1969年の1月です。横浜のスカイホールで国際プロレスの興行が有りましてな、控室前の通路にフランス人レスラーのロベルト・ガステルというのが立って試合を見ていました。するとドカタが傍によって来て、「エイユウ、エイユウ」と何度も小声で呟くじゃないですか、
私は、こりゃマズイと思いましたよ。案の定、初めは無視していたガステルも、あまりのしつこさに、とうとうキレました。ドカタを突き飛ばすと何かフランス語でまくしたてました。私は、もうその時分はプロレスラーに対する恐怖心が全く無くなっていましたので、すぐ止めに入りました。本来彼らは男子高校生の1割以下の暴力性しか持っていないですからね。
双方に誤解が有ったんです。ドカタはガステルを大人気のビル・ロビンソンと間違えて、褒めるつもりで「英雄、英雄」と言ったのです。一方のガステルにしたら、身なりの粗末な、いかにも知能の低そうな男がすり寄って来て、「ヘイ、ユウ。ヘイ、ユウ」としつこく挑発してきたと思ったのです。ガステルはロビンソンと似ていなくもないですが、全然違いますよ、これが逆でなくて良かった。短気なロビンソンだったら、「よりによってオレをガステル、あんなブオトコと間違えやがって」とドカタはもとより、止めにはいった私までもがキツいシメシを付けさせられていましたよ。
「英雄」ってもう死語ですよね、どの位前からでしょうかね。その前にはたして、日本に英雄と呼べる人っていたんですかね。私が小学生だったころは、まだ学校で「英雄って誰だと思うか?」と教師が質問する事がありました。あまり知識の無い小学生ですから、ほとんどの者がナポレオンの名を挙げていました。あと成吉思汗、ワシントン、リンカーンの名が出たくらいで、日本人は誰もいなかったように思います。今日本人で、しいて英雄と言うと大河ドラマの主人公になってる人達、それにプラスして東郷平八郎くらいが挙がりますかね。
日本は島国ですから行動の範囲が小さく、広域にわたって諸外国を巻き込んだ活躍なんて無理ですし、それまでの世界の既存体制を、一部にしろ変える様な働きも出来ませんや。それに地理的に非常に恵まれていた日本は、これまで国難と言える程の外国からの侵略にも遭わないですみました。この前の敗戦だって、日本民族が大量に虐殺されたとか、強制的に移住させられたとかではないでしょう。だから「救国の英雄」なんて持たないで済んだのは、言い方を変えれば、それだけ平和だったんだと思いませんですか?。
でも、その代わり、誰か外国人に質問してみなさいな、「日本の歴史上の人物で誰か知ってるか?」って。それでも韓国人くらいですかね、かりにも豊臣秀吉、伊藤博文の名を挙げるのは。それ以外の国の人だと、中国を含めて、ほとんどの国の人が誰も知らないと思います。日本て経済大国だと言う事は広く知られています。でも地図上で日本の位置を確定出来る人達がいるのはコリアンとチャイニーズ、ともかくシンガポール以東が限界でしょう。
でもプロレスレベルの狭い世界で、ガステルと間違えられたロビンソン程度の「英雄」であれば、日本の邦楽界にはいないけど、これから努力すれば尺八ではなれそうに思うんです。横山勝也が、もし65才で半身不随にならなかったら、ロビンソンクラスの英雄ですが、なったと思います。文化的には知られていない日本、その中でも知られていない尺八を、それでも僅かでも世界に広めたのは、この人の功績です。柔道も寿司もラーメンも、ほんの70年前までは外国人は誰も知らなかったのです。どんなものにしろ、その初めの普及活動は誰かがやらなくてはなりませんね。
現在、KSK(国際研修館)をはじめとする横山系に属する人達の影響力は、こと外国の尺八界では圧倒的です。惜しむらくは、尺八の最大マーケットである中国大陸でのKSKの活動が、本格化する前にコロナの為に止まってしまった事です。そして、「さあ、これからまた」と思ったのに中国での世界大会が期限なしの延期でしょう、これは痛いですね。KSKも主力メンバーは、若くても柿堺の64、皆年をとってしまいました。この何年かのロスは決定的です。
今の尺八界のプロは、かつてとは比較にならないくらい技術的に進歩しました。でも、自分を中心として、大きく周りを動かす質量をもったスケールの大きい人はいません。かつての横山勝也はそうでしたし、強引さが表面に出ましたが青木鈴慕もそうでしたよ。事を成すために、イザとなると人の思惑なんて無視、「損得を算盤に乗せない」ところが有りました。「自分の生活費用の工面に追われなかったからだろう」ですと、とんでもない。こういった人の収入はヒトが思うほどではないです。「尺八家として、生存と同じくらい大切なものが有る」、そういう信念が有りました。
そういう人は、もう出てこないのですかね。今みたいに、尺八の希望が次から次と潰れていくと、皆が「多くは望まない。好きな尺八で生活できれば、それで良い」の気持ちになりかねませんや。それが悪いとは言いませんよ。だけど皆がそうだったら、実にツマラナイ世界になりますね。私も老齢を理由に安全志向になりがちです。「英雄待望」を期待しがちな自分に、あらためて鞭をいれなくては・・・。
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