アンタッチャブル
- 2021/06/29
- 11:04
「触らぬ神に祟りなし」とか言いますな。これだけ落ちぶれた伝統邦楽界に、そういう存在が今でも有るのか?。まあ、これは枕です。
その昔、尺八関係者にとって「一番、敵にしたくない存在」は初代中尾都山でしたでしょう。そのスケール観は、尺八という世界においては他に比類が有りません。都山流の規模が後年(昭和10年代)ほどには大きくなかった大正6年においてすら、独立を企てた上田芳憧の、その記念すべき「上田流旗揚げ演奏会」において、糸方出演者中の全てが、当日になって出演を辞退してきたという有名なエピソードがあります。初めから出演依頼を断るというのは良いんですよ。それが案内を出してから、それも当日キャンセルですから、たまったものじゃないですよね。当時の邦楽界糸方の精神的な矮小さに呆れる前に、初代都山の力の強大さを知らしめる出来事です。こういう、相手に最も打撃を与える方法は、意地の悪い人なら誰でも考えつきますが、それを実行し、また相手に言う事を聞かせる実力を示した時から、周りの見る目は尊敬に変わります。
強大を誇った都山流は、御存知の通り昭和50年代に割れ、最終的に3分裂しました。中で最大派閥の都山流楽会は分裂から約30年間は、実質的に高平艟山さんの「執権独裁体制」でしたから、流内部の人にとっては、その頃でも強い遠慮が有りましたよ。笹岡汀山さんが琴古流の講習会を開いて問題になった事なんかを思い出しますな。笹岡さんは、もともと高平さんに逆らいまくった人だけに、さして気にもしていませんでしたが、周りがね。処分に怯える笹岡門人に、「何をそんなに気にしているの?」と訊くと、やはり糸方からの「付き合いの見直し」を言い出される恐怖が有ったみたいです。
でも、同じ頃、高平さんに喧嘩を売った邦楽ジャーナルの田中さんや、頼まれもしないのに喧嘩を買った私なんか、何のダメージも無かったけどね。もっとも田中さんの場合は、極く短期間だけど邦山先生に無視されました。でも世に言う「邦山・田中の仲」ですから、元に戻るのに時間はかかりませんや。
これが、さらに時代が下がって平成の終わりになると、都山流楽会の新潟支部長だった明間原山さんが、対抗団体である連盟会長の坂田誠山先生を招いて、楽会、連盟の垣根無く、大掛かりに「竹取物語」をやって、それで問題にならなかったのですから、つくずく時代は変わったと思います。でも、その時代でもなお、事前に明間さんに意見を求められた楽会支部長の大半が「ノーコメント」だったといいますから、あえて「火中の栗」を拾うのはイヤだったのでしょう。
都山流尺八楽会は今でも「尺八界最大最強」の団体で、「流としての機能停止」まで15年くらいですけど、完全崩壊に至らない可能性を今でも有している唯一の団体だと思います。はっきり言いますと、この会だけは千人前後で長期に渡って存続するかもしれません。
でも、もうアンタッチャブルの存在ではありません。だって、ほとんどの構成員達のスタンスが「会がどうなろうとオレとは関係無い」ですから、そういう組織は誰も怖がりませんや。
「じゃあ、そういう団体は有るのかよ?」という御質問には、「基本的に無い」と答えますが、宮城会はイヤですね。少なくとも悶着を起こしたくない会です。
演奏のプロとかマスコミと違って、尺八屋の私にとって利害関係が無いのですから、多少は「ええ~」という事が有っても、「触らぬ神に祟りなし」ですわ。だって宮城会は長期の裁判にも耐えられるだけの財力が有りますもの。要らぬ義憤にかられて喧嘩するには相手が悪い。容易く白黒が着かない事を裁判で争う気は有っても、こっちは零細企業ですから金と時間がもちませんわ。
でもね、イザとなると他人を震え上がらせる人なり団体なりが有るって、それはそれで頼もしくないですかね。ロックやポピュラー、歌謡曲ほどでは無くても、邦楽よりはズ~ット実力、つまりガチの度合いの強い洋楽の世界にも、圧力を発揮できるドンみたいな人がいるってえじゃありませんか。「クラシックなんて芸大とかの権威、ヒエラルキーの世界ですよ」とか洋楽のプロ達からさんざん聞かされました。
ここは日本、それでなくとも人間の構成する社会ですから、芸術と言えども「完全にガチ」なはずがねえでしょうよ。勝敗や記録で優劣が誰の目にも明らかな世界とは、そもそもの成り立ちが違うんですからね。芸術でも、大衆の支持が基盤の世界だと多少は違うのでしょうが、それだって「芸能界のドン」とか言う人達が「売り出す」とか「干す」を決めるにあたって、大変な影響力を発揮するってえじゃあないですか。
かつての初代都山は、子分にとっては実に頼もしい親分でした。忠誠心とひきかえに多大な援助、保護が与えられました。こう言う人の存在しない世界は「自由で開かれた世界」なのかも知れませんが、要するに「金の稼げない世界」でもありましょう・・・。
