僥倖
- 2020/11/21
- 19:04
ここ5年で言えば、尺八にとっての最大の僥倖は中国市場の爆発的発展でしょう。神崎憲さんが「10年あれば中国の尺八人口を1万人にしてみせる」と言ってから、まだたかだか7年しかたっていません。なのにハッキリとは言えませんが、もうすでに1万人のラインを越えた様です。それに、どうやら今年は市場規模で日本を抜いた可能性が有ります。
これは、あくまで市場規模です。尺八人口では依然として日本の方が多い。だって少なくなったとは言え、まだ日本には「尺八吹き」が3万人弱いますもの。
ですがね、日本の「尺八吹き」は平均年齢が70代前半、もう尺八は持ってますし、もう新たに購入する意欲もありません。さらに演奏会チケットや音源の購入層としても期待できなくなってしまいました。これまでだって、もともと購入意欲は薄かったのですが、「邦楽に対する好意」として、カンパのつもりで「義理買い」をしてきた人達も、大方が年金世代になり、もう、そういう事には支出出来なくなってしまいました。
中国市場の発展は尺八演奏家と製管師に多大な恩恵を齎しました。
でも、「それは一部の人達だけだ」との声も有ります。当り前です。「伝統芸術・工芸」だからって、新しい在り方を模索してきた人と、そういう努力をしなかった人とが平等であって良いわけがありません。
「外国で評価されたって、それが何だ」、「尺八の素晴らしさは、そういう所とは別に有る」、「古典邦楽は日本人にしかわからない」等等等。その他に何か?。ことは文化です。だから、どんな意見も一理有るし、また主張する権利も平等です。でも私はプロですから、尺八が唯一無二の収入源です。ですから、ここでは文化としての在り方を論じているのではなく、ビジネスの面を言っているのです。
貴方がどう感じ、どう考えようと一切関係無い。多大な増収を齎してくれた中国市場の大発展に感謝するばかりです。
冗談抜きで言いますが、中国に尺八市場が出来ていなかったら、今頃は製管師では私以外には後何人も生き延びていませんぜ。エッ、「中国に中心が移ったとして、それを残念に思わないのか?」、ですって・・・。そりゃ全くの逆だわ。外国の尺八愛好家って、青年期まで見た事も聞いた事も無い異国の笛を自分の選択で選んだんですよ。酔狂という言葉が相応しいにしろ、なまじの熱意ではありません。
ですから、熱心ですし、尺八が好きですし、音楽や楽器に対する知識も豊富です。「演奏者の吹奏楽器コントロールの範囲」という理解も正確です。ですから「この尺八は音程が狂っている」なんて言われた事は、ただの一遍も有りませんし、また、そういう尺八製作者でなければ、外国の市場で受け入れられませんね。尺八に関する情報自体が、日本の様に極狭い範囲での「口コミ」では無く、全員がインターネットをやっていますから、日本尺八界とは比較にならない速さで伝わっています。
だいいち、既得権益者や組織の人工概念によるミスリードも存在しません。これが最も大きいですかね。だから、日本では死滅しましたが、「下手なのに高い」あるいは「本当に音程が狂っている」製管師が外国で評価を得る事などは絶対に有り得ません。楽器としてはガラクタである古管が高額で取引されていますが、その多くのケースは「好事家趣味」です。ですから、これも冗談抜きで言いますが、尺八の音楽面に関しては、あらゆる点で平均値最低は日本なのですよ。
でも、これは繰り返しになりますが楽器、音楽という事だけに関して。芸術文化の豊かさという面では、外国は、まだ全然、日本の尺八界には遠く及びません。文化は、ある意味「共同幻想に入り込む」という面が有ります。たとえば、すっかり色の褪せた横山大観の画の前で感嘆の声をあげる。足立美術館にでも行けば普通に見る光景ですな。自分の脳で補っているのです。別に皮肉ではありませんよ。これは人類共通の精神的財産です。レンブラントの「真昼の行進」が煤けて「夜警」に変わろうと、ゴヤの「裸のマハ」の首がおかしくったって、ダビンチの絵の彩色が劣化してたって、余程の皮肉屋でもなければ、そういう目ではみませんでしょう。そういう豊かさが文化ですとも。
