プロレスラー、マシオ駒さんのカバン持ちをしていた頃ですから、そろそろ半世紀も前になりますね。ある時言われましたよ。「大橋、お前は韓国によく行くけど、韓国って良いか?」。駒さんも昭和44年の夏に、大木金太郎のルートで林牛の助、ミスター珍と一緒に1度韓国遠征をやってますが、どうも韓国は肌に合わなかったらしいのです。私が「あそこは人間が親切で良いですからね」と言うと、「そうか?、韓国人にはロクなヤツがいないじゃないか。」、そう言って指を折って数えます。「力道山だろ、大木金太郎だろ、星野だろ、松岡だろ・・・」って。そうは言われてもネエ。私が「良い人もイッパイ知ってますから」と言うと、そこは人物の駒さん、「ああ好いなあ、オレもいつかそう言ってみたいや」、しみじみと呟きます。「駒さんだって朴(パク・ソン)さんは好きでしょうが」、「ああ、パクさんは良いな。そう言えばムードック(ディック・マードック、有名な黒人嫌い)が言ってたな。黒人は大嫌いだけどボボ・ブラジルだけは好きだって」。「そうでしょう、皆が嫌う松岡(嚴鉄)さんだって、僕には優しかったですよ」。「本当かよ、松岡が?。星野の方がまだ救いが有るけどな」。
ヒトの良し悪しって簡単には判断出来ませんよ。芸能人やスポーツ選手で、「アイツは性格が悪(良)い」と言われている人が、別の処では全く反対の評価をされてたりするでしょ。これって思うには、どんな人格者と言われる人だって、気持ちに余裕が無い時って有ると思うんですよ。運悪く、そういう時に遭遇した人が悪印象を持つのは当たり前。その反対のケースも有りますしね。それと接した相手の人の態度も有りますよ。有名人で、他人の目に常時さらされている場合は、ことに変な意味ですが、対人サンプル数が多いですものね。
プロレスでもジャイアント馬場は「人格者」と言われていますが、50歳前の馬場に接した一般プロレスファンにとっては、無愛想で相手を無視してましたから、決して良い人ではなかったと思います。一方のアントニオ猪木は誰に対してもフラットで愛想が良いですよね。初対面の人でも、相手が子供であれドカタであれ気楽に会話します。でも、深く猪木と付き合うと「あんなヒドイヤツはいねえ」と言う人が多いです。「日本人嫌い」と評判だったアンドレ・ザ・ジャイアントにしったって、最初の頃は結構和やかでしたよ、でも露骨に「化け物扱い」をする人が、当時の日本には多かった。そりゃ段々、日本人が嫌いにもなりまっさ・・・。
私は基本的に「人間大好き」ですが、「コイツはトコトンイヤなヤツだ」と思う人間には、これまでの人生で1人しか会っていません。そいつは中学高校で皆の鼻つまみでしたし、同期会に行っても誰一人として消息を知りませんから、本当に嫌な人間なんでしょう・・・。
半世紀前で言うと「韓国人嫌い」は多かった。差別感もヒドイモノでしたが、それ以前にイメージですよ。だって、ほとんどの人が実際の韓国人を知りませんでしたもの。知っていたとして在日コリアンです。その人達って、異国に来て、厳しい差別侮蔑の中で必死に自分の生活を建ててきたんです。それってアメリカの黒人問題と同じですわ。ことは社会構造の話ですから、末端労働者や貧乏人、ヤクザに在日コリアンが多いと言ったって、もし彼等がいなければ、同じ境遇に押し下げられた日本人がいただけの事です。
確かに韓国人は自己主張が強く、感情を隠さないですよ。でも、彼等に言わせれば「日本人は口と心が違う」という事になります。
要するに見る角度、表し方の違いですって。映画、テレビドラマ、小説なんかが参考になります。何処の国、民族にしろ愛情、友情、正義、信義、幸福の追求なんか同じですよ。ただ現わし方に違いが有るだけです。だから民族単位で「どこどこのヤツは嫌い」と言う人の意見は、私は聞く気がしないのです。
何が言いたい?。決まってるだろう、オレが何処の国の誰とビジネス関係を持とうとオレの勝手だ。ハッキリ言う、中国のウイグル、チベット、香港の問題を尺八ビジネスと一緒にするな。まして「中国と付き合うと今にヒドイ目にあうぞ」なんて、いったい誰に言ってるの?。
もうアンタ方の感情や志向と関係無く、尺八は中国無しじゃ立ちいかねえんだよ。「そうは思わない」ってんなら自己責任だから、勝手にやってみなよ。
私、戴いたメールや手紙には時間がかかっても必ずお返事しています。でも、「美しい尺八の音は日本人の、それも伝統邦楽の中に在る」とかって、いちいち返事するのも面倒だから、こうして、まとめて返事します。
でも「中国嫌い」が増えましたよねえ。半世紀前、丁度、駒さんとの会話の頃、日本には中国礼賛の「中キチさん」が沢山いました。1972年から1977年までの大新聞(産経を除く)とかテレビ(こっちはフジも)では台湾の事は全然扱われなかったんですぜ。時代が一巡りしたってことですかいな。
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