音域拡大の②
- 2021/07/24
- 17:23



まず上の写真を御覧ください。手穴が大きく、歌口が深く、そして管尻が大きいですね。見えないだけで内径の傾斜も違うのですよ。そうです、「スーパータイプ」とか「ターボ」とか言われる尺八を、3Ⅾプリンターでまず製作しました。ただ上と下では歌口の深さが違います。原型は下なのです。そして吹きながら少しずつ深くしていきます。深くなり過ぎたら限界値を記録してボツ。3Ⅾって良いですね。同じモノが作れるので諸事にわたって数値化できます。この下(もともと)の歌口でもハ(琴古のヒ)の大甲は出ます。でも深くしてポイントを「探り紙」で変えていくと、おぼろげながら「大甲が楽に出る形」が見えだしました。
ここで少し大甲について御話ししますと、今は、「5孔尺八ではツの大甲が出ない」ことは広く知られています。1孔開けで大甲を出すと半音の7割程度高くなるのです。どうしてかを説明しましょう。
1尺8寸管の筒音はⅮですね。このⅮの中にはツ、すなわちFの倍音が存在しないのです。ですから、昔の尺八吹き達が「出るよ」と言っていたのはツの大甲(ツの4倍音)ではなく、実はロの5倍音なのです。Aを440ヘルツとしてツ(F)は349.2ですから大甲(4倍音)は1396.8です。こういう厳密数字は本当は意味が無いのですが、話を簡単にするためですのでコラえて下さい。ツの大甲は、1396.8となるべきですが、強大な筒音に引きずられてロ(292.7ヘルツ)の5倍音1463.5ヘルツになってしまいます。レの半音(レとツの「真ん中音程」として)の4倍音が1482.4ヘルツですから、高すぎます。逆説的に、私はこういうので内径を確認します。1孔開けの大甲が、この音程を示すと「筒音も出来ている」と安心します。
ともかくツの大甲はノンコントロールでは出ない。ですから、藤原道山さんが膝を持ち上げて菅尻の穴を塞いでいるのを見た人は多いでしょう、そうするか3孔のみ開けて菅尻を塞ぐかするのです。
レの大甲は1,2孔開けでも十分出ますが、さらに4穴を少し開けても良いでしょう。チの大甲もまた出にくい音です。4,3,1開け。または4のみ開け。この手は尺八によってはレの大甲。ハの半音(ヒの大メリ)は出やすい。1,3,5開けです。
要は「倍音探し」ですから、自分のやりやすい方法を採用すれば良いのですよ。「その手は手数目録に無い。ジャドウだ~」と言うゴリッパな方も大甲だと沈黙します。ですから御自身で、いろいろ試されることです。
ここまでは改造前のスーパーでも難なくクリアしています。その次の話は次回のブログで・・・。
前のブログでも書いたように、40年前の製管って、楽器の追求ではありませんでした。「尺八と云う楽器」または「工芸としての美」の追求が中心でしたね。誤解が無いようにコトワッテおきますが、それはそれで「日本の伝統文化」として立派なことです。概念としては日本刀の製作に近いかも知れません。「独立した文化の在り方の一つ」に他なりません。
でも、それがクラシックオタクと話すうちに、「固定の深化、高度化」ではなく、西洋の楽器職人の様に、楽器の可能性の追求とか新たな(または新たに起こるであろう)ソフトに対応可能な楽器の研究という事に興味がひかれ、いつしか尊敬する対象から製管の先輩達ははずれました。
時は、ようやくネプチューン、三塚、林雅寛が出てきた頃です。この3人の製管の概念を変える天才がいてさえも、流れの本格的変更には、なお20年以上の時が必要でした。きっかけは一瞬でも、「革命の定着」には長い前段階が必要だということですね。明治維新も辛亥革命もフランス革命もそうですもんね。この3人に有って前の製管師達に無かったモノ、「楽器の音響学的、物理的、流体力学的研究」です。
この3人と親しい友人でいられることは私の誇りです。
「尺八の改良なんて不必要だ。古典邦楽があれば他に何もいらない」と言う人が昔に遡るほど多くいました。本当にそう思っているのでしたら、それも「見上げた見識」です。こういう文化とか芸術に関する事は「本人がそう思うなら正しい」んですわ。自然科学と違って「正しい」は無数にありますもの・・・。言うまでもなく、人間って様々に条件は違っても、1人1人は「基本的に対等」です。だから、こういう「好みに類する価値観」は1人1人が正しいのと違いますかいな。脱線ですが、だから私は「他人の好きなモノを貶すヤカラ」が大嫌いなのですよ。
ですから改良とか変形もまた「正しい」のですよ。現在のピアノは88鍵盤ですが、3百年前の「バロック音楽」の時代にバッハが使用したハープシコード(チェンバロ=ピアノの前形)は49鍵。イタリアのクリストフォリが作った最初のピアノが54鍵です。「バロック」が終わりかけた18世紀後半でも鍵盤の数は61でした。
でも、だからって「バッハやビバルディは、まだ構造的に幼稚だ」とか言う人はいませんよね。でも逆に、「バッハやヘンデル、ビバルディがいれば、もうそれで良い」と思う人ばかりでもないから時代は進むのです。大甲は必要無い人には必要ないでしょう。無くても尺八音楽には何の支障も有りません。でも、オレは進む。楽器製作者の誇りにかけて。じゃねえよ、それよりも面白いもん・・・。
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