イジメとイジリ
- 2021/09/15
- 15:51
この前のオリンピック、驚きましたなぁ、ナンセ何十年も前のイジメ行為が問題化して、オリンピックの担当を外された人が相次ぎました。しかも、テレビでは連日にわたって、非難、侮蔑、人格否定など言葉による袋叩き。本当はこういうのをイジメって言うんじゃないの・・・。
法政大学三曲会の後輩に言われましたよ。「何十年も前の事が掘りかえされるのですから、先輩も気を付けて下さいよ」だと・・・。
そうか、オレも社会的名士だもんな。だけどよ、そう言っちゃ何だがね、高橋河童山(前名、照誠山)や内藤マツゾウ、野入の奥目の根性を叩き直して、ともかくも社会で通用する人間にしたのは、外ならぬアタシですぞ。見なされや、河童もマツも地道に勤め上げて、今では一部の心無い人達からは尊敬される立場、言わば田舎紳士と勘違いされる存在になりましたぜ。野入は一般社会で通用しないけど、これは発狂した為であり、私の教導が及ばなかったという事ではないんです。それでも虚無僧としての人生を小過だらけにしろ全うできたのですから、良しとしましょうや。
してみれば私達のはイジリですよ、傍からはどう見えようと、非難されることではない。それどころか表彰されても良いくらいだわ。
法政大学三曲会は、私達の代はヤンチャでしたが、上の代は女性は云うに及ばず男性も、信じられないほど優しい人達が揃いました。でも男の場合、人格者っていうのとは違いますよ。口の悪い事では私の代以上です。でも皆が、その異常なまでの優しさを知っているので、何を言われても気にしませんでしたわ。
イジメイジメって言うけど、傍から見てるのと違いますよ。それでなけりゃ、布団蒸しにされて「死ぬかと思った」と言う河童や、女子達の前で素っ裸にされて十字固めをかけられチンボをさらけだしたマツゾウ、あるいは大便をしているところを、巨体、怪力だけが取り柄の粟田(熊)に便所の戸を蹴破られて引きずり出されたT(本人の名誉の為に名は出しません。安心してね高井さん)、強姦をでっち上げられて人目もはばからず泣いた藤解、同じく強姦をでっち上げられて警察に出頭した出町etc、これらが卒業までクラブにいたわけがないでしょう。
「やられた方がイジメだと思ったらイジメ」なんですと。ナルホドそうも言えますな。で、貴方、本当にそう思う?。じゃ訊きますわ、これまで相手が不快だと思う行為をやらなかった?。まあいいでしょう。でも、テレビの方向に乗って本気かビジネスか知らないけど、実名の出た「イジメ加害者」を叩きまくる正義の味方達こそ、そう言う行為を散々してきたんと違う?。
イジメ問題は今では反対意見を言えないまでに社会の同調圧力が高まっています。キャンペーンが始まったのは1986年。切っ掛けは鹿川さんという中学生の自殺でした。これが「イジメ撲滅運動」に発展したのは、これは当時の文部省の都合が大きかったと思います。
幾つか考えられますよ、増大する待機教師に雇用の機会を与える為に30人学級を作りたい。教室で教師の権威を守りたい(帰国子女が増えて英語の教師がコケにされるのが一般化した時期)。「規律」という名の価値観を素直に受け入れる人間を作りたいetc..。当初こそ、こういう意見も聞かれましたがね、すぐに消されました。永六輔がテレビの生番組で、「イジメがいけないなんてのは間違っている」みたいな事を発言して、以後テレビで見なくなりました。
良いですよ、確かにイジメは良くない。でも、「撲滅キャンペーン」で無くなるの?。幸いうちの子供達はイジメられた事って無かったらしいですが、周りではショッチュウ聞きましたぜ。何しろ親までが集団で特定の親を無視してんですから、こりゃ子供が見習うわ・・・。
対処法は家庭ごとの価値観によって違うと思います。我が家の場合、子供の友達は誰であれ歓迎する。何しろタクシーの運転手に「ここ託児所をやってんですか?」とマジで訊かれたくらいです。そして、イジメられたら徹底的にやり返せ宣言。ケツはオレがふいてやる。病院まで教師に呼び出されての第一声、「それでどっちが勝ったんですか?」。たかが引っ掻き傷、教師がこれほど萎縮していて良いの?。
