神経質
- 2020/10/03
- 17:17
私って「神経質な所が殆ど無い」とか言われます。当り前よ、法政大学三曲会に4年もいたんだぜ。それでなお神経が太くならなかったら奇跡よ。
そうは言っても、やはり当時の法大三曲会にも神経質な人っていましたわ。2年上の西山さん。警官のいた交番の前で立小便をする豪傑なのに、「谷川のせせらぎが気になって、一晩中眠れなかった」とか、変な所に神経質でした。さらに細いのが1年上の村上さん。70年の大阪万博に行った時ですよ。万博プラス夏休みで何処も満員で宿をとれなかった。それどころか駅の待合室も人でイッパイ。そこで駅の通路で泊まりましたが、たった一晩で、「大橋、オレもうイヤだよ。帰るわ」と言って本当に帰ってしまいました。大勢の浮浪者やルンペンは安眠を貪っていたし、吉田ネズミ男はマアああいうヤツだから良いとして、上品なミーでさえ、そこで寝たんだよ。それを・・・。神経が病的に細すぎる。
法政大学三曲会にも神経質な人は入ってきてたと思います。でも、慣らされるか辞めるかでしたね。前記の御二人のタイプの神経質は良いんですよ。でも、皆がショッチュウ仲間の下宿に泊まりに行ってたでしょう。だから、一つの鍋に皆で箸を入れ合う、汗臭い布団に皆で包まって眠る、入浴なんてモッテノホカ、3日は歯を磨かなくても大丈夫。下着の交換は1週間しなくてもオーケー。こういう事を、我慢してではなく、普通の生活習慣として出来ないタイプの病的神経質な男はクラブにいられませんでしたね。私の知る限り、当時にあって朝と夜に歯磨きの習慣が有ったのは、その村上さんだけでしたよ。
クラブの合宿は年に3回有りました。1週間、民宿や会社の保養所に泊まるのですが、民宿の料金が1泊千円だとしましょうよ、それを「40人が1週間借り切る」条件で8百50円くらいに値切るのです。だから民宿の方でも食事の内容を落として対抗するのですわ。私が1年の時の3月合宿なんて、それこそ朝は御飯に味噌汁、粗末なお新香、生卵だけでした。それじゃ腹が膨れませんよ。だから、女子部員の生卵を狙うのです。
「任せとけ」と1年上の目黒ゴリラ委員長が請け合うので、「どうやるんですか?」と愚かな質問をした私は恥ずべき未熟者でした。
朝食が始まり、「いただきます」の挨拶の直後、ゴリラさんが語り始めました。
「この前よ、新小岩の駅で浮浪者を見たんだよ。そいつ、ヨッポド腹が減ってたんかな、痰壺(当時の駅には必ず設置されていました)に手を突っ込んで、痰を掬い取って食べてんだよ、ズルズルって。青タン、白い痰、黄色いの。ありゃ生卵そっくりだったな」。食事終了の挨拶と同時に、怒った女達が次々と席を立って行きました。後に、それぞれの生卵が残っていた事は言うまでもありません。男達は先を争って痰壺を抱え込む様にして、ズルズルと生卵をすすりましたわ。私はゴリラ委員長はじめ神経の太い先輩達に強い尊敬の念を抱きました。それは今も薄れていません。
でも、これは1年生までです。その後は、だんだん豊かになって、年毎に合宿の食事は良くなりました。ナンセ1973年の春合宿は「食い倒れの中木とか言われているから」という理由で、その翌年、地震による山崩れで集落の半分が壊滅した、伊豆の中木でやったくらいです。
はっきり言って、日本人は神経質、言葉をかえればヤワになってしまったと思います。尺八の普及の為の海外活動、言葉で言うほど優雅なものではありません。山本、横山といった大家の時代とは違うんですよ。
国とか大きな組織から派遣されるのは、「演奏」であって、いわばデモストレーションの範囲を越えられなかったでしょう。でも、ギャラはともかく待遇は良いですわな。参加者から会費を募る形式では、今後は難しいにせよ、今までは「ノンギャラ、旅費自己負担のボランティア活動」だけに食事、ホテルはマトモでしたな。だって「海外旅行」だもん・・・。
