道具の変異
- 2020/07/31
- 10:44
今日で7月は終わりです。6月に続いて7月も満足する数字でした。分社化が間近な今、もう具体的な数字はあげません。だって損だもん・・・。
中国で直接、オークションなり販売なりをする方法は、去年11月を最後にやっていません。3月の中国行きが中止になって以来、再開の目途もたちません。そこで3月から、迂回貿易のテクニックを駆使したところ、前より活発に売れています。だって中国だけじゃないもの。私の貿易知識は40年前のものですが、貿易業務が、より簡単になった現在ですから、マア何とか通用しています。
ですから、一音無心とのビジネスが再開しても、この方法は止めません。私の中国、欧米相手の尺八商売は新たなビジネスステージになりました。
尺八の形態変化は、このところ凄いスピードで進んでいます。これは演奏者の質が急激に上がった事。そして演奏に使われるソフトの種類が途方もなく増えた事が理由です。もともと楽器としての性能、品質面では、もう20年も前から「恥ずかしくて人前で吹けない」という尺八は、少なくともプロ製管の世界では姿を消しています。
でも、新なソフトへの対応が強く言われだしたのは、この10年くらいでしょう。その為、今の様に多種のバリエーションを生み出しました。形体変化と言っても、前は、孔の数を増やす、あるいは1尺8寸以外に様々の寸法が存在する、とかの目に見えた変化の範囲でしたが、今の変化は素人が分からない内面の変化です。強いて言えば、昔も存在した「広作り、細作り」に近いですかね。メタル尺八も3Ⅾ尺八も材質は製作上の便宜であって、この変化の根本理由ではありません。
こういうバリエーションの増大は、尺八が楽器という道具である以上、起こらなかった昔がオカシイのです。例えて言えば包丁ですよ。「菜っ切り包丁」だけで、その気になれば、刺身だってハンバーグだって作れるんです。その証拠に大学時代に私が作っていました。誉められたくて言うのではないですが、3年生の時、果物ナイフでスッポンの解体をしたんですぜ。何でも出来ますよ、そう、そのレベルで良いなら。
でも、料理の種類が豊富になり調理技術の高度化した室町期からは、いろんな用途に合わせた包丁が各種作られました。
今の尺八界は、音楽としてとらえた場合は、3,40年前との比較を無意味なものにしています。大学の邦楽部で4年間吹いた人間が社会に出て、地区の三曲協会に入り、そこのオエラガタ達(尺八)の「異常に低い演奏力と噴飯モノの音楽知識」に嫌気がさして、すぐ顔を出さなくなる。これは私達大学尺八部の者が、ほぼ共通して経験した事です。今に様に、全国何処に行っても、中に「目を見張る様な尺八達者」がいる。そんなのは、本当に、ここ20年の現象です。
でも、でもですな。尺八を楽器としてだけではなく、文化として愛好する人にも増えて欲しい。今は情報が豊富に手に入る時代で、そっち方面も昔とは比較にならない程に高度な楽しみ方が出来ると思うんですよ。
「尺八って日本刀に似てる」って思いませんか?。日本刀が武器として使用された時代も有ったのでしょう(日本刀の武器としての歴史を言うと面倒な事になります)。でも、江戸時代からは「武器」ではないですよね。ここも赤穂浪士とか新選組あるいは旧日本軍の「スエモノ切り」とか例外は有りますわな、でも煩く言わなければ武器ではなかった。でも、江戸時代の高級武士はもとより、今でも愛好家は他の面での日本刀を愛しているわけです。だから、それが文化ですって・・・。
どんなに少数派であっても、その「個人の趣向」に価値の高低なんか有りっこないですよ。昔みたいに、「長く吹いてきて、どうしてここまでの下手でいられるんだろう?」と妙に感心さえするジイサマが、愛しそうに尺八を撫でて、実に楽し気に尺八について語る。オレ好きだなあ、こういう俳画みたいな風景。全部がそうだと困るけどね、こういった風韻が全く失われてしまうと、何か尺八界って、つまらない世界になる、と言うか少なくとも「豊かな文化的膨らみ」が無くなる様に思うんですわ。
