突破
- 2020/10/18
- 10:05
あれは1975年。もう数え切れないほどの昔になりました。私は、法政大学三曲会の学生を二人連れて、韓国に10日ほど滞在しました。その後輩二人とは3年生の小川、2年生の山下です。ちょっと荒い仕事でしたので、ガタイの大きい、この二人を選んだのです。
その少し前、高校時代の先輩で貿易会社を経営するĪさんから、「石屋さんを60人連れてソウルに行く。ついては同行して欲しい」と言われたのです。墓石とか石灯篭とかを、ソウルで作っている会社が何社か有り、そこへ日本の石屋達を連れて行き、商談する。それで私に臨時で、世話係兼通訳の声がかかったという分けでした。
私としたら、それを単なる「アルバイト代稼ぎ」なんかで済ますつもりは有りません。早速、これも後輩のカメラ屋の後藤に連絡しました。60人もの人が韓国に行くのですから、その人達の何人かにせよ、高級カメラを手荷物品として持ち込んでもらえれば「イイ金になる」。なにしろ当時の韓国では、日本製カメラの関税は120パーセントでした。たとえば10万円のカメラでも、通関した途端22万円になるのです。そこへ更に利益分ですわな。ですから、これを無税で通関できれば、20万なら飛ぶように売れました。利益10万を後藤、税金をチャラにする裏工作の韓国側と3分の1ずつ分けても、10台だったら幾らになる?。もし20台だったら?。言っときますけど、大学出の初任給が、まだ7万円くらいだった昭和50年ですぜ。人生はバラ色じゃんか・・・。
でも私は釜山がマーケットだったので、ソウルの税関には知り合いがいなかったのです。学生2人を連れた旅は、その為のパートナー探しが目的でした。
この2人の学生、共に180センチの長身で風貌も大人びていましたから、そこは良いのですが、欠点も有りました。まず小川、人の好さが顔にもろに出ていました。私と同様、典型的な「善人ズラ」ですから相手に圧迫感を与えません。そこで商談中はダーク系のスーツと濃いサングラスの着用を義務付けました。もう一人の山下は体も細いし、穏やかな性格丸出しですから、これも、そのままでは使い物になりません。でも、山下自らアイディを出しました。スーツに金縁の伊達メガネ。なまじ顔が端正なだけに、これで、こっちがゾッとするくらいの、見るからに陰険なヤクザになりました。
小川が社長、私が御つき、山下が社員と役割を決め、小川は私が意見具申の芝居をする都度、サイン通り頷くか駄目出しをするかで、後は無言を貫く様。山下には、徹頭徹尾無言で、相手を小馬鹿にした薄笑いをズット続けろと言いました。こういうのって交渉を有利に運ぶためであって、現実には殴り合いになったりしません。当然ですが、韓国、台湾、フィリピン等の徴兵制の存在する国の男とは喧嘩出来ません。何しろ年単位で「人殺しの訓練」をやった連中ですぜ、いくら痩せこけて弱そうに見えったって、「こんな栄養失調、イチコロダ」なんて舐めてかかると、まず高確率で逆に半殺しのメに逢いますわ。
こういう若い面子で大丈夫なのか?、って思いませんか?。大丈夫なんです。むしろ、それでなければイケナイ。相手もそうでしたからね。当時の韓国はそうなんです。こういう零細資本が前提のケチくさいボロモウケは若い人が多かったですね。今だって中国はそうでしょうが。少なくとも尺八関連だと、そうです。だから強いんですよ。大きなビジネスだってIT関連は、世界的にそうでしょう。
時代は遷るんです。上に書いた時代、つまり私の若い頃はアジアダントツだった日本ですが、もう一人当たりのGⅮPではシンガポール、香港に抜かれ、数え方では台湾の後塵を拝し、さらに韓国の猛追を受けています。40年前の世界最貧国・中国は、すでに日本の2倍以上のGⅮPで、3位の日本に4位のドイツ、5位のフランスを合計したのと同じ規模の経済力を有するまでになりました。
