かき氷
- 2020/08/23
- 09:22
今年の夏の暑さは異常ですね。熱中症での死者数だけみてもコロナなんて問題じゃない。
私は、いわゆる「愛国心」というものが薄い方かも知れません。ただ、これは較べようがありませんね。「愛国心」を熱狂的に口にする輩が、「思想的狂人」として、世間一般で信用が無いところから見ても、この言葉には確固とした概念は無いようです。
私が「愛国心が希薄かも」と言うのは、あまり「日本」というもの自体には執着心を持たないからです。勿論、好き嫌いで言ったら「好き」ですし、何人であれ、そこが豊かで平和であれば、生まれ育った国で暮らすのが最も幸福なんだと思います。ただ、「私の愛国心」を決定的に削ぐもの、それが日本の夏の存在です。世界最悪、最凶の日本の夏。こんなに酷い環境に住まなければならない自分と日本人同胞に深く同情します。
今年なんぞは追加でクーラーを2台設置しました。エアコン?、バカな、あれは「空気を冷やすことのみ」に特化した器械、ゆえに「クーラー」が正しい用語です。私の様な熱狂的ファンであれば、白石麻衣様みたいにクーラーに敬称をつけても良いでしょう。
クーラーが無かった私の子供の頃なんて悲惨でしたわ。少しでも涼しくする為に、まずカレンダーを12月にしました。当時のカレンダーなんてアナタ、1年分は12月で終わってたんですぜ。真夏に必要になるからと1月、2月が付いてきたのはズット後です。それから、冷蔵庫の扉を開けてクーラーの代わりにして母親に怒られた事も有りました。父親が、顔をしかめただけで何も言わなかったのは、祖父が冷蔵庫の前で私と一緒に涼んでいたからです。
男の子はランニングとパンツ(ズボンとチャイまっせ、下着のパンツ、そうサルマタですがな)で過ごしましたが、我慢ならないとタライで行水ですわ。
そう言えば、脳がまだ戦前のままだった教師に「心頭を滅却すれば火も自から涼し」とかタワゴトを言ってたのもおりましたな。勘弁してよ、もともとの杜荀鶴の七絶はアイロニーというかユーモア―というか、ともかく斜めからモノを言ってます。それを『碧巌録』とか快川紹喜みたくマジで言わないでよ。まして、テメエが出来もせんクセして生徒に空疎な精神論をブッたって、それで感心するには昭和30年代の子供は利口すぎましたぞ。
わずかながら真夏には楽しみも有りました。夏休みで、昼は朝から遊び放題。夕飯の後に外出、夜遅くまで外で遊んでいても、何も言われませんでした。
買い食いで毎日していたのがカキ氷です。昭和32,3年頃で、たしか1杯15円でしたか。当時モリソバが25円でしたよ。漱石の『坊ちゃん』によればカキ氷は明治39年で1銭5厘。当時のモリソバが2銭5厘だったと「モノの本」に書いて有りますから、なるほど戦後のデノミで貨幣価値は千分の一になりましたが、物価比較では同じですね。
それはともかく、氷にはスイ、イチゴ、メロン、レモンと有るでしょ。昭和33年当時は全部一緒、色が違うだけでした。赤、緑、黄色の色素でイチゴ、メロン、レモンの違いを出し、無色がスイです。でも面白い事に知っていた者は稀でした。私達は毎日食べていたから、この仕組みに気が付くのが早く、冷やかしで「今日は赤ね」とか毎日やって、カキ氷屋のオバアに嫌な顔をされていました。でも知らなかった時は、不思議なモノで「赤はイチゴ、黄色はレモンの味」がしていたものです。皆そうだったからこそ、大の大人が「レモンはさっぱりしていて良いね」とか言ってんですよ。
私の友人にサッポロビールの御偉いサンがいましたが、どこのビール会社でも味比べの為の試飲を頻繫にしていて、中身と違う会社のラベルを貼ったりするのだそうです。こういう実験で分かった事。「人間がいかに視覚からの先入観に弱いか」という事を痛感したと言いました。「分かる」という事で言えば、自称他称の「通」というモノは全く信用できず、全くの素人でも通でも「分かる人は分かる」で、比率に顕著な差は無いそうです。大切な点は、「大衆はやがて全てに正解を出す」で、広く浸透すると「美味いマズイの差」は決定的に出てしまいます。別の見方をすれば、「商品は大衆の出した結論を正解とする」とも言えましょう。
