アイドルを探せ
- 2022/04/18
- 10:18
「アイドルを探せ」ったってシルヴィ・バルタンの話じゃねえぜ。1969年、大学1年の冬です。同期の粟田が私に言いました。「おい大橋、知ってるか、Ⅿ(1年上)さんてTHさんに夢中だぜ。ラブレターを出そうかなとまで言ってるぞ」。言われるまでも無く、もう男は皆が知ってましたよ。狭い部室の中、そこへ20歳前後の、言ってみれば人生で一番性欲が旺盛な時期の男女が一緒にいるのですからね、そりゃそうなりますて。
でも、私が過ごした4年間で言うと、まだ気持ちを隠すケースが多かったですね。アイドル並みに可愛いいTHさんには、他にも劣情を抱いている男子がいましたが、誰も行動には出ません。まだそういう時代でしたよ。
時代相が変わったのは、その4,5年後からです。一時期は50人弱の法政大学三曲会内で10くらいのカップルが有りましたからね。カップル外の男からは「こいつらジュウシマツ(小鳥)と同じだ。一つの箱に入れときゃあ全部がツガイになる」と言われていました。
それはおいといて、まだ大学全体でもカップルは珍しかった時代ですから、すぐに悪戯の虫が騒ぎ立てました。「オイ粟田。ラブレターを出すようにⅯさんを焚き付けろ。それで粟田、お前が渡す役をやるんだ。ラブレターの返事の方はオレが引き受けた」。「偽の返事を書くのか、そりゃ面白れえ。だけどTHさんにオレが渡すのか。受け取るかな?」。「変な心配すんな。どうせ本人には渡さねえんだからよ」、もし本人に渡したとしても受け取りましたよ。何故ならば私の知る限りでは、当時、THさんが好きだったのは1年下の粟田その人だったからです。不節制と大酒で後年見苦しく太った粟田も、その頃は身長180センチ体重70キロの好青年でした。ちょっと信じられないのですが、粟田の故郷の旭川で高校時代に後輩で、偶然同じ法政大学三曲会に入ってきた服部に言わせると、陰で女の子がキャーキャー言ってたそうです。
日頃言い合いはしていても、遊びと悪戯はツーカーの我々ですから、ヤッコサンは、もう乗り気です。「けどトンデモナイ結末にならないかな?。ロミオとジュリエットみたいに」、ヤツ本来の弱気の虫が顔を出します。メンドクサイけど説得しました。「粟田よ、ジュリエットってまだ13歳だったんだ。これはオトナのⅯさんの場合だぞ、そんなヒドイ事にはならないよ」。「なんだ、ジュリエットって13歳なのか。それじゃロミオは変態じゃねえか」、「そうだよ変態だよ。お前と同じだよ」。「どうもお前は、すぐ喧嘩になるような言い方をするな。まあいいや。面白え、やろうぜ」。
結末?。事前にⅯさんの知る所となり、逃げ遅れた私は、今思い出しても、ウッ、貰い泣きする壮絶なシメシを付けられました。
因果は巡るとは、この事でしょうかね。4年後、私は世界的歌姫・山口百恵に後輩を動員して多量のファンレターを出しました。そしたら返事が来たんですよ、御本人から、それも直筆のハガキ。流石に20通も出せば誠意は伝わるってものです。でも、喜びは長く続きませんでした。。密告してくれた後輩がいるんです。で結末は?。見苦しく責任を擦り付け合う後輩2人、まとめて一生夢でうなされるシメシをつけましたとも。
何が許せないって、こういう人の心を弄ぶ非人道的な悪戯ほどタチの悪いものは有りませんや。しっかり反省しろ、坂本、服部・・・。
若い時期、男姓でも女性でもアイドルって持っていましたよね。タレントばかりではなく、身近な現実の人間にです。思い返しても、その頃は心が瑞々しかったと思いませんですか。それが、ある年齢からはいなくなります。分かる、私みたいに70過ぎて乃木坂やAKBに熱を上げていると、人からはバカにされる。でも他人がどう思おうと関係無いじゃありませんか。だって、白い目で見る人なんて、別に確固たる人生観に基ずいての行為ではないのですから。単に無難な価値観を惰性で受け入れているだけですよ。だいいち他人に迷惑をかけてもいないし、アイドルとかがいた方が楽しいじゃないですか。
思うのですよ。芸術産業に身を置くって、この年齢に関係無くアイドルにキャーキャー、これが無くなったらダメだって。家元の御曹司を別にして、生活の為に尺八演奏家を職業に選んだ人間て原理的に存在しないですわな。昔はいざ知らず、製管師だって1970年代後半以後にはいないですよ。「やりたくてやりたくて、周りの意見なんか無視」で始めた人が全員です。でも、そのうちに惰性あるいは単なる生活手段になっっちゃう人が多いんですよね。
ここで時代は、もうそういう人の生存を許さなくなってしまいました。尺八にワクワク感を持てないプロは、新しい時代に対応出来る商品や演奏を市場に提供出来ない。
「初心に戻れ」とか言うんとチャイまっせ。もう数十年やって来て他人は大家(ミーの場合は本当の超大家だけどね)という目で見ます。それに初めの頃と違って、尺八界が寸法通りで見えていますわ。若い頃、天使と見えた女の子が、やがて冷静になって見ると「普通の子」だったと分かるように、尺八も、もはや単純な崇拝の対象にはなりにくい。
ヨーロッパの騎士達は、皆が心に秘めたアイドルを持っていました。心の支えとして無理にでも作ったのです。本の読み過ぎで気が狂ったドン・キホーテにとっては、単なる田舎娘も貴婦人ドルシネヤ。シラノドベルジュラックは愛するロクサーヌの為に荒唐無稽な数々のアイデアを出しました。ですから意思の力でアイドルの様なものを尺八の中に見つける。これだけでも違いますぜ。かのニーチェが言ってるでしょう。「人は、その職業が他のどんな職業よりも重要だと思わないかぎり、その職業を続けることは出来ない」って。大切なのは「客観的にどうか」ではありませんよ。