司馬遼太郎は「イジメは日本人の民族的痼疾」とまで言いました。確かに戦前の小説なんか読むとそうですな。私等の親達、軍隊経験者は、軍隊内に蔓延していた酷いイジメを皆が口をそろえて言ってましたわ。欧米や近隣諸国でもイジメは有るはずです。でも、かつての日本は特に酷かったのでしょう。江戸時代の身分固定が精神的に残っていて、上に対して反抗しないですもの。それどころか反論さえ許されません。これは終身雇用も大きな原因ですね。昔から科挙制度で相対的に身分移動が有った中国や韓国とは違います。現実には下層民が科挙に合格出来る可能性は低くとも、身分は流動的だという認識が根ずきました。ですから、あっちは普通に何回も職を替えますもの。欧米や東南アジア、イスラム圏は云うまでも有りません。黙っていないですよ。
結局、環境移動の自由度、反撃の容認、精神的な事大主義からの脱却、多様性の歓迎。これが根本的な問題なんじゃないですかね。これが無いと、いくら学校で禁止したって会社ではパワハラは有りますよ。私より皆さんの方が良く御存知でしょうが・・・。
生涯自由業の私から言わせれば、学校なんて転校できないなら、イザとなったら行かなくて良いんですって。会社はもう少し難しいけど、自殺するくらいなら辞めりゃ良いと思いますがね。ドロップアウトだって立派な権利です。強い会社って厳しいですよ、それは国を問いません。外からの非難圧力で、本来は会社の専権事項であるべき厳しさを緩め、それで競争力を失ったら本末転倒だと思いますが・・・。
尺八界って、私個人の経験ではイジメは有りません。だって人生における重要度が低いもの。気に入らなけりゃサッサと離脱しますわ。悪夢の様な法政大学三曲会だって、気心が知れて兄弟みたいな関係になって初めてイジリの対象になるんです。だから悔しくて大泣きしたヤツが卒業までいるんです。でも、このイジリすら尺八界では無いですね。構成員のほとんどが立派な社会人で、相互に侮辱やイジリの対象にならないからです。
私って、尺八吹き同士、さらに弟子が師匠にイジリを仕掛けるまでになったら良いと思ってるんです。礼儀は大切ですが、もうちょっと相互の距離が近い方が楽しくないですか。その方が結果的に社中を維持できると思いませんか。師匠と弟子、会員相互に冗談を叩き合う尺八界は、日本以外では普通だと思いますがね・・・。
法政大学三曲会の後輩に言われましたよ。「何十年も前の事が掘りかえされるのですから、先輩も気を付けて下さいよ」だと・・・。
そうか、オレも社会的名士だもんな。だけどよ、そう言っちゃ何だがね、高橋河童山(前名、照誠山)や内藤マツゾウ、野入の奥目の根性を叩き直して、ともかくも社会で通用する人間にしたのは、外ならぬアタシですぞ。見なされや、河童もマツも地道に勤め上げて、今では一部の心無い人達からは尊敬される立場、言わば田舎紳士と勘違いされる存在になりましたぜ。野入は一般社会で通用しないけど、これは発狂した為であり、私の教導が及ばなかったという事ではないんです。それでも虚無僧としての人生を小過だらけにしろ全うできたのですから、良しとしましょうや。
してみれば私達のはイジリですよ、傍からはどう見えようと、非難されることではない。それどころか表彰されても良いくらいだわ。
法政大学三曲会は、私達の代はヤンチャでしたが、上の代は女性は云うに及ばず男性も、信じられないほど優しい人達が揃いました。でも男の場合、人格者っていうのとは違いますよ。口の悪い事では私の代以上です。でも皆が、その異常なまでの優しさを知っているので、何を言われても気にしませんでしたわ。
イジメイジメって言うけど、傍から見てるのと違いますよ。それでなけりゃ、布団蒸しにされて「死ぬかと思った」と言う河童や、女子達の前で素っ裸にされて十字固めをかけられチンボをさらけだしたマツゾウ、あるいは大便をしているところを、巨体、怪力だけが取り柄の粟田(熊)に便所の戸を蹴破られて引きずり出されたT(本人の名誉の為に名は出しません。安心してね高井さん)、強姦をでっち上げられて人目もはばからず泣いた藤解、同じく強姦をでっち上げられて警察に出頭した出町etc、これらが卒業までクラブにいたわけがないでしょう。