でも、今からのは「甘ったれるな」です。低予算で数多くやらなければ結果を出すほどの事は出来ないと思います。普及の主体が中国、東南アジアに移るのは当たり前ですが、これまでの大都市だけではなく、どんどん奥地に入っていかなければなりません。部屋が黴臭い、窓がきちんと閉まらない、シャワーが途中で水になった、トイレが流れっぱなし等、私のツアーでも、これまでも有りました。それで私の「対応は」と言えば無視。そんな事は発展途上国では当たり前だ。我慢ならなけりゃ自分でフロントに掛け合え。
こういうブータレ、2年前の尺八ロンドン大会の時に頻発しました。だって主催者は赤字先刻承知で、百人近い人を旅費、滞在費負担で招聘してんですぜ。西ヨーロッパは老朽化したホテルは多い。それでも言うほど安くない。仕事である以上はバッグパッカー御用達には泊められない。いくらギャラ無しだからって、物すごく大変だって事は分るでしょう、オイ本当に分かってんのか?アンタらを招いたからって観客動員にはサッパリ結びつかなかっただろうがよ。ツインで文句を言いなさんな。同宿の御仲間が南京虫でないだけ有難いと思え・・・。
私の感じた所で言いますと、宿泊食事とかで、どんな条件でも文句を言わないのは古屋、真玉、柿堺の国際研習館のメンバーです。身をきって多年にわたり海外活動をしてきただけの事が有る。
とは言いましてもね。私だって海外ツアーの時は、せめて中級ホテルにしています。私のツアーは国内国外を問わず1人1部屋。そして私が食事に関してはケチらない事は皆が知っています。でも、ホテルって所詮寝るだけでしょうが。台湾韓国を除く外国では、何によらず一番大切なのは安全な場所かどうかです。今後は辻本、柴といった女性をゲストに御迎えするにあったっては、ホテルのランクを一つ上げました。でも、そのくらい、だって零細企業だもん。何よりの肝心なのは無神経。オレ、これに関しては自信有るんだ・・・。
そうは言っても、やはり当時の法大三曲会にも神経質な人っていましたわ。2年上の西山さん。警官のいた交番の前で立小便をする豪傑なのに、「谷川のせせらぎが気になって、一晩中眠れなかった」とか、変な所に神経質でした。さらに細いのが1年上の村上さん。70年の大阪万博に行った時ですよ。万博プラス夏休みで何処も満員で宿をとれなかった。それどころか駅の待合室も人でイッパイ。そこで駅の通路で泊まりましたが、たった一晩で、「大橋、オレもうイヤだよ。帰るわ」と言って本当に帰ってしまいました。大勢の浮浪者やルンペンは安眠を貪っていたし、吉田ネズミ男はマアああいうヤツだから良いとして、上品なミーでさえ、そこで寝たんだよ。それを・・・。神経が病的に細すぎる。
法政大学三曲会にも神経質な人は入ってきてたと思います。でも、慣らされるか辞めるかでしたね。前記の御二人のタイプの神経質は良いんですよ。でも、皆がショッチュウ仲間の下宿に泊まりに行ってたでしょう。だから、一つの鍋に皆で箸を入れ合う、汗臭い布団に皆で包まって眠る、入浴なんてモッテノホカ、3日は歯を磨かなくても大丈夫。下着の交換は1週間しなくてもオーケー。こういう事を、我慢してではなく、普通の生活習慣として出来ないタイプの病的神経質な男はクラブにいられませんでしたね。私の知る限り、当時にあって朝と夜に歯磨きの習慣が有ったのは、その村上さんだけでしたよ。
クラブの合宿は年に3回有りました。1週間、民宿や会社の保養所に泊まるのですが、民宿の料金が1泊千円だとしましょうよ、それを「40人が1週間借り切る」条件で8百50円くらいに値切るのです。だから民宿の方でも食事の内容を落として対抗するのですわ。私が1年の時の3月合宿なんて、それこそ朝は御飯に味噌汁、粗末なお新香、生卵だけでした。それじゃ腹が膨れませんよ。だから、女子部員の生卵を狙うのです。