でも、私が過ごした4年間で言うと、まだ気持ちを隠すケースが多かったですね。アイドル並みに可愛いいTHさんには、他にも劣情を抱いている男子がいましたが、誰も行動には出ません。まだそういう時代でしたよ。
時代相が変わったのは、その4,5年後からです。一時期は50人弱の法政大学三曲会内で10くらいのカップルが有りましたからね。カップル外の男からは「こいつらジュウシマツ(小鳥)と同じだ。一つの箱に入れときゃあ全部がツガイになる」と言われていました。
それはおいといて、まだ大学全体でもカップルは珍しかった時代ですから、すぐに悪戯の虫が騒ぎ立てました。「オイ粟田。ラブレターを出すようにⅯさんを焚き付けろ。それで粟田、お前が渡す役をやるんだ。ラブレターの返事の方はオレが引き受けた」。「偽の返事を書くのか、そりゃ面白れえ。だけどTHさんにオレが渡すのか。受け取るかな?」。「変な心配すんな。どうせ本人には渡さねえんだからよ」、もし本人に渡したとしても受け取りましたよ。何故ならば私の知る限りでは、当時、THさんが好きだったのは1年下の粟田その人だったからです。不節制と大酒で後年見苦しく太った粟田も、その頃は身長180センチ体重70キロの好青年でした。ちょっと信じられないのですが、粟田の故郷の旭川で高校時代に後輩で、偶然同じ法政大学三曲会に入ってきた服部に言わせると、陰で女の子がキャーキャー言ってたそうです。
日頃言い合いはしていても、遊びと悪戯はツーカーの我々ですから、ヤッコサンは、もう乗り気です。「けどトンデモナイ結末にならないかな?。ロミオとジュリエットみたいに」、ヤツ本来の弱気の虫が顔を出します。メンドクサイけど説得しました。「粟田よ、ジュリエットってまだ13歳だったんだ。これはオトナのⅯさんの場合だぞ、そんなヒドイ事にはならないよ」。「なんだ、ジュリエットって13歳なのか。それじゃロミオは変態じゃねえか」、「そうだよ変態だよ。お前と同じだよ」。「どうもお前は、すぐ喧嘩になるような言い方をするな。まあいいや。面白え、やろうぜ」。
結末?。事前にⅯさんの知る所となり、逃げ遅れた私は、今思い出しても、ウッ、貰い泣きする壮絶なシメシを付けられました。
因果は巡るとは、この事でしょうかね。4年後、私は世界的歌姫・山口百恵に後輩を動員して多量のファンレターを出しました。そしたら返事が来たんですよ、御本人から、それも直筆のハガキ。流石に20通も出せば誠意は伝わるってものです。でも、喜びは長く続きませんでした。。密告してくれた後輩がいるんです。で結末は?。見苦しく責任を擦り付け合う後輩2人、まとめて一生夢でうなされるシメシをつけましたとも。
何が許せないって、こういう人の心を弄ぶ非人道的な悪戯ほどタチの悪いものは有りませんや。しっかり反省しろ、坂本、服部・・・。
若い時期、男姓でも女性でもアイドルって持っていましたよね。タレントばかりではなく、身近な現実の人間にです。思い返しても、その頃は心が瑞々しかったと思いませんですか。それが、ある年齢からはいなくなります。分かる、私みたいに70過ぎて乃木坂やAKBに熱を上げていると、人からはバカにされる。でも他人がどう思おうと関係無いじゃありませんか。だって、白い目で見る人なんて、別に確固たる人生観に基ずいての行為ではないのですから。単に無難な価値観を惰性で受け入れているだけですよ。だいいち他人に迷惑をかけてもいないし、アイドルとかがいた方が楽しいじゃないですか。
思うのですよ。芸術産業に身を置くって、この年齢に関係無くアイドルにキャーキャー、これが無くなったらダメだって。家元の御曹司を別にして、生活の為に尺八演奏家を職業に選んだ人間て原理的に存在しないですわな。昔はいざ知らず、製管師だって1970年代後半以後にはいないですよ。「やりたくてやりたくて、周りの意見なんか無視」で始めた人が全員です。でも、そのうちに惰性あるいは単なる生活手段になっっちゃう人が多いんですよね。
ここで時代は、もうそういう人の生存を許さなくなってしまいました。尺八にワクワク感を持てないプロは、新しい時代に対応出来る商品や演奏を市場に提供出来ない。
「初心に戻れ」とか言うんとチャイまっせ。もう数十年やって来て他人は大家(ミーの場合は本当の超大家だけどね)という目で見ます。それに初めの頃と違って、尺八界が寸法通りで見えていますわ。若い頃、天使と見えた女の子が、やがて冷静になって見ると「普通の子」だったと分かるように、尺八も、もはや単純な崇拝の対象にはなりにくい。
ヨーロッパの騎士達は、皆が心に秘めたアイドルを持っていました。心の支えとして無理にでも作ったのです。本の読み過ぎで気が狂ったドン・キホーテにとっては、単なる田舎娘も貴婦人ドルシネヤ。シラノドベルジュラックは愛するロクサーヌの為に荒唐無稽な数々のアイデアを出しました。ですから意思の力でアイドルの様なものを尺八の中に見つける。これだけでも違いますぜ。かのニーチェが言ってるでしょう。「人は、その職業が他のどんな職業よりも重要だと思わないかぎり、その職業を続けることは出来ない」って。大切なのは「客観的にどうか」ではありませんよ。
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