脇道

私は大学を出て社会人になっても、しばらくは本当の意味では社会に出ていませんでした。父親の経営する工場で、大学時代の同僚で箏を弾いていた山本とコンビを組んで、サクションという作業をやっていたんです。何の為？、アメリカにプロレスの勉強に行く為の金が欲しかったんです。サクションというのは、簡単にいうと身動き困難な狭い金属の筒の中でピン打ちをする作業で、誰も恐れてやらないので給与が良かったんです。大学出の初任給が1月5～6万円の時代に3倍の手取りでした。だから後で、やはり同期の吉田も入ってきたのです。
こういう傍から見て「過酷」と思われる作業は、生活に一応の安定をみた高度成長の後期には、すでに誰もやりたがりませんでした。当時だと、危険作業のドカタ、サラ金の取り立て、マグロ船などビックリするほど報酬の高い仕事は幾らでも有りました。当時はダム建設とかの危険と隣合わせの工事には、予算の項目に「人損」が本当に存在したんです。つまり、「この工事では何人死ぬだろう、あるいは何人のカタワ者が出る。その為には幾らかかる」という予想準備金です。これを「ヒトの命の損失数を推定して金銭に換算する非人道的処置」ととるか、「発展の為のエネルギーに満ちた、たくましい意思」と採るかは、人によって違うと思います。でも、今は「人損」の項目は無いですが、昔に比べて格段に安全になったとは言え、今も作業中の事故が無くなったわけではないですから、「人損予算」は、きっと何かの項目に分からない様に紛れ込んでいるのだと思います。諸事、綺麗ごとで済ましている時代ですもの・・・。
でも誰もが死ぬわけでは無い。怖がる人が多いほど、「大したことネエ」と思う人が恵まれます。

サクションは「何かの目的の為の資金造り」と思うからやれるのであって、いくら若い時だって、「この生活が5年10年続く」と思ったら、そりゃやってられませんわ。でも吉田で1年半、山本では4年も続きましたぞ。私達の後は後輩の若松がやりましたが、根性無しの若松でも続いたくらいですから、慣れれば、それなりにナントカナルんですって。そう、カネさえよ良ければ・・・。
一つの注目点は、父親の会社で長年、サクション工をやっていた人達がいましたが、あまりマトモナ終わり方をしていないんですよね。なまじ普通の工員より高い収入が有るだけに、博打、酒、女、そう言う事に身を持ち崩した人が多かったです。しかも、こういう特殊作業は年齢と共に給与が上がるわけではありません。それに40過ぎると所謂「潰しが効かない」という状態になります。お決まりはサラ金に手を出して夜逃げでしたな。

尺八のプロを自称する若い人、分かっているとは思うけど、４０才も５０才も必ず来る。親が生きているうちは何とかなっても、その後でも人生は続きます。その時どうすんのよ？。
こんな事、プロ師匠も音楽大学の教授も言わなかったでしょう。当り前です。彼等は経緯はともかく、結果として「食えちゃった人達」なんです。「世間知らず」だった20才までとは違って、もう芸大で教える立場になった人の「そうなれた道筋」もオボロゲには見えていると思いますし、また一応は成功者と言える「プロとして一線に立っている尺八家」の平均年収にも見当がついていると思います。ですからハッキリ言います。若い時から脇道を探した方が良い。貴方達の大半は音楽の天才ではない。「下手な人の多かった尺八界の中で、周りより上手かっただけの人」なんですよ。それで、尺八界の実態を良く知らないまま、言い様によっては「もう後戻りが出来ない道」に踏み出したんです。

「じゃあ脇道っ何だよ？」、もっともな質問です。その前に、プロ達に訊くと「昔ならともかく、尺八プロの技術が今みたいに高度化すると、他に時間を取られる仕事を持ちながらでは無理ではないでしょうか」と口を揃えて言います。私も同感です。ですけどね、広い音楽畑では「大したこと無い」と評価される人達が、ホントの事を知らないまま尺八界に入ってきて、「40近くなって、ただ茫然としている」というのが本当の処でしょう。芸大でも他の学部からは「盲腸」と呼ばれる邦楽の、その中でも明らかに訓練精度の低い人達の多い尺八で、「もう始めちゃった」んです。「芸大の尺八科を出たって潰しがきかないし、音楽教員の口なんて無いよ」なんて一般論を言うつもりは有りません。
ですから、もし私が同じ立場だったら、どうするか？、を話します。中国や欧米とか外国人尺八プロがどうやって生活を立てているかが参考になります。複数の楽器を教えるんです。才能の乏しい日本の尺八家の場合は、まず笛系楽器でしょうね。それと、極く少ないであろうと予想出来る弟子の尺八は自分で作るんです。尺八の外形細工は非常に難しい。若い時に長期の集中した作業を経験しない人には真山、容山レベルの細工は絶対に出来ないと思います。また竹材の入手も困難です。でも、仮にもセミプロレベルの吹奏力が有れば、尺八の楽器調整は出来ます。ですから、オークションやメルカリで中古楽器を1万円以内で落として、自分で調整するのですよ。外形は御粗末でも、鳴りや音程が良ければ、顧客を自分の弟子と特定するなら10万円で売れるでしょう。どうです、これで年間50万円の収入アップは可能だと思いませんかな。今では「尺八プロ」と言う人の8割が年収２０0万円以下でしょうね、ならメデタク25パーセントもアップです。複数楽器の教習,、楽器改作と合わせれば、何とか独立家計が可能な年収3百万円に手が届きませんかな。

サクションは金に成った。どうしてか？、人が勝手に「大変だ」と思うからです。でも本当に大変な作業だったら大学出たての素人が出来るはずが無いでしょう。尺八界も外部から見ている限りでは分からない所も多いですが、肝心なのは簡単な部分を見つけ、そこを分離する事だと思うのです。こういう未熟な産業構造を持つ業界は、その気で探せば、「エッ、まさか」と思う甘い部分が見つかります。
「食える食えないは自己責任」では済まないのは、高校生までの貴方達に尺八界の実情を示すスベが無かったからです。ですから、せめても何らかの手段を提示できたらと思うわけです。