「やられた方がイジメだと思ったらイジメ」なんですと。ナルホドそうも言えますな。で、貴方、本当にそう思う?。じゃ訊きますわ、これまで相手が不快だと思う行為をやらなかった?。まあいいでしょう。でも、テレビの方向に乗って本気かビジネスか知らないけど、実名の出た「イジメ加害者」を叩きまくる正義の味方達こそ、そう言う行為を散々してきたんと違う?。
イジメ問題は今では反対意見を言えないまでに社会の同調圧力が高まっています。キャンペーンが始まったのは1986年。切っ掛けは鹿川さんという中学生の自殺でした。これが「イジメ撲滅運動」に発展したのは、これは当時の文部省の都合が大きかったと思います。
幾つか考えられますよ、増大する待機教師に雇用の機会を与える為に30人学級を作りたい。教室で教師の権威を守りたい(帰国子女が増えて英語の教師がコケにされるのが一般化した時期)。「規律」という名の価値観を素直に受け入れる人間を作りたいetc..。当初こそ、こういう意見も聞かれましたがね、すぐに消されました。永六輔がテレビの生番組で、「イジメがいけないなんてのは間違っている」みたいな事を発言して、以後テレビで見なくなりました。
良いですよ、確かにイジメは良くない。でも、「撲滅キャンペーン」で無くなるの?。幸いうちの子供達はイジメられた事って無かったらしいですが、周りではショッチュウ聞きましたぜ。何しろ親までが集団で特定の親を無視してんですから、こりゃ子供が見習うわ・・・。
対処法は家庭ごとの価値観によって違うと思います。我が家の場合、子供の友達は誰であれ歓迎する。何しろタクシーの運転手に「ここ託児所をやってんですか?」とマジで訊かれたくらいです。そして、イジメられたら徹底的にやり返せ宣言。ケツはオレがふいてやる。病院まで教師に呼び出されての第一声、「それでどっちが勝ったんですか?」。たかが引っ掻き傷、教師がこれほど萎縮していて良いの?。
司馬遼太郎は「イジメは日本人の民族的痼疾」とまで言いました。確かに戦前の小説なんか読むとそうですな。私等の親達、軍隊経験者は、軍隊内に蔓延していた酷いイジメを皆が口をそろえて言ってましたわ。欧米や近隣諸国でもイジメは有るはずです。でも、かつての日本は特に酷かったのでしょう。江戸時代の身分固定が精神的に残っていて、上に対して反抗しないですもの。それどころか反論さえ許されません。これは終身雇用も大きな原因ですね。昔から科挙制度で相対的に身分移動が有った中国や韓国とは違います。現実には下層民が科挙に合格出来る可能性は低くとも、身分は流動的だという認識が根ずきました。ですから、あっちは普通に何回も職を替えますもの。欧米や東南アジア、イスラム圏は云うまでも有りません。黙っていないですよ。
結局、環境移動の自由度、反撃の容認、精神的な事大主義からの脱却、多様性の歓迎。これが根本的な問題なんじゃないですかね。これが無いと、いくら学校で禁止したって会社ではパワハラは有りますよ。私より皆さんの方が良く御存知でしょうが・・・。
生涯自由業の私から言わせれば、学校なんて転校できないなら、イザとなったら行かなくて良いんですって。会社はもう少し難しいけど、自殺するくらいなら辞めりゃ良いと思いますがね。ドロップアウトだって立派な権利です。強い会社って厳しいですよ、それは国を問いません。外からの非難圧力で、本来は会社の専権事項であるべき厳しさを緩め、それで競争力を失ったら本末転倒だと思いますが・・・。
尺八界って、私個人の経験ではイジメは有りません。だって人生における重要度が低いもの。気に入らなけりゃサッサと離脱しますわ。悪夢の様な法政大学三曲会だって、気心が知れて兄弟みたいな関係になって初めてイジリの対象になるんです。だから悔しくて大泣きしたヤツが卒業までいるんです。でも、このイジリすら尺八界では無いですね。構成員のほとんどが立派な社会人で、相互に侮辱やイジリの対象にならないからです。
私って、尺八吹き同士、さらに弟子が師匠にイジリを仕掛けるまでになったら良いと思ってるんです。礼儀は大切ですが、もうちょっと相互の距離が近い方が楽しくないですか。その方が結果的に社中を維持できると思いませんか。師匠と弟子、会員相互に冗談を叩き合う尺八界は、日本以外では普通だと思いますがね・・・。
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