米の味
- 2020/06/18
- 16:34
私の後輩、高橋照誠山(河童)は大学を出た後、新潟県信連に就職しました。停年まで新潟県各地に赴任しましたが、私は77年の十日町支店と78年の柏崎支店時代に遊びに行きました.。で、このうち柏崎の下宿が、もう当時でも珍しくなっていた「賄い付き」でした。
朝晩と食事が出るので、独り者にとって便利と云えば便利ですが、もう時代に合っていませんでしたな。1960年代なら「賄い付き下宿」は、東京でも珍しくありませんでしたが、70年代に入って久しい当時では、いくら新潟でも、もう若い者は夕食くらい時間もメニューも自分の好きにしたいじゃありませんか。
ちなみに、その夕飯の内容は、と言えば、味噌汁は10年1日の如くワカメ。たとえば焼き魚程度のメインの1皿と小鉢が1皿、これでは、いくら飯食い放題で「さあ、さあ、ドンドンお替りしてください」とか言われたってねえ・・・。これで喜んで大飯を掻き込めたのは60年代までですわ。
河童の家は兼業農家で、ビックリするくらい美味い「魚沼産コシヒカリ」を作っています。こういう極上の米だと、世にセレブと讃えられる私でも、ごく少量のオカズで何杯もお替りできます。いや、むしろオカズは多くない方が良い、出来るだけシンプルな方が、かえって良い。こういうのって何とも不思議ですなあ。
「米の美味さ」を知るのは何歳くらいからでしょう?ハタチだと、もう多くの日本人が分かっているみたいです。「米の美味さ」って説明しずらいですよね。ハッキリ輪郭の有る味でもないし、初めて食べると「味がしない」みたいですよ。60年代まで、日本に来たアメリカ人プロレスラー達は、御飯に醤油をジャブジャブかけて食べていました。まだ、古いプロレス関係者の中には、その異様な光景を憶えている人もいるでしょう。
料理大国である中国では、あまり米そのものの味は重視しないみたいですね。日本人と比較的近い「米の味覚」を持っているのは韓国人だと思います。戦前の朝鮮米の美味さは定評が有りますが、私が頻繁に行っていた1970年代でも、高級な食堂ほど米が美味かったですもの。70年代の韓国では、まだ米が足らず、食堂では麦を混ぜる事が義務付けられていました。しかも週2日は米の提供は禁止で、麦、粟、稗等で作った「五穀米」と称する物が出されていました。そんな頃でも、そこは良くしたもので、ビルの地下等に有った闇営業の店では、日本と変わらないレベルの寿司でも鰻重でも食べられたものです。そこでの「米の飯の味評価」は、日本と同じでした。賄賂で地元警察に、闇営業に目をつぶらせるだけあって、値段の方も日本と同じでしたな。
「日本人の好む米の味」は、外国人でも理解しようとすれば理解でき、たとえばカリフォルニア米の1級品は日本の極上米と変わりません。80年代になっても、まだ「そんなはずが無い」とか言う人がいてメンクライましたが、この点、昔の尺八吹きにも多くいましたな。「アメリカ人に尺八が分かってたまるか」とノタマウ御人が。結局こういうのって経験の差ですよ。それ以前に、現実を見ずに「意思で遮断した」のが、かつての日本人でしょう。日本人の視野が広くなった現在では、いくらなんでも、もういないでしょう。
尺八の音と似ていませんかね。下手な人の吹く尺八の音って雑音ですが、「地無し」の名手が吹く音と限りなく似ています。そして、限りなく距離が遠い。
世の中には、「すぐ分かるもの」と「すぐには分からないもの」とが有ります。「すぐには分からないもの」が「すぐ分かるもの」より程度が低いということもないし、その逆もまた無いと思うのです。でも、「分かるには時間がかかるもの」には、やはりハンディが有ると思うんですよ。結局、そのハンディを越えて真価を理解させるには、良い悪いを問わず、経験を増やす機会を提供することだと思います。
だって、子供の時から、間断なく米の飯を食べてきた我々日本人は、誰に教わること無く「米の味」を理解していますし、パンや麺類より上でも下でも無いけど、かけがえのないモノだと思っています。私らにとっての尺八って、きっと同じですよ・・・。