日本の様な成功した社会は、自らの成功体験と事無かれの問題先送り、保守、保身主義によって、やがて行き詰まります。日本の尺八界が、もろにそうでしょう。「何とかする方法」は、一時は上手くいった仕組みの壊れつつある今は、若い人達の「破壊力突破力」にかかっています。ですから、マジに次の事を考えた方が良いと思います。
① これからは流、会派等の組織単位の需要は無い。
② これから(またはもう)尺八の中心地になる中国も、もうエージェント方式では行き詰まる。もっと大きな市場占有力を持っているオーガニゼーションを相手にしないと駄目。まして今だに主流の個人売りでは限界が極く短期に来る。
③ 日本では予測でき売る範囲では、尺八のニーズは減る一方で、回復しない。組織に属さない若い人、カルチャーのリタイア世代の増えた分は、流、会派が崩壊していく速度に、ここ10年は追いつかない。
これは私の私見です。だから 信じなくたって それは貴方の自由。でも、「温い飯を坐ったままで喰わせてくれる」、こういう状況が尺八では、もう戻ってこない事は、本当は分かっていますでしょ。若い人達、尺八で喰っていきたければ、もう仕組みの突破と海外市場の獲得が必須なんですよ。だから、古い秩序、成功体験、ルールを時に無視しなければ・・・。
65年前、世界最貧国の前にさらに「絶望的な」が付いた韓国は、こういう若いエネルギーで、今や世界のベスト10入りをターゲットにする先進国です。若かった軍政首脳部と利権を分かち合って、財閥を形成した人達もまだ壮年期でしたし、何よりもケチな金しか動かせないけど突破者の多かった、私の韓国の友人達の多くは、今は知りませんが、笑いの止まらない30代40代を送りました。敗戦後の日本だってそうだったでしょう。
そう、一つに時代が終わり、リセットが必要になったのです。私はもう70です。十分に尺八の恩恵を被りました。お陰様で、かなり楽しい人生を送る事も出来ました。でも、これからの尺八に携わる若い人、ジジイ達の言う事を真面目に聞いてたら、先の無い、楽しくない人生が待ってますぜ。
その少し前、高校時代の先輩で貿易会社を経営するĪさんから、「石屋さんを60人連れてソウルに行く。ついては同行して欲しい」と言われたのです。墓石とか石灯篭とかを、ソウルで作っている会社が何社か有り、そこへ日本の石屋達を連れて行き、商談する。それで私に臨時で、世話係兼通訳の声がかかったという分けでした。
私としたら、それを単なる「アルバイト代稼ぎ」なんかで済ますつもりは有りません。早速、これも後輩のカメラ屋の後藤に連絡しました。60人もの人が韓国に行くのですから、その人達の何人かにせよ、高級カメラを手荷物品として持ち込んでもらえれば「イイ金になる」。なにしろ当時の韓国では、日本製カメラの関税は120パーセントでした。たとえば10万円のカメラでも、通関した途端22万円になるのです。そこへ更に利益分ですわな。ですから、これを無税で通関できれば、20万なら飛ぶように売れました。利益10万を後藤、税金をチャラにする裏工作の韓国側と3分の1ずつ分けても、10台だったら幾らになる?。もし20台だったら?。言っときますけど、大学出の初任給が、まだ7万円くらいだった昭和50年ですぜ。人生はバラ色じゃんか・・・。
でも私は釜山がマーケットだったので、ソウルの税関には知り合いがいなかったのです。学生2人を連れた旅は、その為のパートナー探しが目的でした。
この2人の学生、共に180センチの長身で風貌も大人びていましたから、そこは良いのですが、欠点も有りました。まず小川、人の好さが顔にもろに出ていました。私と同様、典型的な「善人ズラ」ですから相手に圧迫感を与えません。そこで商談中はダーク系のスーツと濃いサングラスの着用を義務付けました。もう一人の山下は体も細いし、穏やかな性格丸出しですから、これも、そのままでは使い物になりません。でも、山下自らアイディを出しました。スーツに金縁の伊達メガネ。なまじ顔が端正なだけに、これで、こっちがゾッとするくらいの、見るからに陰険なヤクザになりました。
