天皇誕生日
- 2022/02/23
- 10:12
今日2月23日は天皇誕生日ですな。私の子供の頃、世のオバちゃん達から「ナルちゃん」と愛称で呼ばれていた現天皇も62才。思えば年月の過ぎるのは速いものです。
私が子供だった頃は、日本国民の「天皇に対する反応」は、良いにせよ悪いにせよ、今よりズット強いものでした。4月29日の昭和天皇の誕生日には、きまって10軒に1軒くらいは門口に日章旗を掲げている家が有りましたし、そうかと思えば「天皇は戦争犯罪人だ。そんなモノがいるから日本は駄目なんだ」と息巻くオトナも多かった時代です。それが年毎に左右どちらも徐々に端から縮じまって、かつてでも多数派だった中央だった部分に収斂されていきました。もう「天皇は何より大切」と言う人も、「天皇を死刑にしろ」と言う人も一種の思想的狂人と思われる時代です。
私は若い頃、そう1980年くらいまで熱烈な天皇擁護派だったんです。だから学生時代は「右翼」と言われていました。何故に若い頃は天皇支持で、その後は「無関心派」になったのか?。1にも2にも共産主義の存在です。私の若い頃はヒダリの力が強く、今は落ちぶれ果てた社会党(現社民党)が自民党の半分くらいの議席を常に獲っていました。ですから日本でも、「共産主義の脅威」は現実に存在すると思われていました。「当時でも夢物語」だと言う事が明確になったのは、90年代半ばに社会党の村山政権になって、彼等も職業野党としての主張と、現実の政権運営当事者としての意見は全く違うとハッキリしてからです。
それまでは、日本人の生活を中世社会に戻しかねない共産主義にとって、「最大の防波堤が天皇」だと多くの人が考えていました。だって、日本を占領支配した、かのマッカーサーだって、天皇の潜在力にたじろいだんでっせ。もし天皇を廃位、まして絞首台に送ろうものなら、敗戦で脱力状態にある日本人も本気で発狂(本気でない発狂の有無は別として)する。「なんせ相手は精神年齢12歳の日本人だ。後先の事を考えずに本気で牙を剥いてきたら収拾のつかない大混乱になる」と思ったからこそ天皇存続を承認したわけですな。
1980年代になると、ヒダリは日々に信用を落として行きましたので、もう「共産主義への防波堤としての天皇」の必要性は薄れたわけです。そうなってみると天皇は「有名人の一人」でしかなくなったわけです。無関心にもなりまっさ・・・。
「お花やお茶やは家元制が健在なのに、どうして尺八だけが逸早く崩れたんだろうか?」と質問される事が有ります。そういう人の中には年配の方もおりまして、それがあたかも「不当である」かの様な感じで訊いて来る人もいます。「権威支配」が通用する方が正常なのか異常なのかは常識に任せるとして、茶道も花道も健在では有りません。でも、まだ立っています。
幾つかの要因は有りますが、一番目につくのは、邦楽の糸方の同じく、その構成する人の違いです。未成年も多いし女性が多い。「差別だ」と言いますかい?。それじゃ現実の話が進みませんよ。今の日本は、まだ成人男性の方が相対的に社会経験が豊富です。自身で汗水たらして稼いだ金を「権威」みたいな実体のないモノの為に使いますかいな?。
それに、あっちは規模がデカい。デカいから金も有るし人材も豊富です。大学まで持っている池坊や草月流の勢力維持の為の努力や、茶道でも戦後の裏千家の奮闘ぶりは「時代遅れ産業」の等しく見習わなければならない手本です。尺八界の様に「伝統」を口ひとつで売って落ちぶれた世界とは違いまっせ。
これまで人間世界に存在したモノの中で、その衰退の渦中にあっては、「こんな素晴しいモノが何故?」と言われて滅びたモノは、今残っているモノの何十倍も有ったに違いありません。「素晴らしい」から「最も優れている」から生き残るのでは有りません。環境の変化に合わせて変容を遂げたモノが生き残るのです。
それが大切だと思う人は、環境の変化に合わせる為の努力をすれば良いと思います。「天皇制度」だって変わろうとしてますし、尺八は、「抵抗勢力」など存在しないし、他との合意も必要も有りませんので、私の様に「食えなくなったら困る人達」が勝手に変わっていきました。
