引退、復活
- 2020/06/22
- 16:51
山口百恵、勿論知っていますよね。この名を知らなければ日本人じゃネエ。国賊、非国民、日本人の面汚し、何と言われようと弁かい出来ないでしょう。私は、この人に1回ですが会った、いや近くで見た事が有るんですよ。
あれは1973年の秋、まだ百恵さんもデビューして半年くらいでした。東大の近くにある白山神社の祭礼に桜田淳子と一緒に来て、サイン会をやるというので行きました。私は気が進まなかったのですが、後輩の高橋河童が泣いて頼むので同行する事になりました。サイン会は列を無視して横入りする者を野放しにしたので、家宝にするつもりだったのに、結局サインは貰えませんでした。チキショウメ、横入りするなんて躾の悪いガキ共だ。もしこれが外食券食堂だったら半殺しだぞ。
ただ百恵さん本人は間近で見れました。どういうわけか私は彼女の印象に強く残ったみたいです。その何よりの証拠に、以後テレビの画面を通して、常に私には微笑んでくれました。でも縁が無かったのですかね、その後、三浦ナントカいうブオトコと結婚して引退してしまいましたな・・・。
山口百恵は人気の絶頂で引退し、その後ケッシテ公の場には出てきませんでした。こういうのは原節子と同じで、だからこそ「伝説の存在」になるのでしょう。潔くスパッとやめて2度と戻らない、「そう有りたい」と思ってもママナラナイのが世の中というものでしょう。「もう決して戻らない」とタンカを切って戻って来た人がいかに多いか。別に私は「それが悪い」なんて思ってもいないです。それなりの事情が有るのでしょうし、その最も多いのが「生活の為」という人間にとっての最も崇高な理由ですからね。
でも、たとえばプロレスのテリー・ファンク。ああいうのはチョット頂けませんな。「引退する」というので1年間も「日本全国御祝儀巡業」をして、その挙句が稼ぎまくった金を映画につぎ込んで失敗、破産寸前になったからというので、マル1年で復帰。いくらプロレスでも、此処までのイイカゲンだと人は呆れる。一発で人気急落したのは当たり前でしょうがな。
邦楽界って80,90で現役の人もいる様に、「引退」って、あまり聞かない言葉です。「邦楽はガチンコで技量、鑑賞を競う芸術ではないから」。それがまあ一番の理由でしょうがね。こういうのと似ているのは画家、彫刻家、陶芸家。そういう人達は極端なことを言えば、支持してくれる金持ち1人で成立します。ですから厳密な意味では価値が特定出来ず、だからこそ政治家の賄賂、裏金になりえるわけです。
邦楽は少し違っていて、知人相手の人脈商売の面が強いですね。芸術を「生活手段でもある」とした場合、こういうことは何ら批判される事ではないですし、老齢で技術や表現力が衰えても生活出来る仕組みは、それはそれで貴くもあります。
でも、2百年続いた、この産業形態が終焉に来ている事は、もう大部分の人が知ってしまいました。これからドンドン「実演産業」に移行していきますが、そうなると引退、事実上の引退は頻繁に起こります。「じゃあチャンジィ、チャンバアになった時どうすんだよ?」と言う人もいると思います。
尺八に限って言えば、実演中心になったとしても、従来の「人脈、知人商売」の要素は、これからも無くなるわけではないのです。言い方を変えれば、尺八の「人脈、知人を頼る実演」の業態は、なおしばらく続くでしょう。
そういった意味では、ギター、ヴァイオリン、ピアノ、あるいは売れなくなった演歌歌手のケース等は参考になると思います。
尺八でも、たとえば村岡実さんですが、還暦すぎて事実上の引退みたいになりました。それが70歳で突如復活しました。「気功尺八の講習」という全く違う業態で・・・。
ですから、実演産業の宿命として、これからは尺八で何度も「引退と復活」が起こります。むしろ「あの人、今どうしているんだろう?」は引退ではなく、復活の為の試行錯誤の期間にもなるでしょう。でも、人気芸能人と異なり、尺八には「以前の形態での復活」は有りませんから、考えない人、変化出来ない人は本当の引退でしょうな。
