7月の展示会(札幌)
- 2021/06/01
- 12:08
展示会は6月はお休みです。7月には札幌でやります。来年には北海道を1周するツアーを企画していまして、今回はマア何というか、様子見です。
北海道展示会は11年ぶりです。日本尺八界は人口的には衰退の一途ですが、それとて地域差は有ります。北海道などは特に衰退が顕著な地域で、壊滅という言葉が相応しいかも知れません。
2021年7月10日(土) 札幌
東横イン札幌駅北口(第2会議室) 午前10時半から午後5時まで
札幌市北区北6条西1-4-3 電話011-728-1045
JR札幌駅北口から徒歩3歩。地下鉄ですと東豊線「さっぽろ駅」17番出口から徒歩1分です。
2021年7月11日(日) 札幌
東横イン札幌駅北口
札幌駅北口(第一会議室) 午後14時から18時まで
前日と同じ場所ですが、会議室、開始時間、終了時間が異なります。御注意ください。
① 尺八の歴史を変えた3Ⅾ尺八が大量に並びます。異次元の性能に驚きますよ。
② 中古の尺八が有れば、その場で即金で購入します。割れや破損が有っても購入します。ただ、素人作の尺八は買えません。この世界にはプロとアマの明確な基準が無く、「どっちとも言えない」の存在も多いのですが、「はっきり素人」でなければ購入いたします。
③ 遼山工房が修理を引き受けますので、もし修理希望の尺八がございましたら御持参ください。修理見積りは無料です。遼山工房は尺八修理の専門工房です。ここより安い所、上手い所なんて有りませんよ。
かつての北海道は近代日本にとってのラストフロンティアでしたから、大正期から尺八が広がり、畑中康山が都山流を広め、琴古の各派も相次いで開拓にのりだしました。それと並んで大きかったのが「江差追分」の小路流(コウジリュウ)の存在です。小路流の開祖と位置付けられる鴎嶋軒・小路豊太郎の生涯は、井上肇さんの著書で詳しく知ることが出来ます。井上さんとは20年前に、ただ一度きりしかお会いしていませんが、その折、詳しくお話を伺い、また著書も頂戴しました。
小路豊太郎を最初に尺八に導いたのは、北海道を虚無僧行脚中だった神保三谷で知られる神保政之輔で、明治22年頃のことらしいです。
私は小路流三代目宗家の松本晁章先生に訊いた事が有ります。「昭和36年でしたか、先生が小路流三代目をお継ぎになられた時点で、小路流はどのくらいの規模だったのでしょう?」。松本先生の答え、「さあ、十何人かいたでしょうかね」。それが、おりからの民謡ブームに乗って、昭和60年頃には尺八だけで千人に達していました。小路の凄さは、それに止まらず北海道の民謡社中の7割を事実上の傘下にしていた事です。
NHKの「素人ノド自慢大会」には、とうに民謡での出場者がいなくなっていた15年前でも、北海道大会だけは2人の出場枠が存在しており、その出場者は松本先生の一括推薦で決まっておりました。その小路も今は60人位でしょう。後10年経たずに昭和36年水準に戻ります。かての尺八一大王国北海道の衰退ぶりは寂しいですね。
小路の看板「江差追分」は、民謡尺八曲の代表とも言うべきもので、亡くなった米谷威和男先生は「民謡の最高峰」に挙げていましたし、私の後輩、高橋河童山(前名、照誠山)は「江差追分」の尺八に魅かれて法政大学三曲会に入部してきました。今は民謡尺八の吹き手であれば、会派に関係無く吹いておりますから、地域主義に徹し、北海道を出なかった小路流が勢いを無くした一因でもあります。でも、それ以前に民謡の急激な衰退が大きいですね。
「じゃあ、お前がやるのは最後の搔き集め、いわば落穂拾いか?」ですと、ちゃいまっせ、来年の様子見だと言ったでしょう。古典邦楽にしろ民謡にしろ、流とか会とかは従来型の教授産業の枠から出られないので、もう駄目なんですて。「最後の鐘」が鳴るまで、おそらく20年は無いでしょう。でも、流や会派の人には見えないだけで、全く新しい尺八の芽がふいているのです。それだからこそ、他の製管師が全滅なのに、私の邦星堂だけ、このコロナ時代にも好調なんですわ。