朝晩と食事が出るので、独り者にとって便利と云えば便利ですが、もう時代に合っていませんでしたな。1960年代なら「賄い付き下宿」は、東京でも珍しくありませんでしたが、70年代に入って久しい当時では、いくら新潟でも、もう若い者は夕食くらい時間もメニューも自分の好きにしたいじゃありませんか。
ちなみに、その夕飯の内容は、と言えば、味噌汁は10年1日の如くワカメ。たとえば焼き魚程度のメインの1皿と小鉢が1皿、これでは、いくら飯食い放題で「さあ、さあ、ドンドンお替りしてください」とか言われたってねえ・・・。これで喜んで大飯を掻き込めたのは60年代までですわ。
河童の家は兼業農家で、ビックリするくらい美味い「魚沼産コシヒカリ」を作っています。こういう極上の米だと、世にセレブと讃えられる私でも、ごく少量のオカズで何杯もお替りできます。いや、むしろオカズは多くない方が良い、出来るだけシンプルな方が、かえって良い。こういうのって何とも不思議ですなあ。
「米の美味さ」を知るのは何歳くらいからでしょう?ハタチだと、もう多くの日本人が分かっているみたいです。「米の美味さ」って説明しずらいですよね。ハッキリ輪郭の有る味でもないし、初めて食べると「味がしない」みたいですよ。60年代まで、日本に来たアメリカ人プロレスラー達は、御飯に醤油をジャブジャブかけて食べていました。まだ、古いプロレス関係者の中には、その異様な光景を憶えている人もいるでしょう。
料理大国である中国では、あまり米そのものの味は重視しないみたいですね。日本人と比較的近い「米の味覚」を持っているのは韓国人だと思います。戦前の朝鮮米の美味さは定評が有りますが、私が頻繁に行っていた1970年代でも、高級な食堂ほど米が美味かったですもの。70年代の韓国では、まだ米が足らず、食堂では麦を混ぜる事が義務付けられていました。しかも週2日は米の提供は禁止で、麦、粟、稗等で作った「五穀米」と称する物が出されていました。そんな頃でも、そこは良くしたもので、ビルの地下等に有った闇営業の店では、日本と変わらないレベルの寿司でも鰻重でも食べられたものです。そこでの「米の飯の味評価」は、日本と同じでした。賄賂で地元警察に、闇営業に目をつぶらせるだけあって、値段の方も日本と同じでしたな。
「日本人の好む米の味」は、外国人でも理解しようとすれば理解でき、たとえばカリフォルニア米の1級品は日本の極上米と変わりません。80年代になっても、まだ「そんなはずが無い」とか言う人がいてメンクライましたが、この点、昔の尺八吹きにも多くいましたな。「アメリカ人に尺八が分かってたまるか」とノタマウ御人が。結局こういうのって経験の差ですよ。それ以前に、現実を見ずに「意思で遮断した」のが、かつての日本人でしょう。日本人の視野が広くなった現在では、いくらなんでも、もういないでしょう。
尺八の音と似ていませんかね。下手な人の吹く尺八の音って雑音ですが、「地無し」の名手が吹く音と限りなく似ています。そして、限りなく距離が遠い。
世の中には、「すぐ分かるもの」と「すぐには分からないもの」とが有ります。「すぐには分からないもの」が「すぐ分かるもの」より程度が低いということもないし、その逆もまた無いと思うのです。でも、「分かるには時間がかかるもの」には、やはりハンディが有ると思うんですよ。結局、そのハンディを越えて真価を理解させるには、良い悪いを問わず、経験を増やす機会を提供することだと思います。
だって、子供の時から、間断なく米の飯を食べてきた我々日本人は、誰に教わること無く「米の味」を理解していますし、パンや麺類より上でも下でも無いけど、かけがえのないモノだと思っています。私らにとっての尺八って、きっと同じですよ・・・。
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