尺八の、こういう面、今の日本人より欧米や中国圏の方に求めている人が多いのですよ。ですから「ナショナルは=インターナショナルになりうる」を尺八が実証しているという事です。
中国で直接、オークションなり販売なりをする方法は、去年11月を最後にやっていません。3月の中国行きが中止になって以来、再開の目途もたちません。そこで3月から、迂回貿易のテクニックを駆使したところ、前より活発に売れています。だって中国だけじゃないもの。私の貿易知識は40年前のものですが、貿易業務が、より簡単になった現在ですから、マア何とか通用しています。
ですから、一音無心とのビジネスが再開しても、この方法は止めません。私の中国、欧米相手の尺八商売は新たなビジネスステージになりました。
尺八の形態変化は、このところ凄いスピードで進んでいます。これは演奏者の質が急激に上がった事。そして演奏に使われるソフトの種類が途方もなく増えた事が理由です。もともと楽器としての性能、品質面では、もう20年も前から「恥ずかしくて人前で吹けない」という尺八は、少なくともプロ製管の世界では姿を消しています。
でも、新なソフトへの対応が強く言われだしたのは、この10年くらいでしょう。その為、今の様に多種のバリエーションを生み出しました。形体変化と言っても、前は、孔の数を増やす、あるいは1尺8寸以外に様々の寸法が存在する、とかの目に見えた変化の範囲でしたが、今の変化は素人が分からない内面の変化です。強いて言えば、昔も存在した「広作り、細作り」に近いですかね。メタル尺八も3Ⅾ尺八も材質は製作上の便宜であって、この変化の根本理由ではありません。
こういうバリエーションの増大は、尺八が楽器という道具である以上、起こらなかった昔がオカシイのです。例えて言えば包丁ですよ。「菜っ切り包丁」だけで、その気になれば、刺身だってハンバーグだって作れるんです。その証拠に大学時代に私が作っていました。誉められたくて言うのではないですが、3年生の時、果物ナイフでスッポンの解体をしたんですぜ。何でも出来ますよ、そう、そのレベルで良いなら。
でも、料理の種類が豊富になり調理技術の高度化した室町期からは、いろんな用途に合わせた包丁が各種作られました。
今の尺八界は、音楽としてとらえた場合は、3,40年前との比較を無意味なものにしています。大学の邦楽部で4年間吹いた人間が社会に出て、地区の三曲協会に入り、そこのオエラガタ達(尺八)の「異常に低い演奏力と噴飯モノの音楽知識」に嫌気がさして、すぐ顔を出さなくなる。これは私達大学尺八部の者が、ほぼ共通して経験した事です。今に様に、全国何処に行っても、中に「目を見張る様な尺八達者」がいる。そんなのは、本当に、ここ20年の現象です。
でも、でもですな。尺八を楽器としてだけではなく、文化として愛好する人にも増えて欲しい。今は情報が豊富に手に入る時代で、そっち方面も昔とは比較にならない程に高度な楽しみ方が出来ると思うんですよ。
「尺八って日本刀に似てる」って思いませんか?。日本刀が武器として使用された時代も有ったのでしょう(日本刀の武器としての歴史を言うと面倒な事になります)。でも、江戸時代からは「武器」ではないですよね。ここも赤穂浪士とか新選組あるいは旧日本軍の「スエモノ切り」とか例外は有りますわな、でも煩く言わなければ武器ではなかった。でも、江戸時代の高級武士はもとより、今でも愛好家は他の面での日本刀を愛しているわけです。だから、それが文化ですって・・・。
どんなに少数派であっても、その「個人の趣向」に価値の高低なんか有りっこないですよ。昔みたいに、「長く吹いてきて、どうしてここまでの下手でいられるんだろう?」と妙に感心さえするジイサマが、愛しそうに尺八を撫でて、実に楽し気に尺八について語る。オレ好きだなあ、こういう俳画みたいな風景。全部がそうだと困るけどね、こういった風韻が全く失われてしまうと、何か尺八界って、つまらない世界になる、と言うか少なくとも「豊かな文化的膨らみ」が無くなる様に思うんですわ。
尺八の、こういう面、今の日本人より欧米や中国圏の方に求めている人が多いのですよ。ですから「ナショナルは=インターナショナルになりうる」を尺八が実証しているという事です。
スポンサーサイト