これは、あくまで市場規模です。尺八人口では依然として日本の方が多い。だって少なくなったとは言え、まだ日本には「尺八吹き」が3万人弱いますもの。
ですがね、日本の「尺八吹き」は平均年齢が70代前半、もう尺八は持ってますし、もう新たに購入する意欲もありません。さらに演奏会チケットや音源の購入層としても期待できなくなってしまいました。これまでだって、もともと購入意欲は薄かったのですが、「邦楽に対する好意」として、カンパのつもりで「義理買い」をしてきた人達も、大方が年金世代になり、もう、そういう事には支出出来なくなってしまいました。
中国市場の発展は尺八演奏家と製管師に多大な恩恵を齎しました。
でも、「それは一部の人達だけだ」との声も有ります。当り前です。「伝統芸術・工芸」だからって、新しい在り方を模索してきた人と、そういう努力をしなかった人とが平等であって良いわけがありません。
「外国で評価されたって、それが何だ」、「尺八の素晴らしさは、そういう所とは別に有る」、「古典邦楽は日本人にしかわからない」等等等。その他に何か?。ことは文化です。だから、どんな意見も一理有るし、また主張する権利も平等です。でも私はプロですから、尺八が唯一無二の収入源です。ですから、ここでは文化としての在り方を論じているのではなく、ビジネスの面を言っているのです。
貴方がどう感じ、どう考えようと一切関係無い。多大な増収を齎してくれた中国市場の大発展に感謝するばかりです。
冗談抜きで言いますが、中国に尺八市場が出来ていなかったら、今頃は製管師では私以外には後何人も生き延びていませんぜ。エッ、「中国に中心が移ったとして、それを残念に思わないのか?」、ですって・・・。そりゃ全くの逆だわ。外国の尺八愛好家って、青年期まで見た事も聞いた事も無い異国の笛を自分の選択で選んだんですよ。酔狂という言葉が相応しいにしろ、なまじの熱意ではありません。
ですから、熱心ですし、尺八が好きですし、音楽や楽器に対する知識も豊富です。「演奏者の吹奏楽器コントロールの範囲」という理解も正確です。ですから「この尺八は音程が狂っている」なんて言われた事は、ただの一遍も有りませんし、また、そういう尺八製作者でなければ、外国の市場で受け入れられませんね。尺八に関する情報自体が、日本の様に極狭い範囲での「口コミ」では無く、全員がインターネットをやっていますから、日本尺八界とは比較にならない速さで伝わっています。
だいいち、既得権益者や組織の人工概念によるミスリードも存在しません。これが最も大きいですかね。だから、日本では死滅しましたが、「下手なのに高い」あるいは「本当に音程が狂っている」製管師が外国で評価を得る事などは絶対に有り得ません。楽器としてはガラクタである古管が高額で取引されていますが、その多くのケースは「好事家趣味」です。ですから、これも冗談抜きで言いますが、尺八の音楽面に関しては、あらゆる点で平均値最低は日本なのですよ。
でも、これは繰り返しになりますが楽器、音楽という事だけに関して。芸術文化の豊かさという面では、外国は、まだ全然、日本の尺八界には遠く及びません。文化は、ある意味「共同幻想に入り込む」という面が有ります。たとえば、すっかり色の褪せた横山大観の画の前で感嘆の声をあげる。足立美術館にでも行けば普通に見る光景ですな。自分の脳で補っているのです。別に皮肉ではありませんよ。これは人類共通の精神的財産です。レンブラントの「真昼の行進」が煤けて「夜警」に変わろうと、ゴヤの「裸のマハ」の首がおかしくったって、ダビンチの絵の彩色が劣化してたって、余程の皮肉屋でもなければ、そういう目ではみませんでしょう。そういう豊かさが文化ですとも。
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