ここの処、あまり韓国に行っていないので分かりませんが、頻繁に行っていた40年以前ですと、韓国の映画館に入ると本番上映の前に、必ず客は全員起立しました。そこへ国歌が映像と共に流れ、全員沈黙して見たものです。国歌の演奏と共に、その内容通り、北の雪岳山から東海、南の済州島まで、木槿の花(韓国の国花)が咲き乱れる美しい韓国の国土が次々と映し出されます。洗脳と言えば洗脳でしょうが、こういう事で愛国心とか郷土愛は形成されるものでしょうね。
韓国の国歌を歌える日本人て、今は、どう考えても百万人以下で、しかも多くは帰化した元在日コリアンでしょう。でも70年前だったら、ほぼ全員の日本人が、日本語でなら歌えました。だって、「暫定国歌」の代表が『蛍の光』でしたもの・・・。マアそれはそれとして、それでは日本人に一番知られている韓国の歌は?。絶対『アリラン』ですよね。では次は『釜山港へ帰れ』か『カスマプゲ』。大分下って『トラジ』か、古い人だと『黄色いシャツ(正しい題名は知りません)』とか言うかしら?。韓国語の習得に限らず、外国の歌を丸暗記で憶えるのって言語習得には凄く有効な方法ですね。楽しんで覚える、これが一番です。その証拠にイヤイヤ憶えた学校勉強って全部忘れたでしょう。ウルセイ、理屈を言うな。全部忘れた。でなきゃ尺八なんぞをやっていてオレのブログなんて見ているはずがネエよ。
最近、ネットフィリックスで韓国ドラマを見るのですが、字幕無しだと、もう分かりません。40年前だとテレビや映画は大丈夫でした。もう会話用語の使い方が違ってきているのです。でも、昔も韓国の友人の家でテレビを見ながら酒を飲んでいて、友人が急にテレビに注意を向けたので愕然としたことが有ります。それまで何も聞いていなかった。つまり「ナガラ」だと全く頭に入っていないのです。当時でも私の韓国語能力は、そんな程度だったわけです。
どんな技術にも段階が有って、外国語ですと、初歩の挨拶、生活会話(つまりハウマッチ?、ホワット イズ ディス?とか)から始まって、段々と芸域を上げて行くわけですな。その途中の何処であれ、身振りや記述で補って、それなりに会話出来る事は外国で生活した人には分かるはずです。よく言われる日本人の「外国語音痴」は実際では無く、「恥ずかしさとか戸惑い」が正味の処だと思います。「何の役にも立たない」と不当な相場を立てられている学校英語だって、いくらなんでも百や二百の単語は憶えているはずですし、立場を替えてみれば、そのくらいの日本語の単語を知っている外国人だったら日本人に「ユー スピーク ジャパニーズ べりーウエル」って褒められていまっせ・・・。
翻って尺八を見ますとね。臆面も無く「まだ始めて3年の駆出しです」と言う人が多くてメンクライます。それも謙遜では無く本当にそう思っているから始末が悪い。恥ずかしく思えよ。エッ、その技量じゃなく精神の有り方だよ。
大学クラブだと平均キャリア1年半で尺八師範のレベルに行くんです。ミーの様な天才だけでなく、誰でも2年になったら、どうしても新入生を教える必要が有りますからね。今、プロになっている大学クラブ出身の尺八家(つまり大半)は4年の時点で、当時のプロの水準に行ってました。
何を言いたいか?。つまり尺八修得のどの段階であれ、平気で演奏し、見識を披露し、初心者をコーチしなさいよ。会話だってドンドン使って慣れたヤツほど上達が速いでしょう。私達大学クラブ出身の者は、当り前に「キャリア数か月」で人に尺八を教えたんだもの。「恥ずかしいと思う気持ち」は、こういう事では美徳じゃないのよね。他人の技能未熟を嗤うヤツに大したヤツなんでいませんぜ。
「オマエはよく尺八師範の技量未熟をコケにしてるじゃねえか」ですって、だからホラ、「大したヤツはいない」って言ったでしょう。
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