私はかねてから「尺八には意図して作られたニセモノ、つまり贋作などは無い」と言ってきました。有るはずがない。素人さん達はずっと昔から「誰々の作には偽物も多い」とか言っていましたが、バカバカしい、チョット考えれば分かることです。そんな、すぐバレることをして、狭い地域社会、それもさらに小さい尺八村で普通の生活を送れるはずが無いでしょうよ。 絵画や陶磁器と違って、作者が誰であれ、年収の何倍と言うほどのモノではないし、尺八の様な流通経路に確立した信用も統制も無いものの場合、誰でも簡単に参入出来ますから、有名製管師の贋作を真似できるほどの技術力が有れば、自己ブランドを立ち上げますって。 ただ、それでも以下のようなケースは有ります。 ① 金が必要だったんだと思いますが、新規入門者に自作(だと思います)の尺八を有名製管師作と偽って売った。当然ながら、他との付き合いが全くない尺八吹きなのでしょう。 ② 工房生産は銘が同じでも作者は別人。でも、これは偽モノではなくブランドの商品化。作風が違って当然。 ③ 他人の作品を無印で仕入れ、自己の焼き印を入れる。琴古の有名演奏家には普通に見られたことで、これもブランド商法で贋作とは違います。 つまり尺八みたいな「人が相手にしない物」の場合、贋作なんてないのです。ブランド商法は、親方つまり「ブランド本人」が承知してやってることです。もっとも昔の琴古みたいに、「師匠から買わなければいけない」、そういう仕組みの中では、本来の意味でのブランドなんか無いですけどね・・・。
最近の訊かれた例は、たとえばこういう具合です。 ① 静波管は本当に清水静波は存在していないのか?。出品場所が長崎なのですから、マアこのケースでは富永静波でしょうよ。でも、自信が無いなあ。だって、ある程度には信用の有る人が「清水静波管」の存在を明言してたもの。 ② 古鏡。私が知るかぎり「古鏡」という印は無い。「古」一字です。ですから、やはり「怪しい」と思われたのでしょう、落札価格は相場の数分の一でした。古い時代には狭い範囲が市場なので、そもそも厳密な識別マークなど必要有りませんから、「名称管理」なんて気にしませんですわ。だからこそ、「古鏡」だって、もしかして有るかも知れないでしょう。だって、古鏡は3人くらいいたんだし。 ③ 西村虚空管。日本では西村派以外の人からは興味を持たれない。それでも今までは、その人達が「出たら買う」で外国への流出を抑えてきました。でも、もう人もいないし、いても高齢化で国内保持は無理ですよ。買う人は外国人だけでしょうが、「絶対おかしい、虚空の字体も違うし歌口も入ってる。あんなの見た事がない」って言われてもねえ、オレなんかに分るわけねえだろうよ。でも、落札価格が相場(推定相場)の三分の一だったから、やはり疑問をもたれたのでしょう。