
「戦後に九州に独立国を造ろうと活動した」。 今では、たとえ玄洋社あたりの同人だったとしても、その現実感の無い計画からして、極く下っ端か、極右翼にさえ持て余される誇大妄想狂と分かります。でも、当時は、その、学校やマトモナ大人が教えてくれない「知識」に圧倒されました。
「友人に誰々(閣僚を歴任)がいる。その汚職の責任を身代わりに被った」。 今では政治家の身代わりになった人は、それなりに良い思い、少なくともドカタには成らない境遇が用意される、そう思います。でも、繋ぎ役の「使い走り」くらいはしていたんでしょう、ですから政治家やヤクザの名前がポンポン出て来るんですよ。私は大学生、まだプロレスラーの「カバン持ち」をする前ですから、そんな人達の名前は知りませんや。だからイッペンに尊敬してしまいましたわ。
それに較べて、ですな。駅の待合室で話したルンペン達って違うんですよ。穏やかでオトナシイ人が多かったですね。真面目に仕事していて、何かの切っ掛けで、ある日突然仕事が嫌になった、そういうタイプがほとんどでした。それもゴーギャンみたいな(本当の事情は知りませんよ。あくまで『月と六ペンス』で云う所の)芸術的欲求に突き動かされてではなく、言わば心が折れて「だってイヤになったんだもん」で家族も小市生活も捨てたという感じです。ですから、ドカタみたいな、「好きでやってんじゃねえ」、「仕方がねえもんな」ではなく、そのドロップアウトの決断を後悔している人も多かったのではないかと思います。
さて、この尺八界ですよ。若い頃、私の訊いた範囲で1人だけ「尺八を職に選んで後悔している」と言った人がいました。この古い友人Fは今では専業尺八家として立派に生活出来ていますし、独力で戸建て住宅を購入出来るまでになった人ですが、確かに若い頃の金銭的苦労は凄かった。でも、それを言うなら、多くの自称プロ尺八家はそうでしたよ。でも、「後悔している」という言葉はF以外からは聞いた事がありません。
どうしてか?ドカタ飲屋や駅の待合室にいる連中と違って、心が未来形だったからですよ。しかしながら、はっきり言って、30年、40年前までは「未来形」はマボロシでした。この尺八界で生きてきた人なら皆分かりますよね。青二才のうちは、その構図が十分飲み込めていないだけで(まあ、だからこそプロを目指したんでしょうが)、本人の技術なんて正当に評価される時代ではなかった。バックの無い人にとって邦楽界本来の生き方では「明日が無い」、仮に有ったとしても「大家の下請けでの将来待ち」でした。ですから、坂田誠山や三橋貴風、あるいはネプチューン、三塚という才能力量抜群で先の見通せる人は「邦楽を主な仕事にはしない」という道を選んだのです。
これからは、もう誰でも分かるまでになったのですが、尺八は大勢として邦楽界から離脱しました。もう、ほとんどの仕事は邦楽界では無くなってしまいましたもの。
勝負するのは尺八家本人の技術を含めた総合力の質量の合計です。ですから、たとえ今の状態はどうであれ、未来形を本音で語れるのです。この世界、もう過去形で話す人には未来なんて有りません。良い時代の到来です。
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