今、3日ぶりにコンピューターや電話(83-3606)が復活しました。木曜日の落雷でモデムが壊れ、かなり多くの地域で同様の事が発生したみたいで、修理の人が来てくれるのに今日までかかりました。復活してくれてホッとしています。
復活と言えば、今日は「終戦記念日」ですわな。75年前に瓦礫の中で迎えましたが、でも同時に日本が力強く復活した、その出発の日でもあります。
毎年この時期が来ると、つくずく自分達は奇跡的な恵まれた時代に生きられたと痛感します。これからの事は分かりませんが、もしかすると「日本史上最高の時代だった」と後世言われるかも知れません。戦争は無いでしょ、経済的にも発展したでしょ、それに何より自由だったもの。
たしかに子供時代は、そりゃ後から考えれば不便で貧しかったですよ。でも当時は「そういうもの」だと思っていましたからね。それに、そういう時代が有ったから、今の時代の便利さや豊かさを心底有難いと思えるんですって。それに何より、私の子供の頃は、学校から帰ってきた子に、「勉強しろ」なんてバカな事を言う親はマズいなかった。仮にいたとしても、黙って言う事をきくようなオリコウサンはいませんでしたよ。高校のクラス会に行くと、皆が言ってますって、「学校勉強をしなくて良かったなあ。おかげで毎日が楽しかった」って。勉強して良い人生を送ったヤツも勿論いますわ。でも、そういう輩は親から「勉強しろ」とか言われるまでもなく、勉強を強制でなくやってきていて、だから「学問」が頭に入っています。でもねえ、本当に心から「勉強して良かった」って思ってる?
ヒヒヒ、ホントウ?。毎日楽しかった?・・・。
去年の冬、京都で展示会をやった帰りですよ。右翼の街宣車が「皆さん戦争に行きましょう」とスピーカーでガナっていましたが、私と車の隣に乗っていた林梅毒庵が期せずして同時に発した言葉、「馬鹿め」。
私の子供の頃に出来た映画、小説、または周囲の大人が語ってくれた戦争の悲惨さもさることながら、周りにいましたもの、身寄りが無くって、戦死した息子さんを「ひょっとしたら戦死は誤報で生きて帰ってくるかもしれない」と淡い希望を抱いていたオバアちゃん。日本に帰ってみたら家族は皆死亡、でも明るかったオジちゃん。終戦後10何年も経っているのに、まだ戦死した一人息子の自慢話を飽くことなくしているオジイちゃん。皆さん、その後、どうして生きて行ったのかと、ふと思い出します。
だから、私の世代までの者は「戦争断固反対」です。これは反共的言動で学生時代に「右翼」と言われた私とて全く同じです。昔も「軍国主義万歳」の極右翼はいましたが、私の学生時代で言うならば、むしろ左に「戦争も共産革命の為なら仕方がない」と言っていた輩の方が多かった様に思います。いずれにしろ極く少数派で、世間一般からは相手にされない状況は今と同じでした。
終戦後、境遇の激変に押しつぶされてヤケになった人も当然いたと思います。でも、大多数の人達は「これから頑張るべ」と前向きに生きていました。そして、日本を空前の繁栄に導いてくれました。ですから、口でどう貶そうとも、私は自分の父親の世代には深く感謝しています。
現在の尺八の状況を「戦後最悪」という人も多いのです。果たしてそうかな?これは考えようによっては、戦後最高のビッグチャンスかも知れませんね。明治維新、敗戦、それによって境遇が一変し、場合によっては「奈落の底」に落ちた人もいたと思います。でも、「もうこのままで行くはずがない」と多くの人達が漠然と感じていた世界が突然終わり、劇的に変化する切っ掛けでもあったのです。
誰だって、暴力沙汰や流血が共わなければ、そっちのほうが良いに決まってますわ。終焉前の体制を懐かしむ人もいるでしょう。でも劇的変化が、行き詰まった仕組みとか体制が急激に変わる切っ掛けになった事も事実です。何より、いくら懐かしんだって、もう前には戻らないんですよ。
「コロナ騒ぎ」のマイナス面だけでなく、ここはプラス面もしっかり見据えて復活の足掛かりにした方が良いと思うのですがね。事実、演奏や教授の方法に大きな変化が起きています。「平穏無事な日常」でも、「行き止まり」を多くの人が感じていた以上、何時かは、実現した変化かも知れませんが、それが異常な速さで短時間に進行してきている、だから今のピンチは復活の為の大チャンスですって・・・。
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