蒙古
- 2020/12/04
- 10:29
先だっての大阪展示会です。毎年、大阪大学(阪大)の学生さん達がいらしてくださり、尺八を購入してくれます。今年いらっしゃった1人に専攻を訊きましたところ、「モンゴル語」だと言うじゃありませんか。「それじゃ就職に困るでしょう」と言った私は恥ずべき愚か者でした。歳のせいで頭が安全主義になり始めている。危ない危ない・・・。
阪大は今は大阪外語大と合併しています。つまり大阪外語のモンゴル語科、日本最大の歴史小説家である司馬遼太郎の後輩ですな。司馬さんの時代は「大陸勇飛」ですから、モンゴル語も、その多くは「侵略思考の用途」であったとは思いますが、まあ就職先に困る事は無かったと思います。
蒙古は不思議な土地ですな。その学生さんに言わせると「草しか生えない。全く農業に適さない最悪の荒れ地」だそうです。それに夏は酷暑、冬は零下何十度まで下がり、しかも1日のうちに夏と冬が同居するという極端な気候です。しかし、これが遊牧生活にとっては最高の土地となりますから、世の中は実に良くしたモノです。
モンゴル人民共和国は日本の4倍の面積ですが、それでいて人口3百万人弱ですから、広い土地が必要な遊牧経済では、このくらいの人間しか養えないのでしょう。
草を羊が食べつくすと、新しい草地を求めて次々と移動しますから、必然的に土地所有の観念が無く、農地ではないので治水等の、大きな権力による労働力集中の必要も無く、したがって「国家」というものが必要有りませんでした。傍らに他人がいない方が良い、その遊牧民が集団化する動機。それは遊牧より効率性が高い「略奪経済」に意識を集約できた場合です。
その最も成功したケースが、人類史上第2位、大英帝国に次ぐ国土面積を誇ったチンギス汗以来の「蒙古世界帝国」でしょう。当時の蒙古高原に住んでいた各種族、モンゴル人、それより多かったと思われるトルコ人、さらにチベット人、ツングース等が共通の利害、つまり侵略主義の慾のもとに結集しました。「世界帝国」が解体して後も、残存勢力は蒙古に北元、西アジアにチムール帝国、インドにムガール(モンゴル)帝国等の広大な国家を建てました。
1274年と81年の2回(沖縄を除く)にわたって、この蒙古の襲来を日本が受けたのが「元寇」。対馬の被害が最も大きいものでした。その「元寇」、対馬に焦点を当てたゲームソフトが、今世界で大流行している『ゴースト・オブ・ツシマ』です。発売5か月で、すでに5百万部、まさに天井知らずの記録的大ヒットです。そして、御存知の方には今更言う事も無いのですが、この中での音楽は尺八です。「全部、ほとんど」と言っても過言ですが、まあ「過言ではない」としときましょう。
欧米人の「日本時代劇」にイメージする楽器、音楽は尺八なのですね。他にも例は有りますよ。これが「尺八人気を世界的に押し上げるに違いない」と私は思っています。来年のオリンピックと平行する尺八にとっての大きな追い風です。
それにしても、かつて蒙古と周辺地域を支配した遊牧の民達は、いったい何処に行ってしまったんでしょうか?。匈奴は一部がヨーロッパに移動し、大半は漢民族と同化したと言われます。中国本土まで支配した鮮卑と契丹も漢民族の中に溶け込んだ様です。草原の大帝国・突厥は歴史の中に消え、、同様に8,9世紀に強勢を誇った回紇も、ウイグルの名だけを残し周辺遊牧民と同化しました。また5~6世紀にモンゴルを支配した柔然は、「ヨーロッパに移動してハンガリーのアバール人になった」という説が有ります。
匈奴と言えば、4世紀にヨーロッパに現れて猛威を奮い「ゲルマン人の大移動」などの社会的大変動を引き起こしたフン族が匈奴だという説が有力です。でも不思議なのは、ヨーロッパ人の記録に残るフン族は「小さな目、扁平な顔」の「モンゴル的風貌」ですが、同じ頃、冉閔により根絶やしにされた羯族は匈奴の一種ですが、「鼻が高く彫りが深い」容貌ですよね。ですからね、尺八も世界に広がり何世代か経ると「これが尺八かよ」といった形態変化を遂げるでしょうな。