尺八は少し違いますね。「分かる分からない」は個別の好み、相性は有るものの、サンプルを大きく採った場合の統計では、「吹く力」と同等比率です。でも、サンプルを大きく採れる環境が無ければ、全ては空論です。尺八界は長い間、素人並みの製管師でも何とか生きて行かれました。ド下手を名人と誤認させる仕組み、「他に知らないもん」が有ったからです。
情報の広がった、この30年で尺八界も大分マトモになりました。そこへもってきて今度の「コロナ騒ぎ」です。もう真に競争力の有る製管師しか生き残れないまでに淘汰が進むでしょう。
「大衆は、やがて常に正解を出す」ですが、そこには「少数派の熱狂的支持」も別に存在します。熱狂的なファンには少しくらい高くても売れますよ。だから良いんじゃありませんか。また、「視覚的先入観に支配される」のは半永久的にそうでしょう。「硬い竹がこの頃合わなくてね。柔らかい音が良いな」とか「年をとったから太い尺八は息が続かないから細いモノをね」とか頻繁にオーダーされますもの。
若い時は「関係無いですよ」とか言って来ましたが、今は「仰せのままに」ですって。質問ならチャンと答えますよ。でも、友人の言う「Kラベル(架空の動物)を貼ると他メーカーのビールを『苦い』と言う」ですよ。そう言う事に人間の面白さ、愛しさ、複雑さを感じられる年になりました。これがマア「年の功」ですかな・・・。
それに「何も知らない若い者にモノを教えてやる」という態度をとられた若いころと違い、超大家に伸上がった私には御客も敬意をもって接してくれますからね。遠慮は無用ですぞ。もっともっと敬意を持って接してください。
私は、いわゆる「愛国心」というものが薄い方かも知れません。ただ、これは較べようがありませんね。「愛国心」を熱狂的に口にする輩が、「思想的狂人」として、世間一般で信用が無いところから見ても、この言葉には確固とした概念は無いようです。
私が「愛国心が希薄かも」と言うのは、あまり「日本」というもの自体には執着心を持たないからです。勿論、好き嫌いで言ったら「好き」ですし、何人であれ、そこが豊かで平和であれば、生まれ育った国で暮らすのが最も幸福なんだと思います。ただ、「私の愛国心」を決定的に削ぐもの、それが日本の夏の存在です。世界最悪、最凶の日本の夏。こんなに酷い環境に住まなければならない自分と日本人同胞に深く同情します。
今年なんぞは追加でクーラーを2台設置しました。エアコン?、バカな、あれは「空気を冷やすことのみ」に特化した器械、ゆえに「クーラー」が正しい用語です。私の様な熱狂的ファンであれば、白石麻衣様みたいにクーラーに敬称をつけても良いでしょう。
クーラーが無かった私の子供の頃なんて悲惨でしたわ。少しでも涼しくする為に、まずカレンダーを12月にしました。当時のカレンダーなんてアナタ、1年分は12月で終わってたんですぜ。真夏に必要になるからと1月、2月が付いてきたのはズット後です。それから、冷蔵庫の扉を開けてクーラーの代わりにして母親に怒られた事も有りました。父親が、顔をしかめただけで何も言わなかったのは、祖父が冷蔵庫の前で私と一緒に涼んでいたからです。
男の子はランニングとパンツ(ズボンとチャイまっせ、下着のパンツ、そうサルマタですがな)で過ごしましたが、我慢ならないとタライで行水ですわ。
