特定民族なり、ある集団なりをイメージさせる象徴的なモノって有りますな。昭和40年代初め、私の高校の頃ですよ、「チョーセンジンと喧嘩する時は、チョーパン(頭突き)に気をつけな」と言われたものです。私は、たぶん中学高校での取っ組み合い回数で学校記録保持者だったと思いますが、それでも私をからかったヤツとだけです。だから他校の生徒と喧嘩したことは有りません。まして朝鮮高校生となんか接点も無かったです。
でも当時、川口に住んでいた吉田ネズミ男に言わせると、温厚な吉田は加わらなかったけど、朝鮮高校の生徒達との集団抗争は日常的に有ったそうです。その日本側の戦闘員には、ショーケンこと若き日の萩原健一もいたと言っています。「キューポラの街・川口」は映画でも酷い「朝鮮人イジメ」が描かれていますが、なるほど吉田ネズミはチョーセンジンイジメなんてウスラ見っとも無い事をやるヤツではありませんわ。昔も今も私がヤツを軽蔑してるのは顔だけです。
当時はコリアンの頭突きだけを特にチョーパンと言ってました。今は映画の影響でパッチギが一般的ですね。50年前だと、この韓国語は日本人プロレスラーしか使っていませんでした。「大木(金太郎=金一)さんのパチキが」という具合ですが、パッチギではなくパチキでしたね。大木の口真似に決まってますから、彼の生まれ育った全羅道の島では、そう言うのでしょう。
ところで本当にコリア民族が特に頭蓋骨が固いってことあるんでしょうか?。「チョーセンジン=頭突き」というイメージは戦前から有ったからこそ、韓国から密航してきた大木金太郎に、頭突きを決め技にする事を力道山が命じたのです。プロレスでコリアンと同様に頭突きをギミックにしているのが黒人です。これは最初の黒人レスラーと言われるジンミー・ミッチェルが頭突きを得意技にしていた為だと聞きました。黒人が特に頭蓋骨が丈夫だということは無いそうです。
1970年代まで日本人レスラーは田吾作スタイルで空手チョップ(力道山以前から)、ナチスを演じるドイツ人ギミックはタコ坊主でクロー(掴み)、イスラムギミックがベールを被ってキャメルクラッチ(駱駝固め)と相場が決まっていたものです。こういう民族を連想させるギミックで反感を煽っていました。日本人が実際の喧嘩で空手チョップを使わないことは、日本人なら誰でも知っています。オレは使ったけどね。だから勝率が良くなかったんだわ・・・。
西洋人の思い描く昔の日本人のイメージは、チョンマゲ、ハラキリ、サムライだとか言いましたね。もう40年も前ですが、アメリカに行った時に、「今でもニンジャっているのか?」と訊かれましたわ。今も忍者がいるかって・・・、フーム、アンタ相当知能が低いね、とは心の中で思っただけです。「いっぱいいるよ、今でも町をうろついてる」と答えました。だけど、コケにしたのは考えモノでしたな。だって、まだその頃は、日本の映画やテレビに満人服に辮髪で袖に手を突っ込んで挨拶する中国人出てましたもの。かく言う私だって、インド人はターバンで頭を巻いて、顎鬚を生やしていると思ってました・・・。
尺八って、これが日本人の場合、支配的イメージは問答無用で虚無僧です。「虚無僧って数からいって、それ以外の人で尺八を吹く人達より多かった時って、はたして有ったんだろうか?」、そう思うくらいですが、その印象の強さが尺八の支配的イメージを形成しました。
これが無くなる時期は何時くらいでしょうかね。今の40歳くらいの人だと、もう 時代劇は見る機会があまり無かったと思います。昭和30年代に時代劇の大ブームが有りました。何しろ、京都撮影所で尺八の「音入れ」をしていた若き日の河野玉水(2代)さんに言わせると「ショッチュウ。それも時には1日で東映と大映の仕事を掛け持ちしました」そうです。東映は昭和39年頃からヤクザ路線に舵を切り、大映は潰れまして、その後に作られた時代劇にも、細々と虚無僧は出てきます。でも、もうド派手でリアりティ無視というタイプの時代劇はオヨビでなくなっていましたから、虚無僧集団が見る人に強い印象を与えることも無くなりました。
ですから私は、尺八イコール虚無僧は、もう終わりかけている様に思うのです。でも、ポスト虚無僧が思いつきません。
一つの可能性としては『ゴースト・オブ・ツシマ』です。全世界で800万部売れ、今も売れ続けている大ヒット・ゲーム・ソフトですが、今度、チャド・スタエルスキ監督で実写版の映画になります。これが切っ掛けとなり、尺八の飛躍につながれば最高なんですがね。映画の影響力って凄いですよ、ナンセこれ一発でパッチギを普通に通じる言葉にしてしまいました。
「蒙古襲来」の時に今みたいな尺八が有ったはずがネエだろう、ですって。イイの、イイの、そういう事はオタクと学者にやらせときゃイイんですよ。
黒人やコリアンの頭蓋骨が実際は固くなくったって(でも大木金太郎の頭は外側はともかく内側の固さは半端じゃなかったぞ)、ターバンを巻いた髭ズラのインド人なんか実際には2パーセントにも満たないシーク教徒のイメージだって、それでアナタ、何か損をした?。命の下、プライドの上のお金を損しましたか?。
ともかく尺八と言って、何かすぐにパッとくるイメージって大切ですよ。それも虚無僧みたいに若い人とか女の子から「うわ~、カッコ悪い」って言われる様なんじゃなくて・・・。
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