それでもね、「一所懸命」と守ってきた流派・会派といった「尺八にとっての豊かな農地だっと教授産業」は、もう無いの。今からは遊牧民の様に新しい適地を求めて移動するしかないでしょう・・・。
阪大は今は大阪外語大と合併しています。つまり大阪外語のモンゴル語科、日本最大の歴史小説家である司馬遼太郎の後輩ですな。司馬さんの時代は「大陸勇飛」ですから、モンゴル語も、その多くは「侵略思考の用途」であったとは思いますが、まあ就職先に困る事は無かったと思います。
蒙古は不思議な土地ですな。その学生さんに言わせると「草しか生えない。全く農業に適さない最悪の荒れ地」だそうです。それに夏は酷暑、冬は零下何十度まで下がり、しかも1日のうちに夏と冬が同居するという極端な気候です。しかし、これが遊牧生活にとっては最高の土地となりますから、世の中は実に良くしたモノです。
モンゴル人民共和国は日本の4倍の面積ですが、それでいて人口3百万人弱ですから、広い土地が必要な遊牧経済では、このくらいの人間しか養えないのでしょう。
草を羊が食べつくすと、新しい草地を求めて次々と移動しますから、必然的に土地所有の観念が無く、農地ではないので治水等の、大きな権力による労働力集中の必要も無く、したがって「国家」というものが必要有りませんでした。傍らに他人がいない方が良い、その遊牧民が集団化する動機。それは遊牧より効率性が高い「略奪経済」に意識を集約できた場合です。
その最も成功したケースが、人類史上第2位、大英帝国に次ぐ国土面積を誇ったチンギス汗以来の「蒙古世界帝国」でしょう。当時の蒙古高原に住んでいた各種族、モンゴル人、それより多かったと思われるトルコ人、さらにチベット人、ツングース等が共通の利害、つまり侵略主義の慾のもとに結集しました。「世界帝国」が解体して後も、残存勢力は蒙古に北元、西アジアにチムール帝国、インドにムガール(モンゴル)帝国等の広大な国家を建てました。
1274年と81年の2回(沖縄を除く)にわたって、この蒙古の襲来を日本が受けたのが「元寇」。対馬の被害が最も大きいものでした。その「元寇」、対馬に焦点を当てたゲームソフトが、今世界で大流行している『ゴースト・オブ・ツシマ』です。発売5か月で、すでに5百万部、まさに天井知らずの記録的大ヒットです。そして、御存知の方には今更言う事も無いのですが、この中での音楽は尺八です。「全部、ほとんど」と言っても過言ですが、まあ「過言ではない」としときましょう。
欧米人の「日本時代劇」にイメージする楽器、音楽は尺八なのですね。他にも例は有りますよ。これが「尺八人気を世界的に押し上げるに違いない」と私は思っています。来年のオリンピックと平行する尺八にとっての大きな追い風です。
それにしても、かつて蒙古と周辺地域を支配した遊牧の民達は、いったい何処に行ってしまったんでしょうか?。匈奴は一部がヨーロッパに移動し、大半は漢民族と同化したと言われます。中国本土まで支配した鮮卑と契丹も漢民族の中に溶け込んだ様です。草原の大帝国・突厥は歴史の中に消え、、同様に8,9世紀に強勢を誇った回紇も、ウイグルの名だけを残し周辺遊牧民と同化しました。また5~6世紀にモンゴルを支配した柔然は、「ヨーロッパに移動してハンガリーのアバール人になった」という説が有ります。
匈奴と言えば、4世紀にヨーロッパに現れて猛威を奮い「ゲルマン人の大移動」などの社会的大変動を引き起こしたフン族が匈奴だという説が有力です。でも不思議なのは、ヨーロッパ人の記録に残るフン族は「小さな目、扁平な顔」の「モンゴル的風貌」ですが、同じ頃、冉閔により根絶やしにされた羯族は匈奴の一種ですが、「鼻が高く彫りが深い」容貌ですよね。ですからね、尺八も世界に広がり何世代か経ると「これが尺八かよ」といった形態変化を遂げるでしょうな。
それでもね、「一所懸命」と守ってきた流派・会派といった「尺八にとっての豊かな農地だっと教授産業」は、もう無いの。今からは遊牧民の様に新しい適地を求めて移動するしかないでしょう・・・。
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