「任せとけ」と1年上の目黒ゴリラ委員長が請け合うので、「どうやるんですか?」と愚かな質問をした私は恥ずべき未熟者でした。
朝食が始まり、「いただきます」の挨拶の直後、ゴリラさんが語り始めました。
「この前よ、新小岩の駅で浮浪者を見たんだよ。そいつ、ヨッポド腹が減ってたんかな、痰壺(当時の駅には必ず設置されていました)に手を突っ込んで、痰を掬い取って食べてんだよ、ズルズルって。青タン、白い痰、黄色いの。ありゃ生卵そっくりだったな」。食事終了の挨拶と同時に、怒った女達が次々と席を立って行きました。後に、それぞれの生卵が残っていた事は言うまでもありません。男達は先を争って痰壺を抱え込む様にして、ズルズルと生卵をすすりましたわ。私はゴリラ委員長はじめ神経の太い先輩達に強い尊敬の念を抱きました。それは今も薄れていません。
でも、これは1年生までです。その後は、だんだん豊かになって、年毎に合宿の食事は良くなりました。ナンセ1973年の春合宿は「食い倒れの中木とか言われているから」という理由で、その翌年、地震による山崩れで集落の半分が壊滅した、伊豆の中木でやったくらいです。
はっきり言って、日本人は神経質、言葉をかえればヤワになってしまったと思います。尺八の普及の為の海外活動、言葉で言うほど優雅なものではありません。山本、横山といった大家の時代とは違うんですよ。
国とか大きな組織から派遣されるのは、「演奏」であって、いわばデモストレーションの範囲を越えられなかったでしょう。でも、ギャラはともかく待遇は良いですわな。参加者から会費を募る形式では、今後は難しいにせよ、今までは「ノンギャラ、旅費自己負担のボランティア活動」だけに食事、ホテルはマトモでしたな。だって「海外旅行」だもん・・・。
でも、今からのは「甘ったれるな」です。低予算で数多くやらなければ結果を出すほどの事は出来ないと思います。普及の主体が中国、東南アジアに移るのは当たり前ですが、これまでの大都市だけではなく、どんどん奥地に入っていかなければなりません。部屋が黴臭い、窓がきちんと閉まらない、シャワーが途中で水になった、トイレが流れっぱなし等、私のツアーでも、これまでも有りました。それで私の「対応は」と言えば無視。そんな事は発展途上国では当たり前だ。我慢ならなけりゃ自分でフロントに掛け合え。
こういうブータレ、2年前の尺八ロンドン大会の時に頻発しました。だって主催者は赤字先刻承知で、百人近い人を旅費、滞在費負担で招聘してんですぜ。西ヨーロッパは老朽化したホテルは多い。それでも言うほど安くない。仕事である以上はバッグパッカー御用達には泊められない。いくらギャラ無しだからって、物すごく大変だって事は分るでしょう、オイ本当に分かってんのか?アンタらを招いたからって観客動員にはサッパリ結びつかなかっただろうがよ。ツインで文句を言いなさんな。同宿の御仲間が南京虫でないだけ有難いと思え・・・。
私の感じた所で言いますと、宿泊食事とかで、どんな条件でも文句を言わないのは古屋、真玉、柿堺の国際研習館のメンバーです。身をきって多年にわたり海外活動をしてきただけの事が有る。
とは言いましてもね。私だって海外ツアーの時は、せめて中級ホテルにしています。私のツアーは国内国外を問わず1人1部屋。そして私が食事に関してはケチらない事は皆が知っています。でも、ホテルって所詮寝るだけでしょうが。台湾韓国を除く外国では、何によらず一番大切なのは安全な場所かどうかです。今後は辻本、柴といった女性をゲストに御迎えするにあったっては、ホテルのランクを一つ上げました。でも、そのくらい、だって零細企業だもん。何よりの肝心なのは無神経。オレ、これに関しては自信有るんだ・・・。
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