冬の終わり
- 2022/03/01
- 14:05
2月末から急に暖かくなりました。快適な冬も終わりですね。これから徐々に気候が悪くなっていって、やがて日本国民全員が遍く苦しむ夏がやってきます。でも、この先まだ2ケ月は暑くはなく、冬の余恵を楽しもうと考える今日この頃です。
ロシアがウクライナに侵攻して1週間です。軍事侵攻の有無については、ロシア研究の専門家の間では、「無いだろう」の意見が多数でした。ロシア事情に詳しい人ほど、ロシアが被る打撃面が良く分かるからでしょうね。でも、結局侵攻しました。
私はロシアには40年前、ソ連時代に行ったきりで、その後は「行きたい」と思うけど、機会が有りませんでした。40年前に行った時は真冬で2週間旅行しました。偶然ですが、その旅の全行程で俳優の栗塚旭さんと一緒だったことは前に書きましたね。今でもたまにアルバムを引っ張り出して眺めます。
その時、ガイドに言われました、「今度は春に来てください。菜の花の盛り、キエフとかスズダリは美しいですよ」って。ソ連の構成国でも、ロシアと共にウクライナと白ロシア(ベラルーシ)は単独の国として国連に議席を持っていました。ロシアの側からの視線は「中の良い兄弟国」という感じでしたよ。私が30前後によく通った新宿のロシア料理店スンガリー(松花江)。歌手の加藤登紀子さんのお母さんが経営していましたが、店名が満州語なのは御愛嬌として、自慢の料理はボルシチ、キエフ風カツレツ。ここでもロシアとウクライナは仲良く同居していましたな。
世は「冷戦時代」でしたが、もう誰の目(オトナなら)にもソ連の行き詰まりは明確でした。専門家達が「ソ連経済はガタガタ。崩壊まで後20年くらい」と言い始めたのが、この時期です。でも予想より10年早く崩壊しました。
10年前の京都での尺八世界フェスティバルのおりにも、ロシア人とウクライナ人とが連れ立って来ていて、4日間私のブースに通って、1本ずつ尺八を買ってくれました。顔がそっくりなので、私達が「ガスパジン(ミスター)・プーチン」と仇名で呼んでいたウクライナ人は少し英語が話せて、ロシア人のほうは日本語も英語も全くダメ。仲良しのウクライナ人ミスター・プーチンに全ての面倒を見てもらっていました。今から思うと平和な良い時代でしたな。
その時も「この価格なら(所得の低い国の)自分達にも買える」と言われましたが、そりゃそうでしょうよ。個人所得ではロシアが日本の四分の一、ウクライナにいたっては十分の一以下です。日本の通常の尺八の価格では「欲しくても手が出ない」が本当の処です。事実その世界大会で売れた我社の尺八の購入者は全員外国人でした。中にはフランスや台湾などの高所得国の人見いましたが、彼等だって気持ちは同じです。。「これならイケる」と外国市場の獲得に本腰を入れ始めたのも、そういう経験が有ってです。4年前のロンドンでの世界大会は10社近い尺八屋が出品しましたが、私の所が他の全ての店の合計を遥かに上回る販売数だったのは当たり前。その前2回のヨーロッパ展示会の経験で分かっていました。
それはそれとして、私なんかが回想したって何にもなりませんが、また、ああいう時代が来るのでしょうか。今の世界は平和に向かっているのでしょうか?。それとも新たな「争乱の時代」に入りつつあるのですかね。
それでロシア旅行ですが、真冬だったので「今年は暖冬だ」と言っていたモスクワで最高気温マイナス7度、ハバロフスクでは人生で空前絶後の体験マイナス29度です。でも完全防備なので外に出ても寒くなかった。それどころかハバロフスクでは結婚カップルを見ましたが、新郎新婦ともに結婚衣装のままでコートも羽織らず、公園で記念写真を撮っていました。いくら短時間でも凍えないのですかね?。でも、余計な時間をとらせて、一緒に記念写真を撮ったオレもオレだよな・・・。
冬はどんなに寒くても、それに合った防寒具で耐えられる。現にシベリア鉄道の車窓から見た酷寒のシベリアでも、吹雪の中で人が歩いていました。兼好法師も書いているように、「夏さえ凌げれば冬は何とかなる」。
季節は順番に廻ってきますが、世の中はそうではない。尺八界は冬の時代と言われて久しいかったですが、ようやく春が来たかなと感じたのに、この2年のコロナで逆戻り、それも一気に酷寒になりました。でも、全ての枯れ葉が落ちて、はじめて若葉が芽を吹くわけです。そう言う意味では、急速に尺八界の体質が変わった、「このコロナ禍」の2年は大変貴重な時間でもありました。尺八界は去年の夏に「底を打った」ように思います。
尺八界の真冬の試練も備えていた人には「ナントカ過ごせた時間」でしたな。でも、もう冬は終わり。これから新しく生まれ変わった「尺八の春」を迎えます。「ホントかよ?」ですって、そう言う人は、何の準備もせずに冬を迎えた人。気の毒だけど、アンタのところには春は来ても、まだ寒いよ。
