自己賛美
- 2020/11/13
- 11:59
大学3年の冬ですな。粟田が言いました。「うちのクラブって女子の定着率が悪すぎる」。ナルホドそうですわ、確かに、その時点では女は私の代に2人、2年下の1年生に4人でした。惨憺たるものです。入ってきても止めてしまうんですよ。
ヤツは少し前まで委員長だっただけに、外見ほど馬鹿ではない。だからこそ、バカが揃った私達の代では、多少はコマシだと思われてリーダー格だったわけです。
粟田、「それというのも雰囲気が下品すぎる。もっと女の子が居やすいクラブにしなければ潰れるぞ」。言われてみれば、その通りです。でも、「特に大橋、吉田。何かといえば、お互いの顔の貶し合いばかりしやがって。もっと互いに敬意を持って接しられないのか?」とオレ達のせいにしたのは戴けませんな。とはいえ反省しました。だから、即刻改めました。
「ねえ吉田さん、最近デビューした郷ひろみ、あれアナタの弟じゃないの?。顔がそっくりだよ」。
「そう言えば大橋君、この前テレビで『皇室アルバム』ってのを見てたら、君が映ってたみたいだね」。
粟田の、いや熊め、まだ気に入らねえでやんの。「イイカゲンにしろ、もっと自然に出来ねえのかよ」だと。
ともかく、それで女の子達に訊くと、「練習で遅くなった時は、せめて駅まででも送って欲しい」。「もっと楽しい行事を入れて欲しい」。「何かやる時、男子だけで楽しまないで欲しい」、「たまには食事とかに誘って欲しい」etc、いや出るわ出るわ・・・。
そこで誕生会、女の子が喜びそうな各種パーティ、ハイキング等を企画。そのせいばかりではないでしょうが、翌年は新入生勧誘で女子を一挙に10人近く獲得。その後も続々と入部してきて、うち特に優秀だった5人は卒業までいてくれました。
私は、と言えば、以後はエレガントをモットーに、まず服装に気を付ける。下品な言葉使いを止める。女子には親切に(中でも同期のKは家が近かったので、何回か家まで送りました)。立ち居振る舞いはエレガンスを第一に。それは良いのですが、その後遺症として、クラブに自分で自分を褒める自己賛美が蔓延しました。
私はもともと美男子じゃん、だから自己賛美も板につく。でもなあ、高橋河童が志垣太郎を自称しはじめ、4年時に本格的に発狂した野入も、その前兆か自分をアラン・ドロンだと言い始めました。それどころか、新入生の女子にも吉永小百合や酒井和歌子を自称する者まで出る始末です。でもまあ、当時世界一の美人だった栗原小巻様に自分をなぞらえる者がいなかった事に、彼女達の一抹の良識を感じましたわ。
クラブの雰囲気は見違えるほど明るくなりましたが、それはそれで同期の女子Kに「最近随分クラブの雰囲気が変わったわねえ。何か仲良しクラブになっちゃったみたい」とも言われました。そりゃお前さんはマイペースで箏追及だから良いだろうよ、オレしか知らなかったけど、もう婚約者だっていたしな。男どもがどうであれ関係無いだろうよ。
でも現実に崖っぷちだったクラブに女子が増えて、女子が増えると性欲の盛んな時期だもの、男子もつられて増える。間違いなくクラブは上昇期に入りました。ありがとうよ、粟田。もしオメエが言ってくれてなかったら、法政大学三曲会は確実に終わってたわ。
大学の邦楽クラブも、その頃から比べると、約半数が無くなりました。うちはじめ生き残っている所は大学クラブとはいえ、それなりに改革の努力をしてきたのです。「素晴らしい伝統」とか「美しい日本の芸術」とかの自己賛美ばかりで、改革努力をしなかった流や社中が衰退の一途になったのは当然の事です。「努力はした」と言うなら、それもそうでしょうよ。ただし見当違いのね・・・。
今は尺八を始める動機は、まず「面白そう」だからです。「伝統」とか「日本」じゃないの。ましてや高橋河童や狂人野入なみの、実体の伴わない自己賛美で何処の若者が入ってくると思ってんですか?。「若い人が入らなくってねえ」と流や社中の誰もが言いますが、若い人は貴方達の知らない所に多数います。
だって、若い人に「ノー」を突き付けられているのは流や社中、邦楽ソフトであって尺八じゃないもの・・・。
人が増えてこそ、古典とか現代邦楽とかの極く少数派の嗜好も増える。まず入口は「楽しい事」です。誰に言ってるって?。新しいグループとかカルチャー活動の主催者ですよ。流?、社中?、気の毒だけど手遅れ。多分もう生き残れないよ。