そう言えば、脳がまだ戦前のままだった教師に「心頭を滅却すれば火も自から涼し」とかタワゴトを言ってたのもおりましたな。勘弁してよ、もともとの杜荀鶴の七絶はアイロニーというかユーモア―というか、ともかく斜めからモノを言ってます。それを『碧巌録』とか快川紹喜みたくマジで言わないでよ。まして、テメエが出来もせんクセして生徒に空疎な精神論をブッたって、それで感心するには昭和30年代の子供は利口すぎましたぞ。
わずかながら真夏には楽しみも有りました。夏休みで、昼は朝から遊び放題。夕飯の後に外出、夜遅くまで外で遊んでいても、何も言われませんでした。
買い食いで毎日していたのがカキ氷です。昭和32,3年頃で、たしか1杯15円でしたか。当時モリソバが25円でしたよ。漱石の『坊ちゃん』によればカキ氷は明治39年で1銭5厘。当時のモリソバが2銭5厘だったと「モノの本」に書いて有りますから、なるほど戦後のデノミで貨幣価値は千分の一になりましたが、物価比較では同じですね。
それはともかく、氷にはスイ、イチゴ、メロン、レモンと有るでしょ。昭和33年当時は全部一緒、色が違うだけでした。赤、緑、黄色の色素でイチゴ、メロン、レモンの違いを出し、無色がスイです。でも面白い事に知っていた者は稀でした。私達は毎日食べていたから、この仕組みに気が付くのが早く、冷やかしで「今日は赤ね」とか毎日やって、カキ氷屋のオバアに嫌な顔をされていました。でも知らなかった時は、不思議なモノで「赤はイチゴ、黄色はレモンの味」がしていたものです。皆そうだったからこそ、大の大人が「レモンはさっぱりしていて良いね」とか言ってんですよ。
私の友人にサッポロビールの御偉いサンがいましたが、どこのビール会社でも味比べの為の試飲を頻繫にしていて、中身と違う会社のラベルを貼ったりするのだそうです。こういう実験で分かった事。「人間がいかに視覚からの先入観に弱いか」という事を痛感したと言いました。「分かる」という事で言えば、自称他称の「通」というモノは全く信用できず、全くの素人でも通でも「分かる人は分かる」で、比率に顕著な差は無いそうです。大切な点は、「大衆はやがて全てに正解を出す」で、広く浸透すると「美味いマズイの差」は決定的に出てしまいます。別の見方をすれば、「商品は大衆の出した結論を正解とする」とも言えましょう。
尺八は少し違いますね。「分かる分からない」は個別の好み、相性は有るものの、サンプルを大きく採った場合の統計では、「吹く力」と同等比率です。でも、サンプルを大きく採れる環境が無ければ、全ては空論です。尺八界は長い間、素人並みの製管師でも何とか生きて行かれました。ド下手を名人と誤認させる仕組み、「他に知らないもん」が有ったからです。
情報の広がった、この30年で尺八界も大分マトモになりました。そこへもってきて今度の「コロナ騒ぎ」です。もう真に競争力の有る製管師しか生き残れないまでに淘汰が進むでしょう。
「大衆は、やがて常に正解を出す」ですが、そこには「少数派の熱狂的支持」も別に存在します。熱狂的なファンには少しくらい高くても売れますよ。だから良いんじゃありませんか。また、「視覚的先入観に支配される」のは半永久的にそうでしょう。「硬い竹がこの頃合わなくてね。柔らかい音が良いな」とか「年をとったから太い尺八は息が続かないから細いモノをね」とか頻繁にオーダーされますもの。
若い時は「関係無いですよ」とか言って来ましたが、今は「仰せのままに」ですって。質問ならチャンと答えますよ。でも、友人の言う「Kラベル(架空の動物)を貼ると他メーカーのビールを『苦い』と言う」ですよ。そう言う事に人間の面白さ、愛しさ、複雑さを感じられる年になりました。これがマア「年の功」ですかな・・・。
それに「何も知らない若い者にモノを教えてやる」という態度をとられた若いころと違い、超大家に伸上がった私には御客も敬意をもって接してくれますからね。遠慮は無用ですぞ。もっともっと敬意を持って接してください。
スポンサーサイト