火種
- 2021/07/13
- 11:23
昨夜、北海道の展示会より戻りました。上々の来客数、成績で安堵しました。これで来年の北海道一周展示会の決心がつきました。北海道は尺八人口の激減地域です。でも出来る。
今の私の新規顧客名簿を見たら同業者は卒倒しますよ。その新たに名簿に加わった人数の多さはもとより、そのほとんどが流や社中の名簿に無い名前ですからね。この新しい時代が「尺八界の当たり前の状態」になるのは、早ければ5年、私はそう判断しています。20万円以上する尺八の需要は現在の時点で、もう終わっていますが、それというのも高額尺八を通用させてきた仕組みが崩壊したからです。15万円でさえも、これからの尺八の総需要は、今いる人のうち、ホンの4,5人の製管師を専業者として生活させられるくらいでしょう。
いつも言ってますけど、古典邦楽、「現代邦楽」、民謡はすでに終わりました。それを支えてきた「お稽古音楽」、言葉を変えれば流、社中が終焉したという事です。現代邦楽にカッコが付くのは、現在のオリジナル曲との混同を避ける為ですが、これは従来から「御稽古音楽」ではなく、サークル等で使われるケースが多かった。「現代オリジナル」もサークルや部活の使用が主ですが、個人的に楽しまれている場合も多いですね。
もう、こういうことは自分が面白いと思うことしかやりませんぜ。尺八もカラオケみたいに気楽に、遊び半分(全部でも一向に差支えないです)で始める人が多くならないと正常に発展しませんよ。「じゃあ、お前はこれまでの尺八界を奇形的だと言うんか?」、そんなわけ無いでしょう。「時代」ですよ「時代」。2百年前だったらチョンマゲで地歌、伴奏は三味線で「粋なもんだね」でしょうが。そんなもん御時世ですから、私や貴方の個人的嗜好とは、また別の話ですって。尺八で言うなら「楽しい尺八や上達の方法は御稽古教室には無い」と皆が知ってしまったんですわ。40年前でも大方の人は気ずいていましたよ。でも、当時は辞めるか我慢するかの選択肢以外は、まだあまり無かったですからね。それに「古典邦楽に関わっているという心理的満足感」も少しは有りましたな。
最近、デンマーク人の女性(尺八家、学者)から、過去の私の文章を使用させてほしいとの希望が有りましたが、その方が言うには「日本人の民謡に対する関心の薄さが残念だ」という意見が有りました。そりゃ「歓迎すべき事態」だとは誰も思いませんよ。でも仕方が無いですね。「良い悪い」じゃあないんですよ。40数年前にカラオケが出現した時から、今日の「民謡壊滅」は決まっていたんです。それに付け加えると「民謡ブーム」そのものが、民謡の音楽ソフトとしての優位性と云うより、社会構造の変化がもたらした現象ですからね。
私が初めて民謡の激減予測を雑誌に発表したのは、もう30年前です。当時は民謡は全盛の名残が有りまして、「全国2千万人の民謡ファン」と呼号するほど、まだ大変な人数を擁していました。その時点で、私の予測にハッキリ賛意を表明した人は、民謡評論家の佐藤清山さんだけでした。業者じゃないですからね、学者さんやプロ民謡家には無理ですよ、役割が違う。
「東北や北海道は民謡が盛んなのでしょう?」とよく訊かれますがね、何を見てるの?。そういうイメージが有るのでしょう。ただ丸っきりの見当違いというものでもなく、東北や北海道の一部地域に、そう錯覚させるものは存在します。ただ、どこでも有るけどね。「阿波踊りのイベント」だけを見たら「徳島は民謡王国」だとなるでしょう。北海道の民謡尺八は小路流で持っていました。でも、もう衰退しました。今回の展示会で訊いた話でも、広い北海道の各地域に三々五々で有った少人数のグループで、このコロナを契機に解散したところは多い様です。コロナはキッカケであって原因ではありませんよ。原因は明瞭です。高齢化と新規参加者がいないこと。もっと根本の原因はソフトの不人気と仕組みの老朽化です。
これからワクチンが広く行き渡り、今年秋か遅くとも来年になると、再びサークル活動は活発化すると思います。でも、古典系邦楽への参加は有っても極く僅かでしょう。今までの尺八の世界とは全く違う様相を呈するはずです。ですから、私は今年の秋から展示会を連発します。新しい時代の新しい尺八需要を「早い者勝ち」で取り込むために・・・。