問題は、その変わった後の尺八界でも、なおかつ人から受け入れられるかどうか、です。
私が子供だった頃は、日本国民の「天皇に対する反応」は、良いにせよ悪いにせよ、今よりズット強いものでした。4月29日の昭和天皇の誕生日には、きまって10軒に1軒くらいは門口に日章旗を掲げている家が有りましたし、そうかと思えば「天皇は戦争犯罪人だ。そんなモノがいるから日本は駄目なんだ」と息巻くオトナも多かった時代です。それが年毎に左右どちらも徐々に端から縮じまって、かつてでも多数派だった中央だった部分に収斂されていきました。もう「天皇は何より大切」と言う人も、「天皇を死刑にしろ」と言う人も一種の思想的狂人と思われる時代です。
私は若い頃、そう1980年くらいまで熱烈な天皇擁護派だったんです。だから学生時代は「右翼」と言われていました。何故に若い頃は天皇支持で、その後は「無関心派」になったのか?。1にも2にも共産主義の存在です。私の若い頃はヒダリの力が強く、今は落ちぶれ果てた社会党(現社民党)が自民党の半分くらいの議席を常に獲っていました。ですから日本でも、「共産主義の脅威」は現実に存在すると思われていました。「当時でも夢物語」だと言う事が明確になったのは、90年代半ばに社会党の村山政権になって、彼等も職業野党としての主張と、現実の政権運営当事者としての意見は全く違うとハッキリしてからです。
それまでは、日本人の生活を中世社会に戻しかねない共産主義にとって、「最大の防波堤が天皇」だと多くの人が考えていました。だって、日本を占領支配した、かのマッカーサーだって、天皇の潜在力にたじろいだんでっせ。もし天皇を廃位、まして絞首台に送ろうものなら、敗戦で脱力状態にある日本人も本気で発狂(本気でない発狂の有無は別として)する。「なんせ相手は精神年齢12歳の日本人だ。後先の事を考えずに本気で牙を剥いてきたら収拾のつかない大混乱になる」と思ったからこそ天皇存続を承認したわけですな。
1980年代になると、ヒダリは日々に信用を落として行きましたので、もう「共産主義への防波堤としての天皇」の必要性は薄れたわけです。そうなってみると天皇は「有名人の一人」でしかなくなったわけです。無関心にもなりまっさ・・・。
「お花やお茶やは家元制が健在なのに、どうして尺八だけが逸早く崩れたんだろうか?」と質問される事が有ります。そういう人の中には年配の方もおりまして、それがあたかも「不当である」かの様な感じで訊いて来る人もいます。「権威支配」が通用する方が正常なのか異常なのかは常識に任せるとして、茶道も花道も健在では有りません。でも、まだ立っています。
幾つかの要因は有りますが、一番目につくのは、邦楽の糸方の同じく、その構成する人の違いです。未成年も多いし女性が多い。「差別だ」と言いますかい?。それじゃ現実の話が進みませんよ。今の日本は、まだ成人男性の方が相対的に社会経験が豊富です。自身で汗水たらして稼いだ金を「権威」みたいな実体のないモノの為に使いますかいな?。
それに、あっちは規模がデカい。デカいから金も有るし人材も豊富です。大学まで持っている池坊や草月流の勢力維持の為の努力や、茶道でも戦後の裏千家の奮闘ぶりは「時代遅れ産業」の等しく見習わなければならない手本です。尺八界の様に「伝統」を口ひとつで売って落ちぶれた世界とは違いまっせ。
これまで人間世界に存在したモノの中で、その衰退の渦中にあっては、「こんな素晴しいモノが何故?」と言われて滅びたモノは、今残っているモノの何十倍も有ったに違いありません。「素晴らしい」から「最も優れている」から生き残るのでは有りません。環境の変化に合わせて変容を遂げたモノが生き残るのです。
それが大切だと思う人は、環境の変化に合わせる為の努力をすれば良いと思います。「天皇制度」だって変わろうとしてますし、尺八は、「抵抗勢力」など存在しないし、他との合意も必要も有りませんので、私の様に「食えなくなったら困る人達」が勝手に変わっていきました。
問題は、その変わった後の尺八界でも、なおかつ人から受け入れられるかどうか、です。
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