小川が社長、私が御つき、山下が社員と役割を決め、小川は私が意見具申の芝居をする都度、サイン通り頷くか駄目出しをするかで、後は無言を貫く様。山下には、徹頭徹尾無言で、相手を小馬鹿にした薄笑いをズット続けろと言いました。こういうのって交渉を有利に運ぶためであって、現実には殴り合いになったりしません。当然ですが、韓国、台湾、フィリピン等の徴兵制の存在する国の男とは喧嘩出来ません。何しろ年単位で「人殺しの訓練」をやった連中ですぜ、いくら痩せこけて弱そうに見えったって、「こんな栄養失調、イチコロダ」なんて舐めてかかると、まず高確率で逆に半殺しのメに逢いますわ。
こういう若い面子で大丈夫なのか?、って思いませんか?。大丈夫なんです。むしろ、それでなければイケナイ。相手もそうでしたからね。当時の韓国はそうなんです。こういう零細資本が前提のケチくさいボロモウケは若い人が多かったですね。今だって中国はそうでしょうが。少なくとも尺八関連だと、そうです。だから強いんですよ。大きなビジネスだってIT関連は、世界的にそうでしょう。
時代は遷るんです。上に書いた時代、つまり私の若い頃はアジアダントツだった日本ですが、もう一人当たりのGⅮPではシンガポール、香港に抜かれ、数え方では台湾の後塵を拝し、さらに韓国の猛追を受けています。40年前の世界最貧国・中国は、すでに日本の2倍以上のGⅮPで、3位の日本に4位のドイツ、5位のフランスを合計したのと同じ規模の経済力を有するまでになりました。
日本の様な成功した社会は、自らの成功体験と事無かれの問題先送り、保守、保身主義によって、やがて行き詰まります。日本の尺八界が、もろにそうでしょう。「何とかする方法」は、一時は上手くいった仕組みの壊れつつある今は、若い人達の「破壊力突破力」にかかっています。ですから、マジに次の事を考えた方が良いと思います。
① これからは流、会派等の組織単位の需要は無い。
② これから(またはもう)尺八の中心地になる中国も、もうエージェント方式では行き詰まる。もっと大きな市場占有力を持っているオーガニゼーションを相手にしないと駄目。まして今だに主流の個人売りでは限界が極く短期に来る。
③ 日本では予測でき売る範囲では、尺八のニーズは減る一方で、回復しない。組織に属さない若い人、カルチャーのリタイア世代の増えた分は、流、会派が崩壊していく速度に、ここ10年は追いつかない。
これは私の私見です。だから 信じなくたって それは貴方の自由。でも、「温い飯を坐ったままで喰わせてくれる」、こういう状況が尺八では、もう戻ってこない事は、本当は分かっていますでしょ。若い人達、尺八で喰っていきたければ、もう仕組みの突破と海外市場の獲得が必須なんですよ。だから、古い秩序、成功体験、ルールを時に無視しなければ・・・。
65年前、世界最貧国の前にさらに「絶望的な」が付いた韓国は、こういう若いエネルギーで、今や世界のベスト10入りをターゲットにする先進国です。若かった軍政首脳部と利権を分かち合って、財閥を形成した人達もまだ壮年期でしたし、何よりもケチな金しか動かせないけど突破者の多かった、私の韓国の友人達の多くは、今は知りませんが、笑いの止まらない30代40代を送りました。敗戦後の日本だってそうだったでしょう。
そう、一つに時代が終わり、リセットが必要になったのです。私はもう70です。十分に尺八の恩恵を被りました。お陰様で、かなり楽しい人生を送る事も出来ました。でも、これからの尺八に携わる若い人、ジジイ達の言う事を真面目に聞いてたら、先の無い、楽しくない人生が待ってますぜ。
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