私達、大学の邦楽部で尺八を吹いていた者も、やがて卒業します。でも、4,5人に1人くらいは、しばらくは尺八を続けますね。すると自然の流れで周りからお誘いの手が伸びますので、その地区の三曲協会なんかに入るわけです。入ると言うよりは誘われて顔を出す、そういう感じですかね。そうしないと合奏が出来ないし、演奏の機会も欲しいですからね。
そこで仰天するほどのカルチャーショックを受けます。そして気がつくという分けです。「大学邦楽クラブって凄く恵まれた環境に在ったんだ」って。そして「俺って大学尺八のレベルでは大した事無いって思ってたけど、広い一般の尺八界じゃスゴイ方だったんだ」。ついでに言うと、「皆はこんなに下手だったんだ」。だって『楫枕』の手事で正確に手が動いたり、五線譜を読めたくらいで、そう驚嘆されても挨拶に困るんだよな・・・。
最初のうちは気持ち良いですよ。周りから「ウマい、大したもんだ」って言われてチヤホヤされますからね。でも、そのうちにカルチャーショックの第二波が来ます。地区を取り仕切る所謂「ボス尺八吹き達」の「冗談かよ」と思うほどの技術未熟と音楽的認識の欠如。それでいてメンツを守る為には、自分免許の尺八観を持ち出して、相手を叱ることも辞さない厚かましさ。こういった経験を誰しもがして、それで大学邦楽出身者の多くは地区の三曲会を離れます。これ、過去の話とチャイまんねん。昔よりダイブ減ったとはいえ、今でも聞く話です。相対的にマトモな糸方の人達が嘆くのも分かりますわ・・・。
以下は「それでどうして『やりきれなさと切ないほどの愛しさ』を感じるのか?」という疑問に対する答えです。
20代前半の私は素人の尺八吹きでしたから、「こいつら本物のバカだぜ」で切り捨てられました。大学尺八部出身の皆さん、アンタ達も同じだったでしょう。そう言う人達に対して恩も恨みも無かったですからね。簡単に関係を切れました。
だけど、私が専業尺八家になった時は、もう30でしたよ。そうなってみると、もうオトナや社会を若い時みたいに一面的には見ませんや。それに「分からず屋とは付き合わない」で済ましていたらプロは務まりません。そうなってみると若い時は見えていなかった、素人尺八吹きの別の面も見えてきます。
素人尺八吹きってものを最大公約数的に言うと、こうですね。
① 社会人として立派に仕事してきた人。少なくとも若造だった私よりは数段上の社会経験を持っている。
② 穏やかで親切な人が多い。
③ あまり他人を疑わないオヒトヨシ。尺八界の諸事に渡る変な部分も受け入れている。
④ 音楽的な素養が低い。他の芸術分野でプロをやっている人もいますから、「尺八に関しては」と限定します。
⑤ 尺八に対して自信を持っていない。だから音楽観や尺八の技術、知識を否定されメンツを潰されると怒る。
⑥ 楽器奏者としては、他の楽器ジャンルでは類を見ないほど下手
でも尺八音楽ではなくて、尺八そのものに対しては「好きで好きで仕方が無い」というタイプの人が多いんですよね。ですから、例えは悪いかも知れませんが、「寅さん映画」の登場人物みたいな感じなんですわ。異常人の寅さんに振り回されて迷惑を被る周りの人達って、みんな好い人達ですよね。ショッチュウ寅さんと大喧嘩しますが、でも誰もが寅さんを愛して大切に思っています。きっと、その真情も「やりきれないけど愛しい」のだと思います。
ただ根本的に違うのは、「フーテンの寅」は本物のバカだけど、、時に尺八に関して突拍子も無い事を言う人も、それまで立派に仕事してきた人達だし、その担当してきた分野での知識は皆大したものなんです。それに私にとっては、暮らしを支えて下さっている大切な存在でもあり、何より、私の担当している尺八というモノを愛してくれている。そうなんです、仲間ですよ。
大学時代のクラブがまさに「寅さん映画の世界」でしたし、訊くと他の大学も似たようなものだったと言います。ですから、私達にとっては社会人尺八界も一部では大学クラブの延長でもあったわけです。
「私達大学クラブ出身の製管師は皆やりきれない思いと、切ないほどの愛しさを抱いてきた」と言う心情、お分かりいただけましたかな。
エッ、「演奏家は?」って。演奏家はまた違うと思いますよ。尺八吹きって、自分の吹奏技量に対しては自信を持っていないので、プロ尺八演奏家が相手だと、たとえ相手が若造でも、いじらしいほど腰が低いですね。
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