今の私の新規顧客名簿を見たら同業者は卒倒しますよ。その新たに名簿に加わった人数の多さはもとより、そのほとんどが流や社中の名簿に無い名前ですからね。この新しい時代が「尺八界の当たり前の状態」になるのは、早ければ5年、私はそう判断しています。20万円以上する尺八の需要は現在の時点で、もう終わっていますが、それというのも高額尺八を通用させてきた仕組みが崩壊したからです。15万円でさえも、これからの尺八の総需要は、今いる人のうち、ホンの4,5人の製管師を専業者として生活させられるくらいでしょう。
いつも言ってますけど、古典邦楽、「現代邦楽」、民謡はすでに終わりました。それを支えてきた「お稽古音楽」、言葉を変えれば流、社中が終焉したという事です。現代邦楽にカッコが付くのは、現在のオリジナル曲との混同を避ける為ですが、これは従来から「御稽古音楽」ではなく、サークル等で使われるケースが多かった。「現代オリジナル」もサークルや部活の使用が主ですが、個人的に楽しまれている場合も多いですね。
もう、こういうことは自分が面白いと思うことしかやりませんぜ。尺八もカラオケみたいに気楽に、遊び半分(全部でも一向に差支えないです)で始める人が多くならないと正常に発展しませんよ。「じゃあ、お前はこれまでの尺八界を奇形的だと言うんか?」、そんなわけ無いでしょう。「時代」ですよ「時代」。2百年前だったらチョンマゲで地歌、伴奏は三味線で「粋なもんだね」でしょうが。そんなもん御時世ですから、私や貴方の個人的嗜好とは、また別の話ですって。尺八で言うなら「楽しい尺八や上達の方法は御稽古教室には無い」と皆が知ってしまったんですわ。40年前でも大方の人は気ずいていましたよ。でも、当時は辞めるか我慢するかの選択肢以外は、まだあまり無かったですからね。それに「古典邦楽に関わっているという心理的満足感」も少しは有りましたな。
最近、デンマーク人の女性(尺八家、学者)から、過去の私の文章を使用させてほしいとの希望が有りましたが、その方が言うには「日本人の民謡に対する関心の薄さが残念だ」という意見が有りました。そりゃ「歓迎すべき事態」だとは誰も思いませんよ。でも仕方が無いですね。「良い悪い」じゃあないんですよ。40数年前にカラオケが出現した時から、今日の「民謡壊滅」は決まっていたんです。それに付け加えると「民謡ブーム」そのものが、民謡の音楽ソフトとしての優位性と云うより、社会構造の変化がもたらした現象ですからね。
私が初めて民謡の激減予測を雑誌に発表したのは、もう30年前です。当時は民謡は全盛の名残が有りまして、「全国2千万人の民謡ファン」と呼号するほど、まだ大変な人数を擁していました。その時点で、私の予測にハッキリ賛意を表明した人は、民謡評論家の佐藤清山さんだけでした。業者じゃないですからね、学者さんやプロ民謡家には無理ですよ、役割が違う。
「東北や北海道は民謡が盛んなのでしょう?」とよく訊かれますがね、何を見てるの?。そういうイメージが有るのでしょう。ただ丸っきりの見当違いというものでもなく、東北や北海道の一部地域に、そう錯覚させるものは存在します。ただ、どこでも有るけどね。「阿波踊りのイベント」だけを見たら「徳島は民謡王国」だとなるでしょう。北海道の民謡尺八は小路流で持っていました。でも、もう衰退しました。今回の展示会で訊いた話でも、広い北海道の各地域に三々五々で有った少人数のグループで、このコロナを契機に解散したところは多い様です。コロナはキッカケであって原因ではありませんよ。原因は明瞭です。高齢化と新規参加者がいないこと。もっと根本の原因はソフトの不人気と仕組みの老朽化です。
これからワクチンが広く行き渡り、今年秋か遅くとも来年になると、再びサークル活動は活発化すると思います。でも、古典系邦楽への参加は有っても極く僅かでしょう。今までの尺八の世界とは全く違う様相を呈するはずです。ですから、私は今年の秋から展示会を連発します。新しい時代の新しい尺八需要を「早い者勝ち」で取り込むために・・・。
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