ヤツは少し前まで委員長だっただけに、外見ほど馬鹿ではない。だからこそ、バカが揃った私達の代では、多少はコマシだと思われてリーダー格だったわけです。
粟田、「それというのも雰囲気が下品すぎる。もっと女の子が居やすいクラブにしなければ潰れるぞ」。言われてみれば、その通りです。でも、「特に大橋、吉田。何かといえば、お互いの顔の貶し合いばかりしやがって。もっと互いに敬意を持って接しられないのか?」とオレ達のせいにしたのは戴けませんな。とはいえ反省しました。だから、即刻改めました。
「ねえ吉田さん、最近デビューした郷ひろみ、あれアナタの弟じゃないの?。顔がそっくりだよ」。
「そう言えば大橋君、この前テレビで『皇室アルバム』ってのを見てたら、君が映ってたみたいだね」。
粟田の、いや熊め、まだ気に入らねえでやんの。「イイカゲンにしろ、もっと自然に出来ねえのかよ」だと。
ともかく、それで女の子達に訊くと、「練習で遅くなった時は、せめて駅まででも送って欲しい」。「もっと楽しい行事を入れて欲しい」。「何かやる時、男子だけで楽しまないで欲しい」、「たまには食事とかに誘って欲しい」etc、いや出るわ出るわ・・・。
そこで誕生会、女の子が喜びそうな各種パーティ、ハイキング等を企画。そのせいばかりではないでしょうが、翌年は新入生勧誘で女子を一挙に10人近く獲得。その後も続々と入部してきて、うち特に優秀だった5人は卒業までいてくれました。
私は、と言えば、以後はエレガントをモットーに、まず服装に気を付ける。下品な言葉使いを止める。女子には親切に(中でも同期のKは家が近かったので、何回か家まで送りました)。立ち居振る舞いはエレガンスを第一に。それは良いのですが、その後遺症として、クラブに自分で自分を褒める自己賛美が蔓延しました。
私はもともと美男子じゃん、だから自己賛美も板につく。でもなあ、高橋河童が志垣太郎を自称しはじめ、4年時に本格的に発狂した野入も、その前兆か自分をアラン・ドロンだと言い始めました。それどころか、新入生の女子にも吉永小百合や酒井和歌子を自称する者まで出る始末です。でもまあ、当時世界一の美人だった栗原小巻様に自分をなぞらえる者がいなかった事に、彼女達の一抹の良識を感じましたわ。
クラブの雰囲気は見違えるほど明るくなりましたが、それはそれで同期の女子Kに「最近随分クラブの雰囲気が変わったわねえ。何か仲良しクラブになっちゃったみたい」とも言われました。そりゃお前さんはマイペースで箏追及だから良いだろうよ、オレしか知らなかったけど、もう婚約者だっていたしな。男どもがどうであれ関係無いだろうよ。
でも現実に崖っぷちだったクラブに女子が増えて、女子が増えると性欲の盛んな時期だもの、男子もつられて増える。間違いなくクラブは上昇期に入りました。ありがとうよ、粟田。もしオメエが言ってくれてなかったら、法政大学三曲会は確実に終わってたわ。
大学の邦楽クラブも、その頃から比べると、約半数が無くなりました。うちはじめ生き残っている所は大学クラブとはいえ、それなりに改革の努力をしてきたのです。「素晴らしい伝統」とか「美しい日本の芸術」とかの自己賛美ばかりで、改革努力をしなかった流や社中が衰退の一途になったのは当然の事です。「努力はした」と言うなら、それもそうでしょうよ。ただし見当違いのね・・・。
今は尺八を始める動機は、まず「面白そう」だからです。「伝統」とか「日本」じゃないの。ましてや高橋河童や狂人野入なみの、実体の伴わない自己賛美で何処の若者が入ってくると思ってんですか?。「若い人が入らなくってねえ」と流や社中の誰もが言いますが、若い人は貴方達の知らない所に多数います。
だって、若い人に「ノー」を突き付けられているのは流や社中、邦楽ソフトであって尺八じゃないもの・・・。
人が増えてこそ、古典とか現代邦楽とかの極く少数派の嗜好も増える。まず入口は「楽しい事」です。誰に言ってるって?。新しいグループとかカルチャー活動の主催者ですよ。流?、社中?、気の毒だけど手遅れ。多分もう生き残れないよ。
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