芸術みたいに価値基準のはっきりしないものの場合、社会的に大きな力を発揮する人なり組織無しに成り立たせるって、随分と難度が高いと思いますよ。
その昔、尺八関係者にとって「一番、敵にしたくない存在」は初代中尾都山でしたでしょう。そのスケール観は、尺八という世界においては他に比類が有りません。都山流の規模が後年(昭和10年代)ほどには大きくなかった大正6年においてすら、独立を企てた上田芳憧の、その記念すべき「上田流旗揚げ演奏会」において、糸方出演者中の全てが、当日になって出演を辞退してきたという有名なエピソードがあります。初めから出演依頼を断るというのは良いんですよ。それが案内を出してから、それも当日キャンセルですから、たまったものじゃないですよね。当時の邦楽界糸方の精神的な矮小さに呆れる前に、初代都山の力の強大さを知らしめる出来事です。こういう、相手に最も打撃を与える方法は、意地の悪い人なら誰でも考えつきますが、それを実行し、また相手に言う事を聞かせる実力を示した時から、周りの見る目は尊敬に変わります。
強大を誇った都山流は、御存知の通り昭和50年代に割れ、最終的に3分裂しました。中で最大派閥の都山流楽会は分裂から約30年間は、実質的に高平艟山さんの「執権独裁体制」でしたから、流内部の人にとっては、その頃でも強い遠慮が有りましたよ。笹岡汀山さんが琴古流の講習会を開いて問題になった事なんかを思い出しますな。笹岡さんは、もともと高平さんに逆らいまくった人だけに、さして気にもしていませんでしたが、周りがね。処分に怯える笹岡門人に、「何をそんなに気にしているの?」と訊くと、やはり糸方からの「付き合いの見直し」を言い出される恐怖が有ったみたいです。
でも、同じ頃、高平さんに喧嘩を売った邦楽ジャーナルの田中さんや、頼まれもしないのに喧嘩を買った私なんか、何のダメージも無かったけどね。もっとも田中さんの場合は、極く短期間だけど邦山先生に無視されました。でも世に言う「邦山・田中の仲」ですから、元に戻るのに時間はかかりませんや。
これが、さらに時代が下がって平成の終わりになると、都山流楽会の新潟支部長だった明間原山さんが、対抗団体である連盟会長の坂田誠山先生を招いて、楽会、連盟の垣根無く、大掛かりに「竹取物語」をやって、それで問題にならなかったのですから、つくずく時代は変わったと思います。でも、その時代でもなお、事前に明間さんに意見を求められた楽会支部長の大半が「ノーコメント」だったといいますから、あえて「火中の栗」を拾うのはイヤだったのでしょう。
都山流尺八楽会は今でも「尺八界最大最強」の団体で、「流としての機能停止」まで15年くらいですけど、完全崩壊に至らない可能性を今でも有している唯一の団体だと思います。はっきり言いますと、この会だけは千人前後で長期に渡って存続するかもしれません。
でも、もうアンタッチャブルの存在ではありません。だって、ほとんどの構成員達のスタンスが「会がどうなろうとオレとは関係無い」ですから、そういう組織は誰も怖がりませんや。
「じゃあ、そういう団体は有るのかよ?」という御質問には、「基本的に無い」と答えますが、宮城会はイヤですね。少なくとも悶着を起こしたくない会です。
演奏のプロとかマスコミと違って、尺八屋の私にとって利害関係が無いのですから、多少は「ええ~」という事が有っても、「触らぬ神に祟りなし」ですわ。だって宮城会は長期の裁判にも耐えられるだけの財力が有りますもの。要らぬ義憤にかられて喧嘩するには相手が悪い。容易く白黒が着かない事を裁判で争う気は有っても、こっちは零細企業ですから金と時間がもちませんわ。
でもね、イザとなると他人を震え上がらせる人なり団体なりが有るって、それはそれで頼もしくないですかね。ロックやポピュラー、歌謡曲ほどでは無くても、邦楽よりはズ~ット実力、つまりガチの度合いの強い洋楽の世界にも、圧力を発揮できるドンみたいな人がいるってえじゃありませんか。「クラシックなんて芸大とかの権威、ヒエラルキーの世界ですよ」とか洋楽のプロ達からさんざん聞かされました。
ここは日本、それでなくとも人間の構成する社会ですから、芸術と言えども「完全にガチ」なはずがねえでしょうよ。勝敗や記録で優劣が誰の目にも明らかな世界とは、そもそもの成り立ちが違うんですからね。芸術でも、大衆の支持が基盤の世界だと多少は違うのでしょうが、それだって「芸能界のドン」とか言う人達が「売り出す」とか「干す」を決めるにあたって、大変な影響力を発揮するってえじゃあないですか。
かつての初代都山は、子分にとっては実に頼もしい親分でした。忠誠心とひきかえに多大な援助、保護が与えられました。こう言う人の存在しない世界は「自由で開かれた世界」なのかも知れませんが、要するに「金の稼げない世界」でもありましょう・・・。
芸術みたいに価値基準のはっきりしないものの場合、社会的に大きな力を発揮する人なり組織無しに成り立たせるって、随分と難度が高いと思いますよ。
スポンサーサイト