私の展示会ツアーは何処によらず、新しい時代の呼び込みです。それでなくて、こんなに売れていて、かつ忙しいオレがやるはずネエだろうがよ・・・。
北海道展示会は11年ぶりです。日本尺八界は人口的には衰退の一途ですが、それとて地域差は有ります。北海道などは特に衰退が顕著な地域で、壊滅という言葉が相応しいかも知れません。
2021年7月10日(土) 札幌
東横イン札幌駅北口(第2会議室) 午前10時半から午後5時まで
札幌市北区北6条西1-4-3 電話011-728-1045
JR札幌駅北口から徒歩3歩。地下鉄ですと東豊線「さっぽろ駅」17番出口から徒歩1分です。
2021年7月11日(日) 札幌
東横イン札幌駅北口
札幌駅北口(第一会議室) 午後14時から18時まで
前日と同じ場所ですが、会議室、開始時間、終了時間が異なります。御注意ください。
① 尺八の歴史を変えた3Ⅾ尺八が大量に並びます。異次元の性能に驚きますよ。
② 中古の尺八が有れば、その場で即金で購入します。割れや破損が有っても購入します。ただ、素人作の尺八は買えません。この世界にはプロとアマの明確な基準が無く、「どっちとも言えない」の存在も多いのですが、「はっきり素人」でなければ購入いたします。
③ 遼山工房が修理を引き受けますので、もし修理希望の尺八がございましたら御持参ください。修理見積りは無料です。遼山工房は尺八修理の専門工房です。ここより安い所、上手い所なんて有りませんよ。
かつての北海道は近代日本にとってのラストフロンティアでしたから、大正期から尺八が広がり、畑中康山が都山流を広め、琴古の各派も相次いで開拓にのりだしました。それと並んで大きかったのが「江差追分」の小路流(コウジリュウ)の存在です。小路流の開祖と位置付けられる鴎嶋軒・小路豊太郎の生涯は、井上肇さんの著書で詳しく知ることが出来ます。井上さんとは20年前に、ただ一度きりしかお会いしていませんが、その折、詳しくお話を伺い、また著書も頂戴しました。
小路豊太郎を最初に尺八に導いたのは、北海道を虚無僧行脚中だった神保三谷で知られる神保政之輔で、明治22年頃のことらしいです。
私は小路流三代目宗家の松本晁章先生に訊いた事が有ります。「昭和36年でしたか、先生が小路流三代目をお継ぎになられた時点で、小路流はどのくらいの規模だったのでしょう?」。松本先生の答え、「さあ、十何人かいたでしょうかね」。それが、おりからの民謡ブームに乗って、昭和60年頃には尺八だけで千人に達していました。小路の凄さは、それに止まらず北海道の民謡社中の7割を事実上の傘下にしていた事です。
NHKの「素人ノド自慢大会」には、とうに民謡での出場者がいなくなっていた15年前でも、北海道大会だけは2人の出場枠が存在しており、その出場者は松本先生の一括推薦で決まっておりました。その小路も今は60人位でしょう。後10年経たずに昭和36年水準に戻ります。かての尺八一大王国北海道の衰退ぶりは寂しいですね。
小路の看板「江差追分」は、民謡尺八曲の代表とも言うべきもので、亡くなった米谷威和男先生は「民謡の最高峰」に挙げていましたし、私の後輩、高橋河童山(前名、照誠山)は「江差追分」の尺八に魅かれて法政大学三曲会に入部してきました。今は民謡尺八の吹き手であれば、会派に関係無く吹いておりますから、地域主義に徹し、北海道を出なかった小路流が勢いを無くした一因でもあります。でも、それ以前に民謡の急激な衰退が大きいですね。
「じゃあ、お前がやるのは最後の搔き集め、いわば落穂拾いか?」ですと、ちゃいまっせ、来年の様子見だと言ったでしょう。古典邦楽にしろ民謡にしろ、流とか会とかは従来型の教授産業の枠から出られないので、もう駄目なんですて。「最後の鐘」が鳴るまで、おそらく20年は無いでしょう。でも、流や会派の人には見えないだけで、全く新しい尺八の芽がふいているのです。それだからこそ、他の製管師が全滅なのに、私の邦星堂だけ、このコロナ時代にも好調なんですわ。
私の展示会ツアーは何処によらず、新しい時代の呼び込みです。それでなくて、こんなに売れていて、かつ忙しいオレがやるはずネエだろうがよ・・・。
スポンサーサイト