私達の若い頃、日本人の音感はヒドイものでした。だって戦争を挟んだ前後20年間は、ロクな音楽環境に無かったですからね。特に男に音痴が多かったのは、「男は歌なんか唄うものじゃない」という、まあ一種の「軟弱排除」の歪んだ風潮も影響していたのでしょう。
私が大学に入った昭和44年は敗戦から24年経っていましたが、それでも幼年期の音楽環境は良くなっかったので、自分の事を棚に上げて言うのもナンですが、やはり音感は悪かったですね。何せ「ビートルズなんか聞いていると不良になる」と本気で言うオトナがいた時代です。それも教師とか社会評論家とか、言ってみれば、世の純情な人達に尊敬される立場の人に多かったと思います。
法政大学三曲会でも、私の関わった14年間で言うと、音感の良い人は一握りでした。1年先輩の木稲さん、村上さん、マアマア良いと言えるのが1年下の高橋(照誠山)、同じく4年下の小川、かなり良くて9年下の田中(恥山)です。このうちで小川以外は今でも尺八を続けていますから、やはり「好きこそモノの上手なれ」なんでしょうかね。でも、法政大学三曲会には絶対音感の所有者は1人もいませんでした。その前も後も聞いたことがありません。
20年以上前ですが、『絶対音感』という著書でベストセラーを達成した最湘葉月さん、その本に尺八家では中村明一さんが出てきますが、中村さんは「絶対音感を持っていない」とハッキリ言っています。「ダイタイからして尺八界に絶対音感所有者はいない」と10年くらい前に邦楽ジャーナルの田中さんも言っていました。
でも宮田耕八朗さんはどうなのでしょうか?。50年前の、まだチューナーが無い時代に、440ヘルツの既製音叉を宮田さんが442ピッタリに調整した音叉を邦楽界のプロ達が使っていたことを見ても、相当に優れた音感所有者だと思いますが、それが絶対音感なのかは分かりません。ダイイチ絶対音感所有と厳密な音程判別とは、また別の話ですから、絶対音感の持ち主が440ないし437の音叉を442とかに作り替えるのが得意とも思えません。
でも現在では絶対音感の持ち主は尺八界でも輩出しています。ユーチューブで驚異的な「大甲旋律の演奏」を披露した松村さん、同じく芸大卒の田嶋謙一さん、東北大ОBでアマチュア活動をしている豊岡雅士さん。これは私が知ってる範囲でして、実際はもっと多い事は確かなのだと思います。
若い人は音楽環境に恵まれていますからね。絶対音感の身に付く7歳までの幼児期からピアノとかバイオリンを習って、それで他の道へ進む人も多いのでしょうから、これから日本人の中にも絶対音感所有者が増える事は確実です。
私の若い頃、あるピアニストのファンクラブに入っていた事は前にも言いました。そこでも言われました。「尺八って大学から始めてもプロになれるんですか?」、あるいは「尺八のプロに絶対音感の所有者って本当にゼロなの?」って。言っておきますがカラカウとかバカにしてとか言うのではないですよ。皆すごく真面目で真摯です。ただ単に興味が有って訊いてくるのです。ですから、「ピアノとかバイオリンのプロの人だと絶対音感は当たり前ですよね。でも、持って生まれたモノが大きくモノを言う歌唱だと遅く始めたプロもいますし、吹奏楽器なんかでも絶対音感の無いプロが普通でしょう。」そう言うと「アアそうか」と納得してくれます。
絶対音感が有って得する事も勿論多いでしょう、でも民族音楽などの特異な音階とか移調旋律に戸惑うとか、かえって邪魔になる事も有るのだそうです。
私も初めは音程が分からなく困惑しました。でも、そのうちに同じ音(尺八の)とか旋律を何千回と聞くうちに慣れて、いわゆる「耳が出来る」という状態になり、簡単な調律や7孔調整だと、時にチューナー無しでやったりします。絶対音感自体が「幼児期に形成された音の記憶」だと言いますから、後天的に伸ばせる相対音感だって記憶なんです。何百回何千回も聞いた旋律や音高だと、少し外れると、何となくオカシイと感じる。これって考えてみたら芸術全般の鑑賞能力の形成と同じですわ。よく言うでしょう、「美術の鑑賞眼を養うにはホンモンを数多く見ることだ」って。
「審美眼が高まって損する事って有るのか?」ですって。そりゃ有りまっせ。若い頃、神楽坂で芸者遊びをしましてな。芸者衆の三味線で地歌を聞いていて、皆がツマラナソウにしていたので、女将に言われましたわ、「貴方達は若いから、まだ御分かりにならないのでしょう」。一同苦笑するしか有りません。まさか言えないわよねえ、「アンタたちの三味線が普通の師範レベルだから退屈なんだ」なんて・・・。大金を使って楽しめねえんじゃ尺八と同じでねえだか。
でも、やはり女将の言う事が正しかった。若いから分からなかった。そりゃ栗原小巻や松坂慶子は日本男性6千万の憧れの的でしたよ。当時、極く少数の変わり者が吉永小百合だ、松原智恵子だと言っていたに過ぎません。しかしですな、誰しも現実に熱を上げた娘は栗原小巻でも松坂慶子でもありません。それも「分をわきまえて」ではなく、その時は現実の存在感に目が眩んで、です。若かった私も同様。芸者衆が皆オバサンばかりだったので、現実を眩ませる「性欲の偉大な力」が働かなかったんですわ。事程左様に、人間の感性って、もっと自由度の高いモノなんです。
今日はチューナーが有りますから、眼さえ見えれば、誰だって「スーパー絶対音感所有者」です。でも、尺八吹きの7割は尺八愛好家であっても、まだ「音楽愛好家」と呼ぶには程遠いのが現状ですね。だって、管楽器コントロール、チューナーの使い方、5ヘルツ領域の意味、尺八音高における気温差、吹き手のクセ、技量差、これらが全然分かっていなくて(いないからこそ)言うんですもの。「この尺八は音が合っていない」って。外国人尺八家に同様の事を言われた事って皆無です。彼等はだいたいチューナーを使いませんが、日本の尺八吹きが彼のステージに行くのには後10年はかかると思います。言っときますけど、これマジでっせ・・・。
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