ロシアがウクライナに侵攻して1週間です。軍事侵攻の有無については、ロシア研究の専門家の間では、「無いだろう」の意見が多数でした。ロシア事情に詳しい人ほど、ロシアが被る打撃面が良く分かるからでしょうね。でも、結局侵攻しました。
私はロシアには40年前、ソ連時代に行ったきりで、その後は「行きたい」と思うけど、機会が有りませんでした。40年前に行った時は真冬で2週間旅行しました。偶然ですが、その旅の全行程で俳優の栗塚旭さんと一緒だったことは前に書きましたね。今でもたまにアルバムを引っ張り出して眺めます。
その時、ガイドに言われました、「今度は春に来てください。菜の花の盛り、キエフとかスズダリは美しいですよ」って。ソ連の構成国でも、ロシアと共にウクライナと白ロシア(ベラルーシ)は単独の国として国連に議席を持っていました。ロシアの側からの視線は「中の良い兄弟国」という感じでしたよ。私が30前後によく通った新宿のロシア料理店スンガリー(松花江)。歌手の加藤登紀子さんのお母さんが経営していましたが、店名が満州語なのは御愛嬌として、自慢の料理はボルシチ、キエフ風カツレツ。ここでもロシアとウクライナは仲良く同居していましたな。
世は「冷戦時代」でしたが、もう誰の目(オトナなら)にもソ連の行き詰まりは明確でした。専門家達が「ソ連経済はガタガタ。崩壊まで後20年くらい」と言い始めたのが、この時期です。でも予想より10年早く崩壊しました。
10年前の京都での尺八世界フェスティバルのおりにも、ロシア人とウクライナ人とが連れ立って来ていて、4日間私のブースに通って、1本ずつ尺八を買ってくれました。顔がそっくりなので、私達が「ガスパジン(ミスター)・プーチン」と仇名で呼んでいたウクライナ人は少し英語が話せて、ロシア人のほうは日本語も英語も全くダメ。仲良しのウクライナ人ミスター・プーチンに全ての面倒を見てもらっていました。今から思うと平和な良い時代でしたな。
その時も「この価格なら(所得の低い国の)自分達にも買える」と言われましたが、そりゃそうでしょうよ。個人所得ではロシアが日本の四分の一、ウクライナにいたっては十分の一以下です。日本の通常の尺八の価格では「欲しくても手が出ない」が本当の処です。事実その世界大会で売れた我社の尺八の購入者は全員外国人でした。中にはフランスや台湾などの高所得国の人見いましたが、彼等だって気持ちは同じです。。「これならイケる」と外国市場の獲得に本腰を入れ始めたのも、そういう経験が有ってです。4年前のロンドンでの世界大会は10社近い尺八屋が出品しましたが、私の所が他の全ての店の合計を遥かに上回る販売数だったのは当たり前。その前2回のヨーロッパ展示会の経験で分かっていました。
それはそれとして、私なんかが回想したって何にもなりませんが、また、ああいう時代が来るのでしょうか。今の世界は平和に向かっているのでしょうか?。それとも新たな「争乱の時代」に入りつつあるのですかね。
それでロシア旅行ですが、真冬だったので「今年は暖冬だ」と言っていたモスクワで最高気温マイナス7度、ハバロフスクでは人生で空前絶後の体験マイナス29度です。でも完全防備なので外に出ても寒くなかった。それどころかハバロフスクでは結婚カップルを見ましたが、新郎新婦ともに結婚衣装のままでコートも羽織らず、公園で記念写真を撮っていました。いくら短時間でも凍えないのですかね?。でも、余計な時間をとらせて、一緒に記念写真を撮ったオレもオレだよな・・・。
冬はどんなに寒くても、それに合った防寒具で耐えられる。現にシベリア鉄道の車窓から見た酷寒のシベリアでも、吹雪の中で人が歩いていました。兼好法師も書いているように、「夏さえ凌げれば冬は何とかなる」。
季節は順番に廻ってきますが、世の中はそうではない。尺八界は冬の時代と言われて久しいかったですが、ようやく春が来たかなと感じたのに、この2年のコロナで逆戻り、それも一気に酷寒になりました。でも、全ての枯れ葉が落ちて、はじめて若葉が芽を吹くわけです。そう言う意味では、急速に尺八界の体質が変わった、「このコロナ禍」の2年は大変貴重な時間でもありました。尺八界は去年の夏に「底を打った」ように思います。
尺八界の真冬の試練も備えていた人には「ナントカ過ごせた時間」でしたな。でも、もう冬は終わり。これから新しく生まれ変わった「尺八の春」を迎えます。「ホントかよ?」ですって、そう言う人は、何の準備もせずに冬を迎えた人。気の毒だけど、アンタのところには春は来ても、まだ寒いよ。
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