あれは1973年の秋、まだ百恵さんもデビューして半年くらいでした。東大の近くにある白山神社の祭礼に桜田淳子と一緒に来て、サイン会をやるというので行きました。私は気が進まなかったのですが、後輩の高橋河童が泣いて頼むので同行する事になりました。サイン会は列を無視して横入りする者を野放しにしたので、家宝にするつもりだったのに、結局サインは貰えませんでした。チキショウメ、横入りするなんて躾の悪いガキ共だ。もしこれが外食券食堂だったら半殺しだぞ。
ただ百恵さん本人は間近で見れました。どういうわけか私は彼女の印象に強く残ったみたいです。その何よりの証拠に、以後テレビの画面を通して、常に私には微笑んでくれました。でも縁が無かったのですかね、その後、三浦ナントカいうブオトコと結婚して引退してしまいましたな・・・。
山口百恵は人気の絶頂で引退し、その後ケッシテ公の場には出てきませんでした。こういうのは原節子と同じで、だからこそ「伝説の存在」になるのでしょう。潔くスパッとやめて2度と戻らない、「そう有りたい」と思ってもママナラナイのが世の中というものでしょう。「もう決して戻らない」とタンカを切って戻って来た人がいかに多いか。別に私は「それが悪い」なんて思ってもいないです。それなりの事情が有るのでしょうし、その最も多いのが「生活の為」という人間にとっての最も崇高な理由ですからね。
でも、たとえばプロレスのテリー・ファンク。ああいうのはチョット頂けませんな。「引退する」というので1年間も「日本全国御祝儀巡業」をして、その挙句が稼ぎまくった金を映画につぎ込んで失敗、破産寸前になったからというので、マル1年で復帰。いくらプロレスでも、此処までのイイカゲンだと人は呆れる。一発で人気急落したのは当たり前でしょうがな。
邦楽界って80,90で現役の人もいる様に、「引退」って、あまり聞かない言葉です。「邦楽はガチンコで技量、鑑賞を競う芸術ではないから」。それがまあ一番の理由でしょうがね。こういうのと似ているのは画家、彫刻家、陶芸家。そういう人達は極端なことを言えば、支持してくれる金持ち1人で成立します。ですから厳密な意味では価値が特定出来ず、だからこそ政治家の賄賂、裏金になりえるわけです。
邦楽は少し違っていて、知人相手の人脈商売の面が強いですね。芸術を「生活手段でもある」とした場合、こういうことは何ら批判される事ではないですし、老齢で技術や表現力が衰えても生活出来る仕組みは、それはそれで貴くもあります。
でも、2百年続いた、この産業形態が終焉に来ている事は、もう大部分の人が知ってしまいました。これからドンドン「実演産業」に移行していきますが、そうなると引退、事実上の引退は頻繁に起こります。「じゃあチャンジィ、チャンバアになった時どうすんだよ?」と言う人もいると思います。
尺八に限って言えば、実演中心になったとしても、従来の「人脈、知人商売」の要素は、これからも無くなるわけではないのです。言い方を変えれば、尺八の「人脈、知人を頼る実演」の業態は、なおしばらく続くでしょう。
そういった意味では、ギター、ヴァイオリン、ピアノ、あるいは売れなくなった演歌歌手のケース等は参考になると思います。
尺八でも、たとえば村岡実さんですが、還暦すぎて事実上の引退みたいになりました。それが70歳で突如復活しました。「気功尺八の講習」という全く違う業態で・・・。
ですから、実演産業の宿命として、これからは尺八で何度も「引退と復活」が起こります。むしろ「あの人、今どうしているんだろう?」は引退ではなく、復活の為の試行錯誤の期間にもなるでしょう。でも、人気芸能人と異なり、尺八には「以前の形態での復活」は有りませんから、考えない人、変化出来ない人は本当の引退でしょうな。
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